ただし、 この緊張感が常に不快であったかといえば必ずしもそうではない。 都市観光といえば博物館化しテーマパーク化したスポットをめぐるしかない国からやってきた者にとって、 ほどほどの治安の悪さはリアリティの品質保証のようなものだ。 リアルな都市はそこに管理しつくすことのできない野生を秘めていなければならない。 飼い慣らされ演出し尽くされてリアリティを失った都市のスリルのない旅など、 気の抜けたビールのようなものである。 もっとも、 通りすがりの旅人だからこんな勝手な感想をもらせるが、 実際ここに暮らす人々はそうも言っていられないだろう。 サンパウロを案内してくれた日系の女性ガイドも「治安さえよければこのまちは本当に住みやすいんですよ」としきりに強調していたのが思い出される。
それにしてもこんなにのどかな風景と犯罪への不安、 物的環境と社会的環境とのこの壮大なアンバランスは一体何なのか。 「優れた環境がゆたかな心を育むとは限らない…」ということか。 都市型高級リゾートとして知られるイパネマ、 コパカバーナの海岸沿いの街並みを経て市の中心部に向かうマイクロバスの中でふとそんなことを口にすると、 同行のH氏から「"A sound mind in a sound body"…というのが願望にすぎないようにね」と返ってきた。
まちのたたずまいという点から見れば、 リオに限らずブラジルで訪れたまちの多くはどこもしっかりした空間的秩序を感じさせ、 しかもなかなかあか抜けている。 無構造性を特徴とする(隠れた秩序があるともいうが)現代の日本の都市に、 これらに匹敵するまちなみを探すのは難しいだろう。 不法占拠のインバゾンですら街路や広場の用地をちゃんと確保している。 さすがに数千年にわたる都市文明の伝統を誇るラテン文化圏の国、 第三世界の発展途上国の都市などというイメージに惑わされていた自分の認識不足に恥じ入るばかりだ。
「衣食足りて礼節を知る」というのは、 われらが東アジア文化圏のことばだが、 ブラジルの都市の治安が悪いとすれば、 衣食が足りないとまではいえなくとも、 相対的に貧しい人々が都市に大量に流れ込んでいるからだろう。 それに最近の経済危機が追い討ちをかけたのだ。 貧富の差が激しければ人心がすさむのはどこでも同じだ。 「貧すれば貪する」ともいう。 どの程度貧しくなると何をどのように貪るようになるのかは、 文化や教育のありようによる違いがあるのだろう。 ブラジルの場合は貧したときの貪しかたが、 ひょっとするとわれわれの場合よりも治安をそこなう方向に向かいやすいのかも知れない。
ところで、 まちなみの秩序はある意味ではそれに係わる人々の礼節によって育まれ保たれると考えることもできる。 この考えによればきちんとしたまちなみを整えているブラジルの人々はすでに礼節を知っているのだ。 そして現代日本の無秩序な都市空間、 乱雑なまちなみは、 日本人の礼節の欠如を表出したものにほかならないことになる。 世界に冠たる飽食とモノ余り状態の生活を実現してもなお、 日本人は貪りつづけ礼節をわきまえることがなかった。 貪の向かう方向は(治安の悪化ではなく)都市空間の破壊である。 少なくともバブル崩壊の直前まで、 資本の論理・経済優先の思想が延々と日本の都市空間を荒々しく席巻してきた。
治安は悪いが秩序だった空間を持つブラジルの都市と、 治安はよいが無秩序な空間しか持たない日本の都市。 一方は社会の中に野生を秘め、 他方は空間の中に野生を表出する。 ふたつの対照的な<野生の都市>が、 地球の正反対の位置に対峙している。
野生の都市
関西大学 丸茂弘幸
一日滞在しただけの印象でものをいうのは気が引けるけれども、 リオ・デ・ジャネイロは世界でも有数の美しいまちではないかという気がする。 しかしそれがまた世界で最も治安の悪いまちなのだとも聞く。 現地のガイドのひとりは真っ向から否定していたし、 われわれの滞在中にも何事も起こらなかったわけだから、 治安に関しては確かなことはわからない。 しかし警察官の姿がやたらに多く、 また建物の周りはみな鳥かごのように厳重に鉄格子で囲まれているのを目にすると「ああ、 やっぱり」と思ってしまう。 これはブラジルのほかの大都市でも同様だけれども、 まちを歩くあいだじゅういつも緊張を強いられていたのだ。
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