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(1)TUCANO(ブラジル・ペルーの食材等) (2)ALVORADA(ブラジル食材・ビデオ等) (3)ぶーがる(総菜店。IAPEの代表を務める玉城洋子さんの店) (4)AMIGO(沖縄・南米料理) (5)沖鶴会館(鶴見沖縄県人会、旅行社、沖縄食材店等。食材店では南米の食材も扱う) (6)LOJINHA YURI(ブラジル食品・航空券等) (7)ANDES(ボリビア料理) (8)もろみや(沖縄・南米料理) (9)MAR AZUL(ブラジル・南米料理。ポルトガル語のカラオケあり) (10)小さな森(喫茶店。お菓子のアルファフォレスが人気) |
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鶴見小の校庭では、 交流会の昼食準備 |
交流会場となった体育館 |
交流会 |
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沖鶴会館1階 |
ブラジルの雑誌や食材の並ぶ店 |
横浜市鶴見区は京浜工業地帯の一角として発展し、 戦時中には工場労働者として沖縄系住民の集住や朝鮮人の強制連行なども行われ、 沖縄出身の人々や韓国・朝鮮籍を持つ人々が今も多く住み続けている。 そこへ90年の入管法改正を境として、 沖縄出身者ネットワークを頼って沖縄にルーツを持つ日系南米人がどっと流入した。 ブラジル人を例に鶴見区の外国人登録者数を見ると、 88年には36人であったが90年には596人、 92年には1475人とこの時期激増し、 97年現在は1453人となっている(各年12月末現在)。 交流会は、 家族で来日した日系人の子どもたちの孤立や教育問題をきっかけとして、 外国籍児童・保護者と学校の先生、 地域ボランティアが交流を持とうと始まったという。 IAPEでは、 子どもたちが元気を取り戻し、 母語学習に励めるよう、 94年6月からポルトガル語・スペイン語講座も開設し、 他にも子どもたちがルーツを探る沖縄への旅などを開催しているそうだ*1。
この日の交流会のプログラムはペルーの踊り、 沖縄の三線、 ブラジル、 パラグアイ、 アルゼンチン…と続き、 午後には保護者ネットワークづくりや子どもたちの母語別対抗ミニサッカーも予定されていたが、 潮田町の見学を控えていた私たちは、 IAPEのスペイン語・ポルトガル語教室の先生たちの紹介が終わったところで、 体育館を後にした。
まず驚かされたのが、 商店街そのものだ。 一本の通りが続く“商店街”を想像していたが、 さにあらず。 碁盤の目状の通りの縦方向にも横方向にも商店が連なり、 まるでまち全体が商店街と思えるほど大らかな広がりを持っている。 そして、 その広がりの中に、 ブラジル料理の店、 南米沖縄料理の店、 ボリビア料理の店、 ブラジル食材店などが、 ぽつぽつと点在しているのだ。 商店街の中にあるもんじゃ焼きさん、 うどん屋さんといった自然な感じで南米のお店に出会う。 事前情報がなければ、 2・3箇所行き当たるのがせいぜいだっただろう。 ボリビア料理の店に入り、 チーズや挽き肉を挟んだ揚げパン・エンパナディージャやキャッサバのフライを試してみる。 店内にはスペイン語の新聞「インターナショナル・プレス」や雑誌も置かれ、 情報交換の場にもなっている。
この町では、 沖縄と南米の融合が特に目を引く。 仲通りにある「沖鶴会館」は、 鶴見沖縄県人会や旅行社、 沖縄食材店、 沖縄そばの店などが入る建物だ。 ここは、 沖縄や、 戦前のハワイ・南洋諸島への移民たちが、 戦後の引き揚げ後に土地を買い建物を建てて身を寄せる場所を確保したことに始まるそうだが、 沖縄出身の日系人たちのコミュニティ結節点にもなっているという(*2)。 食材店を覗いてみると、 沖縄の黒砂糖や麺類に混じってブラジルやペルーのスパイス・お菓子も並ぶ。 商店街から少し奥まったところにある“沖縄南米料理店”は、 沖縄出身で南米を移り住み鶴見にやってきた方が始めたそうで、 メニューには沖縄そばとPASTELが仲良く並んでいる。 私たちは、 ふだんは滅多に出会わない取り合わせの食事を堪能した。
交流会を見学し、 まちを歩いてみて、 鶴見区あるいは潮田町に、 外国人居住者を受け入れる地域の包容力のようなものを感じた。 それは、 工場労働者としてさまざまな人々を受け入れてきた、 まちの歴史の積み重なりが育んだ地域性なのかもしれない。
参考文献:*1「多文化共生をめざす地域づくり」沼尾実編、 明石書店。
*2「エスニシティと都市」広田康生著、 有信堂。