一方、 中井がミャンマー人の生活拠点になっているというのは意外に思ったのだが、 外国人登録者数(1997年12月末現在)で調べてみると、 東京在住のミャンマー人約3,300人(全国では約4,200人)のうち、 実に半数以上が、 豊島区・新宿区・中野区に集中していた。 新宿区の中でも何故中井なのかは謎であるが、 少なくともこういう現象が起こり得る素地はあったと言えるだろう。 また最近では、 大久保や高田馬場にもミャンマー料理店が出店しはじめており、 これらの動向から、 ミャンマーの人たちの生活行動領域が何となく見えてくる。
今回のトリップを通じて、 私たちは、 国際化は今や身の回りのごくありふれた出来事になっており、 全国津々浦々、 国際化しているというのが現実なのであるということを痛感した。 内なる国際化の拡がりの中で、 私たちまち居住研究会のメンバーは、 日常生活の中の国際化を直視し、 自分自身の問題として捉え、 地域のまちづくりを考えていくことの重要性を再認識させられたのであった。
本稿および現地ルポにおける在留外国人の数は、 外国人登録者数によるものであり、 超過滞在者の数は含みません。
また、 現地ルポにはモスクの紹介もありますが、 宗教施設なので、 訪問する際には十分な配慮をお願いいたします。
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第1回目◎池袋および中井
最初のトリップは、 都心の池袋と中井(西武新宿線)である。 池袋は、 東京から埼玉方面へ延びる東武東上線・西武池袋線の始発駅であり、 また十条や赤羽を経由して、 埼玉からさらに群馬・栃木方面へとつながる沿線の起点ともいえる拠点都市である。 東京23区の周縁部から埼玉や千葉方面にかけては、 パキスタン・バングラデシュ系の人たちの居住地が広がっている。 私たちは、 まず池袋の雑居ビルにある彼らの食材店を訪問し、 そこで思わぬ大発見をした。 何を発見したかはルポを読んでのお楽しみ。 しかし、 この発見は、 後で考えてみると、 やはりしかるべき場所にしかるべきモノが出現したという感じで、 妙に納得させられるものがあった。
1997年10月26日・晴れ
第2回目◎群馬県伊勢崎市および境町
第2回目のトリップは、 一日がかりのツアーとなった。 「東武伊勢崎線イスラム街道」という話を聞いて半信半疑で出発したのだが、 低い家並が連なる平坦な伊勢崎の街で、 パキスタンの青年たちに出会うことができた。 確かに外国人登録者数でみると、 パキスタン人の居住地は、 東京から埼玉を経て群馬方面へ延びる傾向にある。 聞いてみると3〜4年前に来日したという人が多い。 現在日本にいる彼らは、 1980年代末に来日し、 そのまま残っている人たちだと思い込んでいたのだが、 ビザ免除措置の一時停止が行われた以降も、 引き続き来日している人たちがいて、 しかも都心から80km以上も離れた地方都市に住んで働きモスクをつくったという事実を知り、 この10年間のうちに、 彼らの同国人ネットワークが形成されていることをつくづく実感させられた。 東武伊勢崎線沿線では、 埼玉県春日部市の一ノ割駅に数年前最初のモスクが出来て以来、 境町、 次いで伊勢崎市にモスクが出現したという。
1998年4月29日・晴れ
第3回目◎横浜市鶴見区潮田
第3回目のトリップの目的地は鶴見区潮田である。 沖縄をルーツとする日系南米人が多いと聞いて訪問した。 南米人は、 主に豊田市や浜松市など東海地方の自動車・家電関連の工場労働者として働く人が多く、 ほとんどが日系人とその家族である。 現在、 南米人は外国人登録者数全体の2割を占めており、 その数は28万人以上に達している(ちなみにアジア国籍の人は全体の7割)。 神奈川県は、 愛知県、 静岡県に次いで南米人が多い地域で、 約24,300人が暮らしている。 他県に比べてブラジルやペルー以外に、 ボリビアやパラグアイ出身の南米人も多く、 鶴見区潮田にも南米各地の日系人が集まっているという特色がある。
1998年10月25日・晴れ
注:
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