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パネラー発言2

80年前後の動き

前神戸市住宅局長 垂水英司

小林

 続きまして、 その後のまちづくりの流れについて見ていきたいと思います。

 コミュニティカルテは73年ですが、 これを受けて78年には環境カルテが作られました。 コミュニティカルテの発展型、 あるいは市街地版のような調査です。 そのお話から、 まちづくり条例に至る流れについて、 行政の方でずっと担当しておられた垂水さんにお願いしたいと思います。


都市計画局施設係

 私は63年に役所に入り、 住宅局、 開発局を経て10年後の73年に都市計画局に移りました。 その頃は、 先ほども出ていましたが、 あらゆる面でちょうど曲がり角という時代でした。 高度成長で突っ走ってきたことに対して「ちょっと待て」という動きが全般的に広がっていました。 今思えば踊り場程度の事だったかもしれませんが、 その当時は我々もかなりの変化があると感じていました。 都市計画分野でも当然いろんな動きがあって、 それに答えて行く必要がある、 といった思いでした。

 私は都市計画局計画課で施設係長として9年勤めました。 この施設係というのは一応「都市施設」から来ているわけですが、 何をするのかよく分からない名前です。 都市計画局が沢山持っていた空地にフェンスを建てるところだろうと、 年に何度か業者がフェンスの案内を持ってやってきました。

 特にやらなければならない仕事はなく、 今後の都市計画のあり方を考えるために4人の立派な担当者がいるという、 今ではちょっと考えられないような布陣です。 当時の局長が現笹山市長で、 街でバッタリ会ったときに「君のところは銀行みたいなもんやで」と言われました。 それを私なりに解釈し、 「今すぐ使うお金や無いけども、 君の所に預けとくから、 しばらくしたら利子つけて返してくれ」と、 多分そういう仕事を期待されたのではないかと思っています。

 さて、 その頃はまだ都市基盤整備真っ盛りの時代だったのですが、 そろそろ曲がり角に来ている、 住環境整備に切り替えていかなくてはという雰囲気が出てきた頃です。 私達も徐々に議論しながら取り組んでいました。 今日はその時代の特徴的な動きとして「環境カルテ」と「真野地区」、 これから「まちづくり条例」についてご紹介しつつ、 簡単にまちづくりの系譜をお話したいと思います。


環境カルテ

 まずは環境カルテです。

 

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図2 カルテづくりの意味
 
 図2に「カルテづくりの意味」を示しました。 これからの市街地整備は「根幹的公共施設の整備だけではなく、 生活環境整備も必要でしょう」「市全体の計画を作ったけれど地区ごとの計画も必要でしょう」「それからスクラップアンドビルド方式のまちづくりばかりではなく、 その地域に合わせた改善を含めた多様な方法が必要しょう」。 「そのためにはまず地域の診断をする必要がある」ということで始めたものです。

 特に重要なのはこのカルテを公表したことだと思います。 というのも環境カルテでは図2に書いてある五項目の診断をするのですが、 その地区の診断結果に応じた「治療」として、 まちを改善するのか保全するのかといった事を決めて行く必要があります。 そのために、 この診断結果を公表するのです。

 先ほどのコミュニティカルテも、 そういった現状を知らせる事が目的だったわけですが、 我々としては「知らせた以上、 その後どうする」という事が問題でした。 そこからどう進めるか、 です。

 そこで我々の考えた枠組みは、 「市がまちづくりの基本方針を作りますが、 住民の方は組織を作って下さい。 市も手助けしますから、 まちづくり協議会を作っていろいろ検討してください。 そこで徐々にどういうまちづくりをしたら良いかを決め、 実現していきましょう」「そういう手順だから、 一つ地域で考えて下さい」というものでした。

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図3 環境カルテ
 図3は環境カルテの一部です。 ここは住宅が悪いですよとか、 ここは道路が少ないですよというような、 言わばハザードマップを提示したわけです。 もちろん、 こんなことを言って後から色々言われるのは叶わんという気持ちも正直ありました。 しかし地域の方が盛りあがってくれば対応しましょうということですから、 まあそんなに恐れることも無いかと発奮した記憶があります。


真野地区の取り組み

 次に真野地区の取り組みについて申し上げたいと思います。

 環境カルテを用意する一方で、 新しいまちづくりの方式をどこかの地域で具体的に進めたいという気持ちがあったのですが、 先ほどの小森先生のお話にもあったように、 真野地区は公害追放とか色んな形で先鋭的な住民活動が行われた地域でした。 これについて行政は公園を買ったり、 公害防止協定のお世話をしたりということを対処療法的にやってはいたのですが、 やはり根本的な解決になっていませんでした。 地域の住民の方も「こんなんではあかん。 根本的なまちづくりせな」ということを行政に強く求めておられました。

 しかしそう言われても区画整理をするわけにもいきません。 手法や財源の問題もあって都市計画事業部隊が直接行くことが出来なかったため、 我々施設係が出向くことになりました。 ちょうど環境カルテを作っていた事でもあり、 やはり地元でそういう検討をしてみて下さいと言ったわけです。

 

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図4 真野まちづくりの歩み
 
 真野地区には毛利さんという先鋭的な住民運動をやっておられた方がいたのですが、 真野地区がそのグループで統一されているというわけではなかったのです。 どちらかといえば従来型の自治組織を中心としたもう一つのグループがあり、 これらが絡みあっている地域でした。

 毛利さん達のような住民運動派は「マスタープランはわしらが書く、 住民主導、 行政支援や」とおっしゃったのですが、 もう一方の従来型の方では「いや、 ここは元々戦災復興の網がかぶってたのに、 いつのまにかやめてしもた所や。 役所がちゃんと絵を描いて持ってきなさい」と、 まったく対立した見解だったんです。

 どちらにも一理ありますが、 私達としては「どんどん描いていただいて結構です。 しかしやはり地域で一つの検討組織を作って頂きたい。 そこに市の方から資金的な応援もしましょう、 専門家の派遣についてもバックアップしましょう、 そこで検討しましょう」ということで、 78年にちょうど環境カルテを発表した同じ年ですが、 そういう経緯でまちづくり検討会議が出来たわけです。 そこが2年後に神戸市にまちづくり構想を提案するといった流れになっていったわけです。

 そこで問題だったのは、 当時はまちづくりというものは神戸市が描いて、 それでいいかどうかを検討して出すのが普通でした。 そういう検討も何もない絵が勝手にどんどん描かれているので、 こんな事をしていて本当にええんかいなと、 私も若い胸を痛めました。 しかし、 結局はそのまま、 まちづくり構想が発表されたわけです。


まちづくり条例

 最後がまちづくり条例の話です。

 当時ちょうど都市計画の転換点でしたので、 国でも都市計画法の中に「地区計画」を入れようという動きがあり、 全国的にも非常に熱が入って80年にその法律が出来ました。

 地区計画では地域の細かいルールを決めるわけですから、 地域の住民の意見を充分に聞くのは当然です。 ですから都市計画案を作る前に住民の意見を聞き、 それを反映するといった手続きを地区計画の中に盛り込む事が、 法律にもうたわれていました。 そして、 その意見反映の具体的な方法は「どうぞ地方公共団体でお決めなさい」となっていたわけです。 言い換えれば、 この法律にもとづいて自治体で「委任条例」をつくれということです。

 

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図5 条例の仕組み
 
 これに我々も取り組んだのですが、 「ただの委任条例を作っても面白くない。 これでは我々が今までやってきた活動からすれば物足りない。 もう一歩詰めるべきでないか」ということもございましたし、 さらに前段階からの参加も必要だし、 何よりも住民の発意を充分活かした前段階があってこそ地区計画が生きてくるという意気込みで、 今のまちづくり条例を作ったわけです。

 まずまちづくり協議会を作り、 そこでいろいろ検討した結果を市長に提案する。 これを受けて協議し、 まあいいじゃないかとなれば、 それを地区計画にしていく、 という一つ一つステップを上がって行くような流れを作りました。

 これは委任条例ですので、 建設省に「これで行きますよ」と説明しに行ったところ、 最初は「ちょっと待て、 これは止めろ」と言われました。 そもそも国の側が地区計画を作って、 こういうことは地方でどんどん決めなさいと言い出したのに、 いざとなると「そんなわけの分からないまちづくり計画とか、 法律からはみ出すような事を決めてもらっては困る」というわけです。

 何度も説得に行ったのですが埒があかず、 諦めてただの委任条例だけにしようかとなりかけた頃に、 当時建設省の調整官だった蓑原敬氏が「神戸市の案はいいんじゃないか」といったという話が伝わり、 それならと、 もう一回説明に行って結局押し通したという経緯がありました。

 最初に松本さんが提起なさった部分については、 私なりにいろいろ言いたい事もございますが、 今日は古老に徹して73年から81年までの話をさせていただきました。

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