神戸市のアーバンデザイン室は、 先ほどお話しされた垂水さんがおられた神戸市の施設係を引き継いだ部署です。
アーバンデザイン室には二つの仕事があり、 一つは都市景観に関するもので、 神戸市の都市景観条例に基づく仕事です。 もう一つはまちづくり条例に基づく仕事で、 施設係の流れを受け継いでいます。 私は主に後者を担当しています。 その関係で、 まちづくり協議会の支援をしたり、 まちづくりセンターの管理の元締めのようなこともしています。
ここで、 今後のまちづくりを考える上で、 まちづくり協議会について行政の立場から意見を述べさせていただきます。
このように密集市街地をどうするかと悩んでいた頃に襲ってきたのが、 あの震災です。 当然、 震災復興事業が必要になってきて、 2段階方式による都市計画が行われました。
まちづくり協議会は行政主導の事業に住民を参加させるために作られたと言われていますが、 実はそうではありません。 それまでまちづくり協議会が密集市街地解消の手段をもてなかったのは、 例えば家の前の道をどうするかで悩んでいたとき、 自分たちでは解消する手段がなかったからです。 行政は、 都市計画事業のように大きな公園や道路を作るときでしたら予算を付けて地区に入っていけるのですが、 地域の中の狭い生活道路を広くするだけの事業の場合、 その地区に入っていくのが難しいのです。 ところが、 図らずも震災後のまちづくり協議会の中では地域の道路や公園をどう作るかの話し合いが行われ、 区画整理が手段としてとられることになりました。 減歩もここで話し合われたのです。
こうして、 自分の土地を少しずつ削らないといけないということになって、 9%の減歩をして、 コモン、 つまり共同で利用する意味での「公共」のものが作られることになったのです。 実は全体の減歩率は30%ぐらいなのですが、 個々の住民の方には9%ずつ減歩してもらって、 あとの20%は行政が用地を買収して公共用地に充てています。 そうした事業のためには都市計画が必要になるので、 都市施設や道路、 公園を決めていきました。
こうした動きの中で、 震災後のまちづくり協議会は行政の道具となったわけではなく、 みなさんがもともと密集市街地で悩んでいたことを、 震災を機会に本格的に考えていく場だったのです。 こうした場には、 住民のみなさんだけではなく、 専門家にも入ってもらってアドバイスをしてもらいました。 こうした話し合いの結果に行政も加わって、 密集市街地だったところに30%のオープンスペースを生み出したのです。 住環境を改善していくために、 まちづくり協議会で話し合われた結果を施策に反映させるやり方でした。 それがないと、 事業として成り立たないからです。 こうした震災復興に向かう時期が、 まちづくり協議会の第2期目とお考えいただいていいでしょう。
今は第3期目に入ったと言えます。 まちづくりの模索期にはルールだけは決まっても具体的な住環境の改善には至らなかったのですが、 第2期においては、 まちづくりの方向性が分かれば、 まちづくり協議会の中で「やはり区画整理事業が必要だ、 そのためには減歩をしなくてはいけない」という提案が出てきたのです。 そうなった時に、 行政側が都市計画決定をして大きな道路を地域の中にドカーンと入れるのではなく、 別の方法もあるのだということを今回の震災復興の中で提示できたと思います。
ですから、 今後まちづくりを進めていく人たちは、 ただ机上でまちづくりの絵を描くだけでなく、 減歩のように自分たちの土地を削るから、 行政もその分こんなことをしてくれと具体的な提案をしていくようになるのではないかと思います。 震災という不幸はありましたが、 その結果として、 行政側が一方的に提示するのではなく、 住民の提案を受けて一緒に進めていく協働のまちづくりのやり方が新たに出てきたと言えるでしょう。 模索の時期を抜けて、 方向性をしっかり見据えてやるという新しい段階に入ったと思います。
また、 まちづくり事業は、 住民だけでやろうと思ってもなかなかできるものではありません。 なぜかと言うと、 まちづくりは人の権利に関わることが多く、 建築規制や道路等の管理などの法的な措置やいろんな税金の問題が出てきますので、 やはり行政が関わらざるを得ないのです。 ですから住民から提案をいただいて、 行政と一緒に一つの方向性を見いだしていく手法が見えてきたのが、 最近のまちづくりの動きだと思います。
震災以前はこうした方法でコモンを生み出して下さいと言っても難しかったのですが、 震災を契機に国も法律を変えました。 密集法もできましたから、 そういう事業に予算を投じることもできますし、 従来だったら借地借家法が壁となって手がつけられなかった老朽家屋の問題に対する手法もできました。 震災以降、 まちづくりに関するいろんな手法が見えてきました。 21世紀は、 まちづくり条例が本来の力を発揮するようになるのではないかと考えています。
また、 地区計画制度も変わって、 2000年の改正で住民の申し出で都市計画を作れるようになりました。 これは神戸市のまちづくり提案の精神と一緒です。 新しい法制度が出来、 都市計画については地方への分権が当たり前になり、 地方自治体が独自にまちづくりを行うことができるようになりましが、 まちづくりは神戸市が国に先駆けてやっていたのです。 また第1部の先達の話を聞いていても、 まちづくり条例が素晴らしい要素をたくさん含んでいたことが分かります。
行政については先ほど「縦割り組織だ」というご指摘がありました。 確かにその通りでなかなか変われませんが、 最近の動きを見ていると、 地元の人びともその縦割りを上手に利用されているようです。 「これは福祉だからふれあいのまちづくり協議会へ、 これは防災コミュニティだ」とお金の出所もよくご存知で、 うまく行政を利用していただいているようです。 もちろん、 まちづくりの方向性を一つの明確なものにしようと模索しておられるのです。 中には難しい事もあるのですが、 我々としてはものづくり、 ルールづくりを支援するのが仕事ですし、 福祉や防災に関してはそれぞれの部局が担当してやっていくしかないと今のところ思っています。
私の立場から言うと、 まちづくり条例はちゃんと未来を見据えた内容を含んでいると思っています。 まちづくり条例の形は変わっていくかもしれませんが、 その精神は引き継いでいけると思います。 まちづくり協議会方式も、 今復興事業が収束を迎えようとする地域では「事業が終わったのだから解散しよう」と言われており、 実際に解散したところもありますが、 中にはその形態を変えて新しい方向へ動き出そうとしている地域もございます。 我々もできるだけ幅広く支援していきたいと思います。
司会:
ありがとうございました。 第1部で、 総合性のあるまちづくりを求めるという意見が出ました。 まちづくりそのものには総合性があるのですが、 条例で捉えているのは行政のパートナーとしてのまちづくりということです。 そこに問題が残っていると思います。
次は、 まちづくりにはいろんな局面があるという報告を中村さんにお話ししていただきます。 ソフトなまちづくりはどう動いているのか、 現時点での展開や可能性について、 実例を挙げながら報告していただきます。
パネラー発言1
行政から見た
まちづくりの方向性神戸市アーバンデザイン室主幹 中山久憲
まちづくり協議会 三つの時代
まちづくり協議会の歴史は大まかには三つの時代に分けられます。 震災前の神戸のまちづくりは密集市街地をどうするかがメインでしたが、 まちづくり協議会を立ち上げたものの具体的な動きのきっかけがなかなか掴めませんでした。 手段がなかったということです。 できたのは主にルール系のもので、 建築の規制や建物の形を規制することが主流でした。 震災前のまちづくり協議会は28団体ありましたが、 まちづくり協定ができたのは4地区です。 いろんな模索の中で方向性が見つけられなかった時代と言えるでしょう。
21世紀はどんな方向性になるか
我々はまちづくり条例を担当しておりますが、 震災以降の流れを見ても20年前に出来たまちづくり条例が素晴らしい要素を含んでいたことを理解いたしました。 まちづくり条例は、 協議会を作って行政の手足になりなさいと言っているのではなく、 地元の人の総意で、 ものづくりも含めて一つのルールを作ろうと言っているのです。 それを行政に提案してもらうのが、 まちづくり条例の主旨です。 住民総意の提案があって初めて行政は出ていけるのです。
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