若者が取り組む都市環境デザイン
前に
目次へ
次へ
神戸アートセンター予定地の歴史的背景
神戸アートセンター予定地と書いてあるのが対象建物が建っている場所です。 昔、 日本からブラジルへ移民する人たちが全国からここに集められ、 1週間から10日くらいの教育を受けて、 神戸港から旅立っていったという歴史があります。 ここは導入教育を行う移住センターとして機能していました。 それ以後、 准看護学校の校舎や寮として使われていた建物で、 現存しています。
建物の外観です。
外観のアップです。 5階部分は講堂になっています。 当時は、 ブラジルに関する講義を受けたり身体検査を行う際にこの講堂を使っていたようです。
これは玄関です。
これは1階の食堂だった部分です。 今は間仕切り壁も入っており、 ルミナリエの看板などが無造作に置かれています。
2階の廊下部分です。 当時の船の中を模してつくられています。 移民の方は、 船に乗ったことのない農民の方が多かったので、 二ヶ月近い船での生活に慣れてもらうために、 こういうつくりにしたと聞いています。
この部屋には当時12台ものベッドが敷き詰められ、 移民される方が収容されていました。 部屋名も収容室という名前がついていました。
これも、 そのなかの写真です。
これが一番上の5階の講堂です。 大きな催しなどは、 ここで行われていました。
これが昭和3年当時の建物の外観です。 先ほどの現在の写真と見比べていただければ、 そのままの形で残っているということがお分かりいただけると思います。
当時の神戸港からの出航の写真です。 当時は地元の小学生も見送りにかり出されてテープを投げたというエピソードがあります。 取材を続けているなかで、 そのことを覚えておられる方もいらっしゃいました。 そういった歴史のある、 しかしあまり神戸市民や関西の人に知られていない建物です。
神戸アートセンター構想
―様々な事例を見ながら
この建物の2階部分には現在海洋気象台が入っているのですが、 それが10月に移転して空き家になるという話をある方から聞きました。 そのあとのリニューアル計画が何も決まっていないというなかで、 提案する機会を得ることができたのです。 その時に私の頭に浮かんだのが、 世界各地で昔学校や病院だった建物がアートセンターとして再利用され、 アトリエや展示の空間として機能しているということでした。
これは広いスペースに立体作品を置いた例です。
アトリエ自体を地域住民に公開する「オープンスタジオ」という形にし、 地域の人と美術を介して交流しようという例です。
地元の小学生を招いて、 ワークショップ形式で美術教育をしている例です。 そういったセンターが世界の主要な都市にはあります。
これもアーティストと子どもが触れ合っている写真ですが、 そういったものが神戸にあってもいいじゃないかという思いが僕の中にはありました。
前に
目次へ
次へ
このページへのご意見は
前田裕資
へ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ