阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク
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パネラー発言2

市民活動から見たまちづくり

CS神戸 中村順子

 第1部の討論では、 70年代のまちづくりの結論として、 ハードを作ることではなく、 人作りを最初に行うべきだとみなさんがおっしゃったと思います。 それは、 住民のエネルギーをどう作るかとか、 コミュニティ・エンパワーメントなど、 いろんな言葉で語られていますが、 やはりまちづくりのスタートは人が生き生きする事じゃないかと私は理解しました。

 私達も震災以降は特にそれを意識して、 人が生き生きと暮らせる仕掛け作りをしてきました。 人はどのようなきっかけで、 まちづくりに取り組む意欲を持つのかに一番興味があるのです。 ですから、 今日は私達が人の意識をどうやって喚起したか、 またそれをいかに自分自身の喚起や行動につないでいったかを、 事例をあげながら報告したいと思います。


震災前と震災後のNPOの変化

 震災後のまちづくりには二つの特徴があると思います。 一つ目は多様なNPOが出てきたこと、 二つ目には新しい関係性の構築が始まったということです。 この二つが震災後のまちづくりに大きな影響を与えていると思います。

 新しい関係性とは、 NPOが行政や企業、 専門家、 地域など多様な人びとと連携するようになったということです。 実を言うと、 我々NPOも以前は縦割り組織で、 ボランティアだけ、 しかも専門の福祉だけと固まって動いていたのが、 今では専門外の環境系の人たちや人権系の人たちと結びつきながら一つのまちを考えていくようになりました。

 一つ目の特徴としていろんなNPOが出現してきたと申し上げましたが、 震災前のNPOはほとんどが福祉系、 それもオバチャン系が一番多かったのです。 私も82年から高齢者の在宅援助をするNPO活動を続けていました。 神戸ライフケア協会と言いますが、 市民が市民を支える活動を有償で作り上げている組織です。 こうした活動の大先輩は灘生協ですが、 とにかく震災前のNPOは食の分野か福祉の分野でポツポツと存在するという状況でした。

 ところが、 震災後の今は、 NPO法でいう12分野全部のNPOが神戸にはあります。 そして、 いきいきとまちづくりに参加しています。 また、 NPO法人だけでなくNPO活動をしている団体すべてについて言えることですが、 組織も多様になっています。


震災後のNPOはどんなネットワークを
作り上げたか「「行政との関わり

 では次に、 震災後のNPOがどんな関係性を構築したかを具体的に報告します。

 関係を結んでいった相手はいろいろありますが、 まずは行政系、 続いて自治会などの地縁系の団体(民生委員協議会、 財産区、 婦人会、 地元商店街、 社会福祉協議会)です。 私達CS神戸は、 こうした方々と今も一緒に仕事をしています。

 一番最初に関係が出来たのは行政です。 震災直後に活動拠点の提供を受けました。 たくさんのボランティアを受け入れるためには、 ある程度整った場所、 しかもトイレ機能があり、 通信機能も備わっていることが必要です。 ところが震災直後に出来たボランティア団体の多くはそうした活動拠点がなかったし、 私達も行政が東灘区役所の中庭にプレハブ小屋を建てて提供してくれるまでは、 3回も事務所を移転しなければなりませんでした。 提供を受けたのは震災1カ月半後のことですが、 活動拠点が出来たことで、 ようやく落ち着いて安定した活動が出来るようになりました。 これは非常にありがたい、 最初の行政との関わりでした。 それ以降、 神戸市はNPOの拠点を支援する方向に向かい、 今でも2箇所を無償開放しています。

 行政にも神戸市だけでなく、 県行政、 国行政があり、 私達との関わりもそれぞれ違います。 神戸市とは事業契約をし、 事業をもらうという関係になりました。 私は寄付や助成金ではNPOは持たない、 NPOを強くするのは事業だという持論があり、 市にどんどん事業提案をいたしました。 それが実って、 大きいものでは3千万円、 小さなものでも1千万、 2千万円の事業がNPOに入ってくるようになっています。 特に今は、 緊急雇用対策事業費を使った時限的な事業が目立っていますが、 もっと恒常的な一般財源から出る事業もあります。

 昨日(2000年7月19日)、 行政と合意を見たのが「高齢者の自立を促進する地域でのミニデイサービス」で、 15のNPOグループの方々と、 生き甲斐予防対策型のミニデイサービスを展開していく予定です。 出来高払いですが、 サービスにお金を払ってもらえる事業が確定したわけです。

 国との関係では、 調査研究事業が入ってくるようになりました。 建設省、 通産省、 経企庁などが、 NPOと組むとどんな可能性があるのかを調査したいという話です。

 このように地方レベルから国レベルまで、 私達NPOとの結びつきが出来つつあります。

 ただ問題点をあげれば、 私達NPOは行政とは対等な立場で関係性を深めていかねばならないのですが、 行政は相変わらずNPOを目下に見るという光景をしばしば見かけます。 「所詮NPOは素人の集まり。 我々の言うことを聞きなさい」という態度には、 本当に嫌気がしております。 しかし嫌気がさしてもやらねばならないのが我々NPOの立場です。 子供と大人に喩えれば、 NPOが大人なんですから、 我々が我慢しようと思っているところです。


地縁系団体との関わり

 地縁系団体の関わりでは、 まず自治会からの相談がきっかけでした。 いろいろな話がありますが、 復興住宅の自治会からの相談が地縁系団体との関わりが出来た最初でした。 4年ほど前です。 「復興住宅に入ったけれども知り合いが出来ない、 コミュニティが出来ない」という相談内容でした。 東灘区の復興住宅の自治会は14ありますが、 そこに呼びかけて、 こうした問題をどう解決すべきかの議論の場作りのお手伝いを2年ほどやっております。 もうそろそろ私達の手を離れて、 自治会の方たちによる自主開催が出来るようになっており、 とてもいい傾向だと思っています。 これについては、 県民ネットが財政的な支援をしてくれました。

 また、 自治会からの相談は、 地震の被害がほとんどなかった地域からも来ています。 東灘区の山の手で高級住宅地として知られる地域です。 「地震の時はあんなにみんなで助け合ったのに、 過ぎ去ると前よりも冷たい街になった」という内容です。 一度地域のみんなで暖かい助け合いの体験をしたために、 元の状態になったら余計辛くなったということだろうと思うのですが、 私達が調査をしてみると地域における主に高齢者の孤独が浮かび上がり、 これは何とかしなくちゃという思いになりました。

 よく学者の先生達の地域調査では、 調査が終われば地域とはサヨナラなんですが、 私達は調査が終わったときがスタートです。 地域調査をしたら、 私達は住民集会を開いて調査結果をオープンにします。 この時もそうしました。 「あなた達の街の人びとはこんな思いをしています」と発表したところ、 みんな愕然として「ひとりぼっちなのは私だけじゃなかったんだ」という発言が相次ぎました。 では、 何ができるのかの話になり多くの共通項も見つけることができました。

 1千700戸の街で最初の住民集会には15人ぐらいの参加でしたが、 回を重ねるごとに参加者が増え、 計4回の集会では50人ぐらいが来られています。 話し合いを続けていくうちに出てきたアイデアが「やはり助け合いの組織が必要だ」ということから、 地域通貨方式をやってみようということになりました。

 地域通貨については全国のあちこちで使われているコミュニティづくりの手法の一つです。 いろんなやり方がありますが、 私達はメンバーの顔を印刷した「ニセ札」を発行することにしました。 1枚を30分のサービスと交換をするという方式で、 オモシロおかしくやって地域の人たちの結びつきを強めることに繋がればと思っています。 ここまで来るのにほぼ1年かかりました。

 このように自治会を超えたやり方で提案して、 それが動き出しているのが現在の動きです。

 また、 民生委員協議会や医師会の方々とも共同で非常にいい仕事をしています。 震災直後から一緒に活動しているのですが、 「歩いていけるところに知り合い作りをしよう」というテーマです。 お医者さん達は自分のクリニックを開放してくれましたし、 民生委員の人たちは引きこもりがちなお年寄りを集めてくれました。 私達NPOは、 そこで2時間ほどの交流サロンを開くのですが、 企画からチラシ配り、 サロン運営にいたるまですべて私達が責任を持ちます。 三者が共同して地域の高齢者交流会を続けているのですが、 これも地縁系の方々と関係が出来たため、 東灘区14の小学校区すべてで開くことが出来ました。 1年経たない間に万遍なくやれたのも、 地縁系の方々と関わりがあったからだろうと思います。


いろいろな関わり

 また、 変わった依頼では、 東灘区の財産区からの相談がありました。 財産区とは、 昔の村落だった頃の共同資産がそのまま引き継がれて特別行政自治体になったもので、 今では莫大な不動産を持っています。 不動産運用益を地域に還元しているのですが、 その一つである東灘区のコミュニティホールの管理を頼まれました。

 今までは行政が管理していたのですが、 なかなか活性化につながらない。 そこでNPOに任せてみようということになったのです。 今年の5月から入っているのですが、 ちょっと文句を言わせてもらうと、 今まで事務局任せだったせいか事務局が口を出しすぎる、 つまらないルールが多すぎるのが難点です。 せっかく私達がNPOらしく、 地域の人たちのために新しい企画を打ち出そうとするのですが、 なかなか自由にさせてくれない。 ただの管理人として、 安上がりの人手としてNPOを使ったのか、 この状態を改善するのは大変だと思っています。 これも我慢の気持ちで、 気長に3年はやらねばならんなと覚悟しています。

 それから商店街との関わりについてです。 震災で打撃を受けた商店街はかなりの数で、 活性化に力を貸してくれという相談が多くありました。 ところで私達NPOは、 こんな時「じゃあ、 我々NPOのためにはあなた達は何ができるのか」を常に問うようにしています。 条件を明確にした上でないと話には乗らないようにしていますので、 商店街にも「持っているノウハウや人は提供することはできる。 あなた達は何を提供してくれるのか」と申し上げたところ、 「活動場所なら安く提供できる」という返事でした。

 そこで私達は、 商店街の中の34坪の土地にNPOワークセンターというプレハブ2階建てを350万円で建てました。 そこでNPOの受付や紹介、 イベントまで出来るような仕掛けを作ったのです。 7月にはNPOと商店街の共同企画でお祭りをするのが最初の仕事ですが、 これからはもっと日常的に活性化の事業について協議していく予定です。 地域に根ざすという点では我々も商店街も同じ立場ですから、 いい共通点を見いだせるだろうと思っています。

 それから婦人会との関わりについてです。 行政系・地縁系のトップバッターとしてあげられるのは婦人会で、 昔は「泣く子も黙る神戸の婦人会」と言われるほど強い存在だったそうです。 その婦人会が今、 NPOに触発されて活動内容が変わってきています。 婦人会をNPOの組織にしたのが、 神戸で10ある「輝」という組織です。 ただ元気のあるところ、 ないところの差はあるようです。 元気のあるところはしっかりとやるべき目標を持っていますが、 組織だけを守ろうとして何をすべきか明確でないところはやはり元気がないようです。 そんな所には我々としても持てるノウハウを提供して、 地域のためのテーマづくりを一緒にやろうと持ちかけました。 この間から、 そのための寄り合いをもっています。

 いろんな所でそれまでのボランティアの概念を超えた活動をしていると、 思わぬ所から攻撃を受けることもあります。 社会福祉協議会の傘下でないと助成金も出ないしボランティア保険に加入できないため、 我々CS神戸も中間支援組織として社会福祉協議会にボランティア団体の登録をしに行ったところ、 「福祉ボランティアなのに、 事業をして利益を出す団体は社会福祉協議会の理念に反する。 受け付けられない」と言われました。 私達と2回にわたって話し合った結果、 ようやく受け付けてもらったのですが、 厳しいスタートでした。

 今ではまあまあいい関係になって、 社会福祉協議会からも大きな委託事業を一つ受けました。 これは、 障害者の作業所の商品の集積販売所です。 また、 社会福祉協議会の人も我々のプロジェクトに参加して素晴らしい仕事ぶりを見せてくれるなど、 いい連携が出来つつあります。

 このように様々な団体が地域にはたくさんあり、 我々と一緒にいろんな内容の仕事をしています。 これが一言で言えば「まちづくり」ということになるのでしょうが、 そんな現状です。

 ただ関わりで言うと、 今、 企業団体との結びつきがほとんどないのです。 個別の企業にはNPOを応援してくれるところもあるのですが、 商工会議所のような企業団体とNPOの結びつきがありません。 また、 議会とNPOの結びつきがまったくないのもおかしな話だと思います。 本来なら議会は住民の代表として構成されているのですから、 地域に密着したNPOともっと関わりがあってもいいと思うのですが、 現状ではお互いに敬遠し合っているようです。


行政への注文

 NPO活動を続けていく上での課題を最後に申し上げます。 いろいろありますが時間がないので、 最も身近な存在である行政への注文という形にします。

 行政がまちづくりを考えるとき、 常に組織の側から発想しているのですが、 それを変えて欲しいと申し上げたい。 震災後に、 地域の中でまち協、 コミュニティプラザ、 防災福祉コミュニティなどいろんな組織が出来たのですが、 顔ぶれはどこも一緒なんです。 地域の人々に言わせると「震災後は会議ばっかりで、 めちゃくちゃ忙しくなった」ということです。 でも、 どの組織も看板が違うだけで、 従来の地縁団体にいた人たちが掛け持っているだけの話です。 結局、 新しい組織を作っても何もできないというわけです。

 ですから、 組織を作る前に、 きちんと意思決定できる誰かを作って欲しいのです。 組織より人を重んじるようにして欲しいと思います。 つまり、 結果の平等より機会を平等にして欲しいわけです。 行政の発想もそうした大胆な変革をしないと、 まちづくりなんて口先で終わってしまうんじゃないでしょうか。 現に今私があげた私達の活動で、 行政が財政的にサポートしてくれたものはほとんどありません。 ほとんどが、 東京や大阪の財団に申請をして得た活動資金なのです。

 それから、 まちづくりの基本は実態を知ること、 地域の人たちに聞くことだと申し上げたい。 机上のプランニングからはまちづくりはできないということを、 私も震災後に嫌というほど分かりました。 地域を知れば知るほど、 いいプランニングが出来るし、 住民1人1人の「よし、 まちづくりをしよう」という意欲につながっていきます。 よいまちづくりは、 人びとを自己実現の世界に導いてくれるのです。

 ですから、 まちづくりはまず最初に人に聞くこと、 それから実態をお互いに共有することが基本だと思います。 お金を投入するのだったら、 まずそこにつぎ込めと申し上げます。

 もちろん、 行政側だけではなく我々市民側にも反省すべき点はあります。 行政から言われるんじゃなくて、 我々自身が自覚してまちづくりに参加しなくては意味がないでしょう。 そのために、 われわれNPOもリスクを背負って活動しています。 どういうことかと言うと、 初めての地区に入るときは警戒されますし、 実際に自治会や婦人会から来なくてもいいと言われることもたびたびあります。 そうした旧来の意識を引きずる人びとも納得できるよう、 我々は活動しているのです。 ですから、 行政には我々を後押しして欲しいのです。 NPOとしてはちゃんとリスクを背負える人を作ろうと思っています。

 以上が私の報告です。

司会

 ありがとうございました。 お話をうかがっていると、 ソフト分野で活動されている人の方が、 ハード分野の人より新しい課題や視点を見いだして、 どんどんとネットワークを広げているという印象です。

 では続いてハードの専門家である森崎さんからの報告です。 森崎さんは須磨区の一市民としての視点を持ちながらまちづくりに携わってこられた方ですが、 震災後は都市計画と建築の中間領域のような仕事をしながら、 まちづくり建築家として発言をしておられます。

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