南芦屋浜公営住宅では今だんだんと入居が進んでいて、 ようやく街の形が完成した段階です。 今日はその南芦屋浜のコミュニティ・アート計画推進機構の代表者の方々に集まっていただきました。
ではまず兵庫県、 続いて公団、 そして地元である芦屋市の立場からそれぞれお話しいただき、 最後に延藤先生から課題を中心に述べていただきます。
今回の震災はまさに都市を直撃した大災害で、 しかも高齢社会の様々な課題を認識させた災害でした。 特に家をなくした被災者にとっては、 「家の確保」が最大の課題となりました。
調査によると約13万戸の家が滅失していました。 空き家等の関係もありますので、 県としては3か年で125,000戸の住宅を確保・供給しようということになりました。 一日も早く避難所から仮設住宅へ、 そして仮設から恒久住宅へ移ってもらおうと今日まで努力してきたわけです。
その過程で仮設住宅の入居者の調査をすると、 65歳以上の世帯主は42%、 年収300万円以下の低所得者の世帯が7割を占め、 「公営住宅などの公的借家に入りたい」と希望する人が68%と非常に多いことが分かりました。 これは公的な住宅が果たすべき役割が大きいことを認識させるものであり、 職員一同がそうした意識で取り組んできたわけです。
その中で公営住宅は38,600戸を目標にしたのですが、 用地の確保、 予算、 それにできるだけ早くとの要望に応えるための工期の短縮等々の問題がありました。 住宅・都市整備公団に色々なお願いをし、 新しい取り組みとして公団住宅を県や市が買い取りや借り上げをするという措置もしました。 おかげさまで現在では、 ほぼ目標が達成できる見通しになっています。
仮設住宅についてですが、 98年4月1日現在で21,400戸に入居しておられ、 そのうち公営住宅が必要な世帯は約17,000戸です。 12,000戸はすでに公営住宅への入居が決まっています。 実質5,000戸程度の世帯がまだ入居先が決まっていないのですが、 それについては4月24日から公営住宅約6,000戸の募集を行っており、 その中で入居先を決めていただけるものと思っています。 少なくとも仮設で公営住宅を希望している人については、 ほぼ目途がついた状況です。
高齢者対応住宅としては、 協同利用空間のあるコレクティブ・ハウジングを261戸供給しています。 仮設住宅入居者にはグループで応募ができるようにしましたし、 ペット連れで入居できるモデル的な住戸もつくりました。 従来のただ建物を造るだけの公営住宅と違って、 入った後の住みやすさを重視したわけで、 これらが今後評価される観点だと思います。
住みやすさを重視したのは、 仮設住宅から恒久住宅に移った高齢者が、 鉄の扉の中に一人取り残されることがないように配慮したかったからです。 自治会等の立ち上げはもちろん、 入居した後も楽しく生活できる環境が必要だと考えて、 新しい取り組みを導入しました。 例えば、 仮設住宅の中で「ふれあいセンター」が効果を発揮したことから、 新しい公営住宅でも「コミュニティプラザ」と名付けた集会所を設置しました。 生活支援者の拠点づくりや入居者の団らんの場にしてもらいたいと思っています。 また、 南芦屋浜では入居者の事前交流の場も設けました。 いろんな人にお願いして、 交流の場をいろいろと広げられるような工夫をしてきたわけです。
今回の震災は大変不幸な出来事ではありましたが、 このような公営住宅ができたことは住宅ストックの面から言えば大きな前進ではないかと考えています。 また、 これらの取り組みが今後の超高齢社会に向けた住まい方の先進的な例として、 全国に発信できるのではと考えている次第です。
大規模住宅供給における公団の役割は随分と大きかったと思います。 震災後の公営住宅における公団の立場あるいは公的住宅全体についての課題などをお話しいただきたいと思います。
住宅の供給について、 国は最近「できる限り市場原理にまかせたい」という考えです。 国や公共団体が、 直接個人の住宅に関わる必要はないという傾向になっています。
しかし、 我々は必ずしもそうではないと考えています。 例えば最近の統計では「全国の住宅面積はかなりの水準に達している」となっていますが、 持ち家と貸し家ではかなりの開きがあり、 持ち家平均面積120m2に比べ貸し家平均面積は45m2で、 大阪でよく見られる木賃平均となると35m2にすぎません。 貸し家についてはまだまだ劣悪な水準です。
また、 市民の経済力がそのまま住宅や環境に反映されているのが現状で、 低所得者ほど劣悪な環境にしか住めない状況になっています。 今回の震災は、 まさにそうした住環境問題をあらわにしたのではないでしょうか。 ですから、 今日の日本では公的住宅が高齢者、 低所得者に一定レベルの住宅を供給する使命がまだまだあると考えています。
なぜそういう形になったかと言うと、 一つは大量の住宅を短期間に建設しなければならない事態において、 公営住宅の担当者が不足していたので、 公団の組織力や技術力が買われたのだろうと思います。 そして、 公団には住宅建設資金が豊富にありますので、 公団の資金を使って公共団体に借り上げてもらうことで公共団体の一時的な財政支出を抑えるという面もあったのではないかと考えています。 いずれにしても、 この43年間に培った住宅建設の実績が評価されたのでしょう。
建設に当たっての課題としては、 大量の住宅を短期間にという条件の下でしたが、 ただそれを満たすだけでは現在の住宅ニーズに応えられないだろうという問題がありました。 建物を建てただけでは後世に残していくべき財産としての評価には耐えられないでしょうから、 我々としてはいろんな工夫を重ねました。 デザイン、 色彩、 配置、 またソフト面についても先ほどの畑さんのお話にあったように公共団体が斬新な取り組みをされましたので、 公団がそれをサポートする形を取りました。 ハード面だけでなくソフト面についても、 いろんな試みができたと思っています。
畑:
ちょっと補足しますが、 公営住宅や公団住宅の供給枠が、 それぞれ決まっているなかで、 公営住宅を市街地内で早期・大量に供給するためには、 公団住宅を買い取ったり、 借り上げる手法が不可欠であったわけです。
いざ、 どこの公団住宅を買い取ったり、 借り上げるかをやり取りする段階では、 こちら側の希望する場所や供給時期と合わなくて、 当初はなかなかスムーズに話がまとまらなかったのですが、 公団さんには、 用地の確保や工期短縮にがんばっていただき、 計画通り供給できる見通しとなっております。
小林:
30,600戸の供給にあたっては、 そんなやり取りがあったのですか。
畑:
そうです。 公団さんには、 最終的に民間賃貸住宅借り上げ計画枠の一部も引き受けていただいており、 大いに住まい復興に協力していただいております。
お二方に今回の震災復興公営住宅全般の流れを説明していただきましたが、 ここで地元である芦屋市にとって南芦屋浜公営住宅はどんな意味があるのかをお話しいただきます。
芦屋市はあの地震で全・半壊家屋が全市の5割を超える惨状でした。 一部損壊を含めると93%、 つまりほとんどの家が何らかの被害を受けたわけです。 テレビでは神戸の被害が主に報道されていましたが、 芦屋市は全市が壊滅的被害を受けたと言っていい状況で、 人口も震災前の87,000人から75,000人に減りました。 12,000人の減は、 被災都市のなかでは減少率が一番高いのではないでしょうか。 今は、 おそらく78,000人ぐらいと推測していますが、 3年ではとても元の人口に回復できません。
そのような打撃のなか、 芦屋市は仮設住宅を市内44か所、 2,914戸建てました。 まとまった土地がありませんので、 とにかく仮設住宅を建てられる場所にどんどん建てていきました。 ですから、 学校グラウンドに建てた仮設住宅の撤去が我々の最初の課題でした。 仮設住宅の統廃合も含めて、 仮設住宅解消の努力をしてきたわけです。
そんなとき、 県から南芦屋浜の埋め立て造成地の利用計画を一部変更してもよいというお話がありましたので、 災害復興住宅をお願いしたわけです。 それが市営住宅400戸、 県営住宅414戸という計画になり、 芦屋市の恒久住宅として活用できました。 完成間近の埋め立て地が南芦屋浜にあったことは、 大きな救いです。 県営住宅にも芦屋の人が多く入居できることになり、 芦屋市民の生活再建に大きなウエートを占めています。
仮設住宅の現状ですが、 4月1日現在で950戸残っています。 そのうち、 南芦屋浜やその他の公営住宅に移る人は約650戸、 その他の人についても公営住宅等に移るよう斡旋しています。 それ以外の自宅再建を決めている人も、 そろそろ立ち上がりを見せています。 ただマンション再建の人が遅れていますが、 そういう若干の遅れを除けば、 この5月末には仮設住宅はほぼ解消できるのではないかと思います。
引っ越し期間を含めても、 6月末には仮設住宅に住んでいる人をゼロにしたいと考えています。 それができるのも南芦屋浜公営住宅がこの3月に完成してくれたおかげで、 芦屋市としては大変助かっています。
小林:
お話の最後にあったように、 南芦屋浜は「21世紀のまちづくりにふさわしい場所」ということで、 私たちもコミュニティ・アートの取り組みを始める前に随分と議論いたしました。 従来のイメージですと、 低所得者向き、 公共住宅=安物、 と見られてしまうのですが、 そうではなくレベルの高いものにしようと取り組みました。 ただあまりそれをやりすぎると工期がベタ遅れになってしまいますので、 その辺の動きを見ながら取り組んだつもりです。
いろんな新しいものを取り入れた公営住宅になりましたが、 延藤先生はそれ以前から共同住宅におけるコミュニティづくりに取り組んでこられています。 その観点から今回のすまい・まちづくりの全般的な感想や残されている課題について、 ご指摘いただきたいと思います。
震災が問いかけたこれからの住まい、 まちづくりの課題はたくさんありますが、 その中から大きなものだけをまとめてみたいと思います。
まず最大の課題として指摘しておきたいのは、 コミュニティが危機管理の大きな力になることが社会的に明らかになったことです。 地域における日頃の人と人との関係、 ごく当たり前の光景がこの十数年の間に消えつつある現代社会にあって、 大事なことはもう一度人と人との関係を再構築することではないでしょうか。
公営住宅について言えば、 そこに住まう人の気持ちづくり(例えば愛着を持って住めるかどうか)も含めて住宅づくりをしていくことが求められていると思います。 言い換えれば、 住宅の供給者という立場だけでなく、 入居者がゆるやかに共同生活への愛着を持てるようサポートする役割が、 これから注目されるのではないかと考えています。 もちろん供給者としてはこれまで大きな役割を果たしてきたのですが、 これからの時代には物をいかにつくるかだけでなく、 気持ちづくり、 コミュニティづくりを後方から支援するソフトな面での役割が問われてくるのです。
高齢者の安心居住の場としては、 段差がないとか、 いざというときの警報装置が付いているというハード的な部分も大事ですが、 それより日常的に回りの人間関係に支えられていることの方が大きいのです。 とりわけ地域型仮設住宅では、 高齢者にとっての家とは人間関係ではないかと思えるほど、 その傾向が見られたようです。
ですから、 今回の公営住宅が高齢者にとっての居場所づくりを提起したことは意義が大きいと思います。 しかも、 高齢者だけを集めたのではなく、 回りに多世代が住んでおり、 子供の存在が感じられることは高齢者の命の刺激になるわけです。 高齢者は同世代同士の支え合いだけでなく、 多世代からのさりげない支え合いを期待しているという面が非常に強いのではないかと思います。
公営住宅はこれまで世代や職業、 生活に対する考え方などの同質性で固まってきた雰囲気がありますが、 これからはむしろ異質性が混じり合うことでコミュニティの心地よさ、 豊かさが生まれてくるのではないかと考えています。 高齢者にとっての安心居住の課題として、 どうしたらあらゆる階層と接点が持てる開かれたまちにできるかが問われていると思います。
今回の公営住宅もその点を大事にして、 いろいろと取り組まれてきたようです。 いわば「みんなの居場所は私のもの」、 つまりコモンの中に「私」が積極的に関わっていける仕掛けです。 そういう仕掛けから、 家に人々を招けるような交流が広がっていくのです。
従来の団地では、 公共スペースはよそよそしく誰も入っていかない空間としてとらえられていましたが、 これからの公営住宅の公共スペースでは、 いつも誰かがいる非常に柔らかいコモンスペースがあって、 個人の家の回りにも生活が自然とにじんでくるというパブリックと個性が溶け合うような空間づくりの仕掛けが大事ではないでしょうか。 空間の作り方そのものに、 よきコミュニティを育んでいく知恵が求められているのです。
それらの課題を一言で言うと、 今後の公営住宅はハードとソフトがどのように結び合うのかということになるでしょう。 ハードを工夫することによって、 ソフト(人間関係)に刺激を与えます。 公共の立場ではコミュニティづくりをサポートしながら、 ハードを時と共に育むことになっていくと考えています。 公営住宅が高齢化社会のモデルとなりうるハードとソフトを生み出していけるのかが問われており、 今回の南芦屋浜公営住宅はその最初の試みとして評価されるべきプロジェクトだと思います。
1 震災復興と南芦屋浜の公営住宅
―その役割と課題
兵庫県の立場から
災害の規模・特徴
畑:震災復興公営住宅の特徴
また、 今回の震災復興公営住宅の取り組みについて、 我々は先導的と言える新しい住居形式の導入も行いました。 例えば、 約4,000戸のシルバーハウジングを建設し、 段差のないバリアフリー設計はもちろん、 緊急通報装置(何か異常があればすぐに連絡できるシステム)やLSA(ライフ・サポート・アドバイザー)の常駐・巡回体制の導入です。
公団の立場から
小林:公的住宅の使命
塚本:公団の役割
さて、 今回の震災復興事業における公団の役割は、 3年間で18,000戸を建設するということでしたが、 それは概ね達成できました。 18,000戸のなかで、 公団が公営住宅建設支援の役割を果たした部分がかなりあります。 公団が建設し公共団体に買い取ってもらった住戸が2,700戸、 公団が建設し20年間公営住宅として借り上げていただく形式の住戸が3,500戸、 今回の芦屋浜の県営住宅のように建設を担当した住戸が約1,500戸あり、 トータルで7,600戸の公営住宅建設の支援をしました。
芦屋市の立場から
小林:芦屋市の状況
西村:生活再建の核となった南芦屋浜
仮設住宅の次は、 恒久住宅へという話になってくるのですが、 芦屋市には公営住宅を建てられるような用地が少ないのです。 短期間での用地を確保し、 住宅も建てるということは、 芦屋市では対応できない状況でした。 全壊した公営住宅の再建を含めても、 南芦屋浜以外では200戸しか建てられませんでした。21世紀へ向けた南芦屋浜の位置づけ
また公団にお願いしたとき二つの要望をしました。 一つは「98年3月までに完成してもらいたい」、 もう一つは「南芦屋浜は21世紀の芦屋を代表する場所になるので、 新たな芦屋と今までの芦屋のイメージが整合するような設計をしてほしい」ということでした。 厳しい条件下でのまちづくりでしたが、 大変な努力で実現していただきました。
公営住宅の課題
小林:コミュニティの再評価
延藤:高齢者の住まいとして
そのことと関連するのですが、 2番目に指摘したいのは、 この災害復興住宅には高齢者が多く住まわれることです。 一般の公営住宅でありながら、 その中にシルバーハウジングやコレクティブハウジングを取り入れて高齢者に配慮しているのは評価されるべきです。コモンに積極的に関われる仕掛け
3番目に指摘したい重要な課題は、 集合住宅の空間づくりにおいて「ボーダーレスな仕掛け」を意識しようということです。 人と人との関係を生み出すコミュニティづくりは、 ソフトな面でのプロセスと共に空間の作り方に工夫が必要です。 そこに住みながら回りに気持ちが広がっていくという空間上の仕掛けがとても大事だと思います。 高層住宅は鉄の扉に閉ざされて住まわざるを得ないという制約があるが故に、 よけいに内部空間と外部空間とのつながり、 パブリック空間とプライベート空間の境目をゆるやかに解きほぐすようなデザイン、 レイアウト手法が求められるわけです。
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