住宅時事往来No.11
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フィリピン女性にみる地域との関わり

日本に住むフィリピン人の多くは女性で、 日本人男生と結婚しているケースが多い。

このようなフィリピン女性たちが、 仲間でネットワークをつくったり、 地域活動に参加している事例が各地で報告されている。

ここでは、 今号の特集として“地域との関わり”の視点から、 フィリピン人の地域参加や自助活動の事例を取材した。

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フィリピン人居住者とは

改行マークフィリピン人の外国人登録者数は84,509人(1996年12月末現在)。

国籍別にみると韓国・朝鮮、 中国、 ブラジルに次いで多く、 外国人登録者全体の6%を占めている。

フィリピン人居住者の大きな特徴は、 性別が女性に著しく偏っていること、 そして在留資格が「日本人の配偶者等」に特化していることだろう。

登録者中実に85%が女性であり、 また約半数が「日本人の配偶者等」である。

ごく最近までは「興行」の在留資格も3〜4割を占めていた(96年9月から興行ビザの審査基準が強化され、 現在は減少傾向にある)。

 

改行マークフィリピン女性の来日は、 1980年頃から目立ち始めた。

この時期は、 日本人男性の東南アジア買春ツアーに批判が集まり、 代わって東南アジアの女性たちが来日し、 日本の歓楽街の性風俗産業に就く、 いわゆる“ジャパゆきさん”現象がみられ始めた頃である。

フィリピン政府は海外労働派遣を奨励していたこともあって、 興行ビザで契約労働者として来日するフィリピン女性が急増を続けた。

彼女たちは、 フィリピンおよび日本のプロモーターによって、 日本各地の歓楽街のクラブ、 パブ、 スナック・バーなどで働くことになる。

歌手やダンサーのつもりで来日しても、 多くはホステスとして酔客の相手をさせられた。

観光ビザ等で来日し、 借金を返済するまで売春行為を強要されるなど、 より悲惨な状況に陥る女性もいた。

 

改行マーク一方、 1985年に山形県朝日町で始まった組織的に“外国人農村花嫁”を迎えようとする試みは、 一時期同じ嫁不足の悩みを抱える農村地域に広がっていった。

 

改行マークまた都市部でも民間の結婚斡旋所を通じた外国人女性との“お見合い”結婚が増加した。

こうして多くのフィリピン女性たちが日本人と結婚し、 日本各地に住むこととなった。

日本人と結婚した友人等の紹介で、 さらにフィリピン女性が日本人男性と結婚するケースもある。

もちろん、 エンターテイナーとして来日した女性が日本人男性と出会い、 結婚するケースもあれば、 フィリピンで日本人と出会い、 結婚したカップルもいる。


フィリピン人ネットワークと地域活動

改行マークフィリピン人の多くはカトリック教徒である。

教会はフィリピン人の日本での生活に重要な役割を果たしている。

英語・タガログ語でミサを行う教会は1980年代後半から増加し、 1997年には全国で150近くに上るという。

教会に集い、 母国語で語り合うことで、 お互いの悩みを相談したり情報交換し、 日頃のストレスを解消する。

また、 子供の誕生は、 日本の地域社会との関わりが生まれる契機となっている。

子供を持つフィリピン女性同士でネットワークをつくったり、 子育てを通じて地域の人たちとの交流や保護者会などへの参加も活発になっている。

さらに、 最近では貧しさ・水商売など日本人の持つフィリピン人への画一的なイメージを払拭し、 もっといろいろなフィリピンの姿を知ってほしいという思いから、 フィリピン文化を紹介するような活動も増えてきたという。

 

改行マークここでは東京の事例として、 保健婦さんを媒介としてつくられたフィリピン人のお母さんたちの自助組織と、 地域の国際交流活動などに積極的に関わる1人のフィリピン女性を紹介する。

慣れない異国の地で言葉や文化の違いに悩みながらも、 積極的に仲間をつくり、 地域に参加しようとするフィリピーナたちは、 明るくたくましい。

彼女たちの歩みを知り、 その意見に耳を傾けることは、 これからの定住外国人と地域のあり方を考えていく上で、 さまざまな示唆を与えてくれるに違いない。

(文責:塩路安紀子)

参考資料/「フィリピン女性エンターテイナーの世界」M.R.P.バレスカス著(明石書店)、 「外国人労働者から市民へ」宮島喬・梶田孝道編(有斐閣)、 「新来・定住外国人のわかる事典」駒井洋他編(明石書店)

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