民生や経済といった部署とどうリンクしていたかというご質問に関連してお話ししますと、 実はあの当時、 コミュニティカルテが全国的にブームだったのです。
それ以前、 65年くらいに企画局で「生活環境図集」を作っています。 これは神戸大学の嶋田先生の力作で、 ハードな都市計画や事業は別として、 市政全般の課題についての現状を地域ごとに把握しようという内容でした。
埼玉県三郷市ではこれまた先鋭的というか突出した事をやっていました。 ここでは企画に熱心な担当者がいて、 コミュニティカルテを作って全部の自治会に配布し、 住民協議会を全自治会で立ち上げたのです。 それらの自治会が公民館などで開く会に行政担当者としてずっと参加し、 話し合っておられました。 そんな対応をしていて大丈夫かなと視察したときには心配したぐらいです。
というのも、 今では古いと言われていますが、 当時、 私達は総合性というより事業の中で、 つまり都市計画という「専門店」方式でカルテを作って対応していたのです。 しかも、 どうしようもなく悪い所だからといって「あなたの所は悪いからなんとかしなさい」とは言わず、 当事者から「悪いからなんとかしてくれ」と言われたらやるという、 いわゆる手を挙げる方式で対応していました。
そうでないと、 財政的な問題もあるし、 バックに馬力のある事業もないし、 とても対応できません。 住環境整備事業はありましたが、 あくまでモデル事業でしたから、 そんな事業だけでは、 とても責任がとれないと思ったわけです。 切り口としては具体的な事業をもったものとして行こうとしたわけです。
ところで今「真野のまちづくり構想」を会場でいただいて見直していたら、 検討委員として何故か行政の人間が入っています。 都市計画局だけでなく、 市民局の広報相談課長、 経済局の振興課長、 環境局の公害対策調査課長まで入っています。
ですから、 当時から総合性が問われていたし、 今はさらに問われていると思います。
ただ総合性というのは、 手法もあれば、 主体の話でもあります。 また、 地域内だけで考えていてもダメで、 横に繋いではじめて馬力が出てくるような課題が沢山あります。 しかし、 それをまちづくり協議会だけでうまく束ねられるかというと、 これはなかなか難しく、 しかも答えが見つからないと思います。
神戸市でも、 区行政をアンテナにしながら、 そこからいろんなものを吸い上げて各局にまわしていくという、 ある意味で総合的なまちづくりを長い間やって来たわけですが、 現実の事業自体は縦割りにならざるを得ない面もあります。
こういう所を見ておかないと、 思いだけではなかなか進まないでしょう。
先ほどの質問やご意見に関して気がついた点を二、 三申し上げたいと思います。
第一に、 このコミュニティカルテを作ったとき、 もう一つの大きな動きとして「コミュニティとは何か、 どうあるべきか」という議論が調査部を中心に進められていました。 むしろこちらの方が多少先行していたかもしれません。
当時の政令指定都市(六大市)の中でも神戸市は比較的早く「コミュニティ論」に取り組んでいます。
コミュニティカルテにも、 地域のコミュニティ論が土地を離れて進んでいる事に対するアンチテーゼが多少含まれています。 言い換えれば関学の倉田和四生先生がこの報告書の社会編を担当されていますが、 先生が扱われた部分と私達が書いた部分では若干内容が乖離しています。
それはともかく、 こういうコミュニティ論が30年以上前から神戸市で展開されているにもかかわらず、 その後今日に至るまで、 その成果があまり生かされていないようです。 例えば今度の震災で仮設住宅の入居者を決めるとき、 コミュニティ論はほとんど取り入れられていません。 また、 それについて発言された社会学者があまりおられなかった事も残念でした。
さて次に、 コミュニティカルテには盛り込まれなかった、 盛り込むことができなかった要素がいくつもあるということを申し上げておきたいと思います。
だいたいこのカルテができたのは、 国勢調査の小地域の統計が利用出来るようになったからです。 その調査結果は充分に利用していますが、 その代わり、 例えば市が持っているデータの中で固定資産税関係のデータはほとんど使えないため、 路線価だけが地価関係のデータとして使用されています。 固定資産税関係のデータは、 地域の現況や将来を知る上で重要であるにもかかわらず、 今日に至るまで実際には利用できないデータです。
それから一番反対が強かったのは市所有の土地、 公有地データで、 これを明示すると言ったら大反対にあいました。 私としては、 公有地を時限的に、 例えば3年なら3年間は公園とするなど、 地域のために利用できるのではないかと思ったのですが、 これは各局が事業用地として持っているものですから、 そんなものを公表することは絶対まかりならん!というわけです。 だいたい他局の事業をお互い知らないんです。 今回の震災の際も、 仮設住宅用地のリストを作る際にかなり苦労されたようですが、 とにかくこれも実現いたしませんでした。
それから、 例えば生活保護者の分布とか、 言わば社会の病んでる部分を示すようなデータは一切利用することができませんでした。 特にプライバシー重視の社会に入って、 ますます難しくなる事は確かです。 そういう意味で、 カルテと言いながら社会病理的な現象を一切取扱っていないのは、 ある意味でおかしいと思います。
ですから、 先ほどのご質問に答えて言うならば、 コミュニティカルテを先に進めると、 ハード中心の環境カルテ方式にならざるを得なかったという事だと思います。
ハードな面からのまちづくりという部分では充分にデータもあり、 説得力のある材料も提供できましたが、 コミュニティや、 あるいはそれぞれの地区の特色、 問題点といったものを客観的なデータによって示すことは、 実は非常に難しいわけです。
それが私どもの調査の限界だったように思います。
それからもう一つ、 この調査について申し上げますと、 実は空いてる土地を探す事が大変重要だったわけですが、 土地が空くのはだいたい工場が分散するときなのです。
特に西部の場合にはケミカルシューズの共同化工場を作るという事で、 平地でやっていた工場がビルに入り随分空地が出たという経緯があるのですが、 しかしこのように工場を集中化・共同化する事業では、 集中化・共同化の方に主眼があって、 跡地がどうなるかという点については、 実はあまり関心がなかったのです。
また、 東部の方では遠くへ分散する工場が多かったのですが、 その空地をどういうふうに活用していくかという点についても、 あまり首尾一貫した施策はありませんでした。
真野の場合にも、 公園その他の小さな公的施設は、 実は工場跡地が出るたびにそれを使ったわけですが、 これは空地を作るために出ていってもらったわけではなく、 たまたまポロッと出ていったのを知って、 応急的に利用施策を考えるという事でした。
私もあまり細かい事は知りませんが、 西北神に工場を分散させる構想を立てて、 神戸市を大きく分けて色分けしようなどと言っておきながら、 具体的に跡地利用まで考えた計画もなければ、 まちづくりを進めるためにあそこの工場に出ていってもらってその後こういう風に使いたいというような積極的な働きかけも、 少なくとも公共の分野ではあまり行われなかったと思います。
せっかくの好機を生かせなかった、 そういう意味では残念な結果です。
先ほどの後藤さんのお話について、 私の受けた印象をお話したいと思います。
一つは事業手法とまちづくり構想に関わる話でしたが、 実は僕もそこが一番の問題ではないかと思っています。 要するに、 道具も制度も何にもない計画をどんどん作ってどうするんだという不安は、 行政サイドから見たら当然だし、 それから行政と協力してきたプランナー、 都市計画家にとっても同じだと思います。
しかし、 住民主体のまちづくりは、 やはりまず「どんなまちをつくるか」を構想していくところから全てが始まるのです。 現行制度上やれるかやれないかは、 その次の課題です。 言わば制度の枠内でまちをつくっていくのではなく、 「どういうまちを作っていくか」ということが先に議論され、 そして作るべき方向性が定まったら、 それを実現していくための手法を開発していく。 既存の手法をどう組み合わせれば良いのか、 あるいは新しい手法が必要であれば作っていくことが必要です。
震災後の5年間にも、 いかに既存の手法が使えないか、 いかに新しい手法が必要か、 あるいは既存の手法の柔軟な運用が必要だといったことについて、 随分と声を上げ、 そして部分的に実現してきたわけです。
要するに、 既存の枠の中で物を考えるのではなく、 大胆に作っていくのです。
事業を優先したまちづくり構想ではなく、 まず構想があって、 それから必要な事業手法を作っていくという順序、 プロセスを変えていくという事が、 非常に大事なのではないかと思っています。
もう一点は、 地域のパワーに関する話です。
実は今、 被災者復興支援会議IIで、 復興住宅の自治活動や、 コミュニティの自立支援のための、 中間支援組織についての継続的なフォーラムをやっています。 そこでも議論になったのが、 今の復興住宅では70〜80%くらいが高齢者で、 自治組織の自律的な運営が出来ない所が大半であるという事です。
これは非常にいびつな状態であることは事実ですが、 私達はやはりそういう中でも、 住民が自律的に主体的にコミュニティを運営して行けるような条件をつくっていかなければならないと思うんです。
力が無い、 エナルギーが無い地域では全面的におんぶにだっこで行政指導をやっていけばいいんだ、 というのでは施設と一緒です。 そうではなくて、 「住民主体のまちづくり」という場合には、 そんな中でもやはり住民が主体的に関わっていけるような仕組みをどう構築していくかということが、 行政にとっても専門家にとっても、 大変重大な課題ではないかと思います。
そういう意味でも、 地域の実情に応じた多様な自立の支援策とフォローのやり方がますます求められています。
最後に、 小浦さんから提起された2点目の、 多様な課題と多様な担い手という話ですが、 地域やまちづくりにおいては、 ますます多様性が強まってきています。 したがって、 多様な担い手がそれぞれの役割を明確にしてベストワークをすること、 しかも住民の内部だけでなくて、 行政と専門家と住民との役割を明確にしていくというやり方が、 極めて重要だと思います。
その事について小浦さんは「70年代に戻るのでは」と表現されていましたが、 私も実は70年代の神戸における行政の取り組み、 あるいはそれに呼応したり働きかけていった住民の取り組みには、 優れた爆発力があって、 エネルギーに満ち溢れていたと思います。
もちろん当時においても、 国の制度にも社会の状況にも様々な難点がありました。 それを既存の枠の中で勝負するのではなく、 やはり道を切り開いて突破していこうとした、 神戸市行政の先駆的な取り組みは、 高く評価されていたわけです。 そういうエネルギー、 そういう取り組みこそが、 この震災後の5年間に本当は求められていたし、 私達もそういう事を模索していたのではないでしょうか。
後期復興をやれといわれていますが、 これまでやってきた事をもう一度整理した上で、 これから、 あるいは21世紀の地域主体のまちづくりの仕組みを私達がつくり上げて行く出発点に立っているのではないかと思います。
ありがとうございました。 松本さんには問題提起かつ総括整理までしていただきました。
ひらがなの「まちづくり」についての私の定義はしょっちゅう変わっているのですが、 最近は「地域における、 市民による、 自律的で継続的な、 環境改善運動」と呼んでおります。
ここで市民とは、 住民だけではなくそこに関係する人々ということです。 自律的とは当然自分達でやるという事、 継続的とは何か出来たら終りではなくて、 いつまでもやり続けるという事です。 この自律と継続という二つの要素が大きいのです。 そして運動であるという点が大切です。 私は常々まちづくりは「運動」ではないかと思っているのです。
そうなりますと、 先ほど松本さんにきちっと説明していただいたように、 プランニングするのが「都市計画」だとすると、 「まちづくり」は「プロセスのプログラムを立てる」というか、 あるいは「やり続ける事をどういう風にやっていくかという事」そのものではないでしょうか。 何処をやるかとか、 それをやる制度についての問題は、 どうでもいいと言ったら怒られますが、 後からついて来るものなのではないでしょうか。
「どういう事をどういう形でやるか」という事そのものが「まちづくり」ではないかと思っております。
一昨日、 都市計画学会の国際シンポジウムで、 台湾大学の陳先生が社区営造(台湾語でソフトとハードのコミュニティづくりの意味)という形で自然とやっていると言われました。 英語ではコミュニティ・エンパワーメント(Empowerment)と表現しておられました。 また韓国の康先生もまったく同じ事を言っておられました。
まちづくりは、 まさにコミュニティをエンパワーメントするという事だと東アジアでは捉えられているようです。 これを欧米のサスティナブル(Sustainable:持続的)に関する議論と統合的に話をしなければいけないと私は思っています。
小森:
先ほど小林さんがおっしゃった事はまさに、 最近言われている「アーバン・ガバナンス(Urban Governance)」のことです。 ここでのガバナンスは「統治」の意味ではなく「いろんな主体が協力して問題の解決にあたる」ということです。 国連の緒方貞子さんは「協治」と訳されています。
そういう意味で、 欧米の、 というよりは世界的に板についた言葉となっています。 これが21世紀最初の10年間の課題ではないかと思います。
小林:
それでは、 これで第1部を終わりたいと思います。 皆様ありがとうございました。
ディスカッション
総合性をどう実現するか
垂水:
コミュニティカルテは今につながったか
小森:
事業手法の枠組みが出発点ではない
松本:
まとめ
小林:
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