阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク
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パネラー報告3

御蔵地区のまちづくり活動

まち・コミュニケーション 宮定章

司会

 続いて神戸市西部からの報告です。 まず若手の宮定章さんに御蔵地区のまちづくりについてお話しいただきます。 今まで話していただいた山本さんや後藤さんは本職のコンサルタントとしてまちづくりに取り組んでいるのですが、 宮定さんは「まち・コミュニケーション」というNPOに近い団体に属しながら、 住民と一緒にまちづくりに取り組んでいます。 本職は休学中の大学院生だそうです。

宮定

 私達の「まち・コミュニケーション」という団体は、 震災当時に生活情報支援をしようと東京からボランティアが駆けつけてきたことがそもそもの始まりでした。 最初のうちは「生活復興かわらばん」というニュースを配布していたのですが、 そのうちまちづくり活動へとつながっていきました。 活動をしている中でまちづくり協議会の人とも知り合い、 「会議の議事録を採ってくれないか」ということから始まり、 それ以降、 私達の出来る範囲でまちづくり協議会の支援をしています。 私自身は去年来て、 地区の活動に携わっているところです。

 私達の活動範囲である御蔵通5・6丁目の地区の概要を説明するところから始めます。


地区の状況

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震災前の御蔵地区
 震災前は職住近接の人が多く、 住工商が混在しているまちでした。 路地も多い典型的な下町でした。 住民の特徴としては、 店子さんと呼ばれる借家住まいの人が多く、 人口の約60%を占めていました。 古い木造住宅が多かったので地震後の火災ではすぐに燃え上がり、 地区の8割が焼失してしまいました。

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仮換地(2001年1月23日現在)
 現在は区画整理がかかっていて、 仮換地が徐々に進んでいるところです。 仮換地が決まったということは「ここに自分の家を建てていいよ」ということで、 青い部分が再建されたところです。 緑部分も建設可能な土地なのですが、 諸々の事情で建てられない人が多く、 空き地の多い地区になっています。

 この地区は震災前は340世帯ほどが住んでいたのですが、 2001年現在155世帯しか戻ってきていません。 しかも155世帯のうち市営住宅に入った人が100世帯もあるので、 まちの中には55世帯しか戻っていないという状況です。 ですから空き地が多いのが、 今の御蔵地区の現状です。


地区の活動

 震災後の1996年4月に地域で「共同住宅を建てないか」という話が出て、 まちづくり協議会の人と一緒にヒアリング調査をしました。 結果、 11世帯が集まり、 共同住宅『みくら5』を建てることになりました。

 みくら5は2000年に竣工し、 その1階に地元企業の協力で「地域コミュニティスペース・プラザ5」ができたのです。 そこが私達の活動拠点になっています。

プラザ5で行った地域活動

 コミュニティ道路や住宅建設など目に見えるハードなまちづくりに向けての活動は、 御蔵通5・6丁目まちづくり協議会が中心になって行っています。 また、 それ以外に地元のご婦人達が中心になってイベント活動が盛んに行なわれています。 これは「道路や建物ができても人が戻らなかったら意味がない」ということから始まったもので、 主にコミュニティ作りに力を入れています。

 私達は両方を支援しています。

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わが街の会の活動
 ご婦人方の作っている会の名前が「わが街の会」と言います。 月に1回、 地域の人と一緒にまちのクリーン作戦を展開していますが、 これには地域の人がほとんどと言っていいくらい参加しています。

 また、 プラザ5では日曜日にお年寄りと一緒にお茶を飲む「ふれあい喫茶」を開催していますが、 これにも「わが街の会」が手伝ってくれています。

 それ以外にも、 地域の看護婦さん3人が協力してお年寄りの健康チェックをしたり、 食事会を開催するなど多彩な活動を展開されています。 また、 プラザ5にいつも花を飾ってくれるおばあちゃんもいて、 きめ細かい心配りも見せてくれます。

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菜園づくりと写経の会
 地区内に公園用地はあるのですがまだ整備されていないので、 許可をもらって地域の人と一緒に花壇や菜園を作りました。 生ゴミをたい肥にして野菜作りをしたところ、 予想以上に大きな野菜がとれ、 ふれあい喫茶や食事会でおいしくいただきました。

 このほか、 7回目の慰霊祭が行われた際、 写経を慰霊モニュメントのカプセルに入れようという案が出て、 写経などもいたしました。 また、 リサイクルを考えようと紙漉教室をしてみたり、 よその地区のことも知っておきたいと西区のアジサイの家を見学したりと、 2カ月に1回は方々へ出かけています。

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パソコン教室
 パソコン教室も行っており、 毎回十数人が参加しています。 すでに3回の卒業生が出ており、 この地域ではパソコンが使えるお年寄りが増えています。 「やり方を忘れた」とおっしゃる方も中にはいらっしゃいますが。

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慰霊モニュメントの建設と台湾料理
 台湾で地震が発生したとき、 この地区でも住民自ら交流活動を行いました。 その時覚えた台湾料理の料理会も催しました。

 それと、 震災後7年目を迎えるにあたってモニュメントを建設することになったのですが、 それも鉄筋コンクリートを打つところから地域の人々の手で行われました。

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盆踊りと月見の会
 夏には盆踊り、 秋には月見の会を催しています。 ご婦人のパワーがすごくて、 最近では僕たちが音頭をとらなくてもみなさんが率先して計画をたててやってらっしゃいます。 もちつきをしても僕たちの方が、 むしろ教えてもらっている格好です。

 それ以外の行事としては、 2回台湾へ交流旅行をいたしました。 向こうの人と一緒に歌を歌ったりしたのですが、 後で通訳していた方に聞いたのですがあちらの人にも喜ばれたようです。

現在の地区活動と今後

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活動7年目を迎えて
 御蔵通5・6丁目をまちづくりの舞台として、 プラザ5を中心に地域の人に応援してもらいながら活動してきましたが、 7年を迎えて地域の人にもだいぶ疲れが見えてきました。 人間関係もいろいろあるようで、 日々の活動はちょっと停滞気味です。

 そこで活動範囲を5・6丁目以外にも広げて、 今は御蔵通を超えて御菅通にもビラを配布して新しく人を呼ぼうとしているところです。

 特に地域の課題としては空き地の多さをどうするかが悩みの種で、 まちの方の希望としてはやはり高齢者よりは若い人に地区に来てもらいたい方が多いようです。 そこで、 どうすれば若い人が定着するのかを先生方を交えて話し合った結果、 最近では子供を預けて働きに行く若いお母さんが多いので、 そのような方でも住める地域で子供を育てられるようにしていくべきだとの結論になりました。

 そこで、 プラザ5の横近くに仮設コンテナを設置し、 ここで子供を集めて遊べるような企画を展開しているところです。 なお、 仮設コンテナはプラザ5を建設するとき協力してくれた企業が提供してくれました。

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子供スペースでの活動
 最初は保育所を考えていたのですが、 保育所を地域の人と僕たちでやるのは無理があるので、 出来ることから始めようと、 土曜日に子供中心の催しをやっています。

 行事は、 5月の節句と七夕の2回行いました。 5月の節句の時には、 鯉のぼりの鱗をみんなの手形で作ったり、 チャンバラごっこをして楽しみました。 あと、 「わが街の会」のご婦人方にも手伝ってもらってホットケーキ作りをしたのですが、 子供たちは本当に楽しそうでおなかいっぱい食べてくれました。 七夕の時も「わが街の会」にこより作り等手伝ってもらっています。

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仮設コンテナの内装づくり
 仮設コンテナを提供してもらったのですが、 内装は自分たちでしようと頑張りました。 ご婦人方に「やっぱりキッチンは大きい方がいいよ」と知恵もつけてもらい、 みくら5の設計をしてくれた人に設計図を描いてもらって、 今みんなでタイルを貼ったりフローリングを張ったりしているところです。 「ここで子供に英語を教えたい」という希望を持っているおじさんが、 毎日来て内装等をやってくれています。

 今までは活動の対象の中心がお年寄りが主だったのですが、 活動の幅を広げる上でも「子供」という対象は良かったです。

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まち歩きで活動の幅を広げる
 先ほど後藤さんが言われた「歩いて暮らせるまち」を自分たちの足でも確かめようと、 まち歩きを実践しました。 また、 日頃から地域のおじいさん、 おばあさんが「まちを一人で歩くのは怖い」と言っていたことから、 この際お年寄りも誘って一緒に歩いてみました。

 その時感じたのですが、 お年寄りの徒歩圏はとても狭くて300mも歩くと一休みしないといけないのです。 なのに、 町なかにはそうした休憩スペース、 座る場所がないのです。 300mごとに喫茶店に入るわけにもいかないので、 町なかにもっと多く座れる場所があるといいなと思いました。

 また、 地域にはお地蔵さんも数多くあります。 私達の仲間である西山さんが調べています。 これをやっていると、 どうしても地域の人と話す機会が多くなるので、 幅広く交流を深めていくにはいい方法でした。 御蔵通5・6丁目の人たちだけでなく、 1〜3丁目まで活動の幅が広がりつつあります。

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よその地域と交流する
 地元の交流だけでなく、 全く違うところとも交流した方がより視点が広がるんじゃないかということで、 まち・コミではいろんな地域との交流企画を考えています。 先ほどの台湾交流旅行もそうですが、 この前はまちづくりの視察という目的で滋賀県の長浜へ行って来ました。

 また行くだけでなく、 よそから来られる場合もあります。 写真は震災2年目頃から交流がある佐用町の方々との交流会です。 修学旅行生が80人ほどやってきて、 地元の人と一緒に炊き出し体験をしたこともあります。 名古屋市の日比野中学校の震災学習では、 まちの人が先生になって震災の様子やお地蔵さん等について話してくれました。 やはり体験した人が語り手になると話もリアルで、 中学生は真剣に聞いてくれて中には泣き出す子供もいました。

司会

 ありがとうございました。 中学生の震災学習については、 今後も続けたいと名古屋の先生がおっしゃっていました。 まち・コミのみなさん、 今後もよろしくお願いします。

 では4人目のパネラーは、 神戸市西部のまちづくりを代表して真野地区を担当してきた宮西悠司さんにお願いします。

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