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いま、 なぜ「まち住区」か

都市環境デザイン会議関西ブロック 難波健

まち住区論を聞いて

難波

 都市環境デザイン会議、 通常JUDIと言っていますが、 これは土木や建築や造園といった人たちが都市空間に関するハードやソフトについて啓発しあいながら勉強するための組織です。 今日はその関西ブロックの会員としての立場から、 県や市の行政から離れて自由な立場でお話しさせていただきたいと思います。

 私の本職は県の都市計画課の職員で、 今は用途地域とか線引きといったいわゆる都市計画行政を仕事としています。 震災直後の4月から4年間は、 市街地整備課で住環境整備の密集事業や改良事業を主にやっておりました。 神戸市では区画整理や再開発は市が直接やっていますが、 住環境の事業は県が関わっていましたので、 国と市との間で、 橋渡し的な役割をしておりました。

 さて、 私とまち住区との関係ですが、 先ほど紹介された1993年7月10日のシンポジウムで、 小林さんが「水谷論文=町住区概説」という演題でお話しされたことを覚えております。 この時、 小林さんご自身も「難解だ」と言われていたぐらいですから、 聞いていた私などはあまりよく分からなかったというのが正直なところです。

 それから、 今年の5月に神戸市民まちづくり支援ネットワークで、 森崎さんが「まち住区論と野田北部のまちづくり」として、 理論ではなく実践としてのまち住区を語られました。 これは少しわかった気になりました。

 ではまち住区論をどう考えるかですが、 市や町は住民とのインターフェースを持っておられますが、 県はせいぜい市町の職員が相手で、 原則的に住民との接触がありません。 ですから、 どうしても抽象論に走ってしまいます。 そういう話としてお聞き頂きたいのですが、 私はまちは生まれ、 育って変化してゆくものだと思います。 住まわれ方や経済活動や土地利用や建物の形態とか景観形成施策などの様々な動きや条件のなかで、 変化し、 場合によってはなくなっていくのです。 だけれども、 普遍的な都市の全体構造は残っていて、 その構造の中でまた新しいまちに置き換わっていくというイメージでまち住区論と都市の関係を捉えています。

 遊芸空間や交通・情報生態系など、 水谷論文にはいろいろ難しいお話があるのですが、 それはその時々に存在するまちのなかの一つの形態に過ぎないのではないかと思います。 先ほど後藤さんが勝負を仕掛けていると言われたHAT神戸にしても、 つい最近まで工場であり、 神戸を経済的に牽引していたわけです。 それが今度は住宅地になっています。

 「新しいまちづくりで、 HAT神戸はいいまちができるだろうね」と神戸市のある人に言いましたら、 「こんな短時間でやるんだから、 そんな良いものができるわけがない」という答えが返ってきました。 新在家とHAT神戸の勝負がつくまでに後藤さんは30年、 小林さんは100年はかかるだろうとおっしゃったわけですが、 それはまちの完成とか到達点というのではなく、 あくまで勝負ができる場が設定される時期の目安といったところでしょうか。 その時も、 何も現在の延長線上にまちがあるとは限らないのです。 どんどん中身は変わっていきます。 中身の変化を継続しながらまちができていくというのがまち住区で、 その中で我々はある時期の都市空間のハードなりソフトなりに精を出して良いものをつくっていこうということなのだと思います。

 では今なぜまち住区は大切なのかというと、 まさに右肩上がりの時代から、 どうなるかわからないような時期に来ているからです。 都市の中も、 工場であった所が住宅になったりといったことが起こっています。 そんな中で何を見ていくのか、 どういう構造を維持しながらどんな中身をつくっていくのかが問われているのだと思います。 まち住区なりコンパクトシティは、 「本当に我々は何をつくりたいのか」を問うているのだと思います。


まちづくり都市計画へ

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人間サイズのまちのネットワーク概念図(兵庫県)
 ところで兵庫県は一昨年の3月に県の役割や市・町の役割をうたった「まちづくり基本条例」をつくりました。 その一連の流れの中で、 まちづくり基本方針にあたる「まちづくりグランドデザイン21」を昨年策定しております。 県は「人間サイズのまちづくり」と言っております。 神戸のコンパクトタウンと同じようなことで、 日本語だから理解しやすいはずなのですが、 「まちづくりグランドデザイン21」のパンフレットは字も細かいし、 たとえば人間サイズのまちのネットワーク概念図というのも載っているのですが、 分かりづらいものになってしまっています。

 「人間サイズのまちづくり」のキーワードとして、 生活者の視点とか、 県民と行政のパートナーシップとかいった言葉が出てきます。 先ほどの抽象論に陥りがちな県行政のスタンスを変えようという試みを実のあるものとするためには、 市町も住民ももっと県に対して主張し、 問題を投げかけて、 県の反応の変化を見ていくような展開があればこの「まちづくりグランドデザイン」も生き生きしてくるのだと思います。 いずれにしても、 条例も、 グランドデザインも、 県が県の立場でまちづくりを応援していこうということでつくられたものです。

 JUDI関西の2000年3月のセミナーで「まちづくり都市計画」について、 私を含めた兵庫県の都市計画課のメンバーで報告しました。 都市計画はかっちりとした体系を持っていて、 ある意味では堅いものです。 兵庫県では一昨年の1年間だけまちづくり部という組織がありました。 今は県土整備部のまちづくり局となっていますが、 その最初で最後の部長であった田中部長の発案で、 そういった硬い都市計画がまちづくりにどのように貢献できるのかを研究ました。

 都市計画法にしたがって都市計画の決定をするのが我々のやっている法定都市計画ですが、 そこにはいろんな技術を持っているわけです。 そういう技術をただ単に都市計画決定だけに使うのではなく、 まちづくりで使えないか、 都市計画を手段として使うという発想に転換しようという考えです。

 体系として都市計画があって、 その中にまちづくりが組み込まれるのではなくて、 住民がやっていくまちづくりのなかに都市計画の技法を活用していくということが、 本来のまちづくりであり、 それをお手伝いするのが都市計画の向かうべき方向ではないかということを打ち出しております。

 これはまだまだ研究の段階で、 オーソライズされたものではなく、 一つの考え方に過ぎないわけですが、 私は今後、 国や県の行政はそういう方向に行かないと、 住民からだんだん見捨てられて役にたたない仕事になっていくのではないかという危惧を持っています。

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