きんもくせい50+36+6号
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「NPOに代表性はない?と問われて」

NPO法人CS神戸理事長

中村 順子


  被災地発ボイスがまた一つ減ったと「きんもくせい」の休刊を残念に思っていたところ、再発刊のお知らせがありひそかに喜んでいました。一読者として桟敷席から物見気分で拝読していたのですが、前回のリレートーカー中島克元氏からいきなりのご指名は昼寝をたたき起こされた感じです。でもせっかく与えられた機会ですから目をこすり頭をふりふりしながら、のど仏に引っかかっているNPOの代表性についてここで考えてみます。
 某神戸市某市民活動支援課某氏いわく、「NPOを地域の代表とは思っていない。好きな人たちが好きなことを勝手にやっているだけ。行政にモノいうのなら地域の認知をもらって来い」つまりNPOは地域から何の選出行為も受けていない気ままな団体である、地域活動や事業を行うなら地域団体の賛同を得てくること、と言っておられます。NPOは手をあげれば誰でもできる無責任な団体といった認識をお持ちなのでしょう。
 たしかに自治会など地域団体は一定の居住地を共有する住民が何らかのルールに基づいて代表権を得た人々で運営されています。社会の基礎的な集団としての代表性があります。
 一方、NPOのもつ地域性は構成員の国籍・住所など問われることなく事務所の所在地が地域性を証明する程度です。かかげるテーマや関心を共有し結合する機能的な側面が地域性より強調されます。だからと言ってNPOに地域代表性がないといえるのでしょうか。
 そもそもNPOの設立目的はボランティア活動など市民が自由に社会貢献活動を行い、公益の増進をはかることにあります。多くのNPOは設立の主旨に従い、高齢者ケア、障害者ケア、青少年育成、環境保全、文化スポーツ活動など身近なところでたくさんの市民サービスを提供しています。サービス受益者はテーマや関心の代表としてそのNPOのサービスを受け、支援しているのです。NPO法人だけでも神戸市で約200団体、1団体の受益者、提供者、支援者含め関連者が平均500人としても10万人からの信託を受けていることになります。NPOは受益者や支援者や供給者が特定の居住地を共有していないだけで、実は多数の市民から代表権を得て活動しているのです。
 アメリカの社会学者マッキーバー理論でも明らかにされたように、地域団体が居住地共有のコミュニティ社会とすれば、NPOはテーマ関心を共有するアソシエーション社会であり、ともに理論的根拠をもつレッキとした集団なのです。行政的視点からみれば自治会のような基礎的集団がもつ居住性と網羅性に強い信頼を寄せるのでしょうが、市民的にみると目的性と機能性に富んだ集団に強い関心を寄せる時代の流れになってきているのです。多様な代表性を認める社会こそ参画と協働を実現できる都市であると思うのですが、某氏いかがでしょうか。

* * *  リレー論文、次は某神戸市某市民活動支援課某氏、あなたです。よろしく。

(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→中島克元→中村順子→)
 


連載【新長田駅北(東部)まちづくり報告・第2部 2】

まちづくりシステムの研究 (2)

久保都市計画事務所

久保 光弘



 8月末、都市環境デザイン会議(JUDI)関西ブロックの都市環境デザインセミナーで話す機会を与えていただき、「住民主導まちづくりは、複雑系」という演題で講演しました。これは、このきんもくせい連載のアウトラインを述べたものです。
 この時の内容は、JUDI関西のホームページで掲載していただけると思いますので、ご批判いただければ本稿の論議を深める上で幸いです。

2. 「まちづくり協議会」と「まちづくり提案」の2つの制度
 震災復興まちづくりの基盤となったのは、神戸市まちづくり条例(正式名:神戸市地区計画及びまちづくり協定に関する条例)であるが、特にこの中の「まちづくり協議会」と「まちづくり提案」の2つの制度は、まちづくりを進める上で骨格的役割を果たした。このことは、震災復興における多くの地区まちづくりでその有効性が実証され、今日、他都市においてもこの2つの制度が普及し始めている。
 この2つの制度は、まちづくり制度としてロックインされつつあるといえる。

1)「まちづくり協議会」制度
 本論では、「まちづくりの定義」を「市街地形成、コミュニティ形成に関する地区住民等による合意形成組織の活動、及びその活動により計画や市街地の姿へ発現するプロセス」としているが、この「市街地形成、コミュニティ形成に関する地区住民等による合意形成組織」が、「まちづくり協議会」である。
 地区の住民、事業者等それぞれ個人が有する事情、利害、考え方等は、千差万別である。まちづくりは、それぞれ異なった個人が原点にある。まちづくりが進行してもそれぞれ事情の異なる個人が基層にあり、何かがある時には、これが利害の問題等として表に現れてくる。
 区画整理のような利害を伴う事業においてそれぞれ異なる個人の意向を一つの価値観としての計画に押し込むことは、無理なことである。それでも一つのまちづくり計画として事業化が進むということは、個人が「学習」しながら「折り合い」を見つけていくから、すなわち個人に「適応」が生まれるからである。「折り合い」とは、個人が他者や全体を配慮してできる自立的な妥協である。このような利害を異にする個人どうしが、一つの計画を共有し、折り合っていく土俵が「まちづくり協議会」である。
 市街地開発事業やルールづくりを行う協議会の決定は、個人の利害に影響するものであることから、時として協議会の決定の無効性や違法性を問う言動、協議会の否定、協議会と対立する組織化の動向等が現れてくる恐れを内包している。
 このため、しっかりした社会的なルール、とりわけ法的な協議会の位置づけと地区の自治を行う上でのルールが必要である。前者については、神戸市まちづくり条例による「まちづくり協議会の認定」としての位置づけがある。後者は「まちづくり協議会規約」であり、協議会設立総会でおいてまず議決すべき重要案件である。
 神戸市まちづくり条例に定められている「まちづくり協議会」は、「地区住民の大多数により設置され」、「その活動が地区の住民等の大多数の支援を得ているものと認められるもの」として協議会の多様性に対応できるものとなっている。しかし地区関係者間において利害が発生する協議会では、協議会会員の資格を「住民、事業者、土地建物の所有者等、地区に関わる全ての人々」としないと機能しない。これは地区内に居住しない地権者等が構成員から除外されている自治会とは異なる点である。
 まちづくり協議会規約は、通常、名称及び事務局、区域、目的、会員の資格、事業・活動、組織、会議・集会、会計・監査等で構成されるが、とりわけ、「会員の資格」と「会議・集会」の事項は重要である。会員の資格については上で述べた。「会議・集会」に関しては、「協議会規約の決定・変更、役員の決定・変更、会計、まちづくり提案、地区計画やまちづくり協定等のルールづくりなど、重要な事項を協議会員全員が参加できる総会で議決する」ということを明確に記載されることが必須である。
 地区のまちづくり協議会は、協議会規約にもとづき、重要事項を協議会総会で議決する、地区の全ての人々を構成員とした地区唯一の合意形成組織であることが必要である。

2)「まちづくり提案」制度
 神戸市まちづくり条例では、「協議会は、(中略)住民等の総意を反映して地区のまちづくり構想に係る提案をまちづくり提案として策定することができる」とし、「市長は、(中略)施策の策定及び実施にあたっては、まちづくり提案に配慮するように努めるものとする」としている。
 後藤祐介さんが、きんもくせい03年7月号で青木南地区の事例紹介で述べられているように、通常は協議会設立後の実績にもとづき市長がまちづくり協議会を認定し、協議会は市長にまちづくり構想を「まちづくり提案」し、まちづくり構想に基づき協議会と市長がまちづくり協定を締結したり、状況によっては施設整備が行われることが、スタンダードであり、その後、さらに引き続いて「まちづくり提案」が行われることは少ない。
 しかし、一般のまちづくりに比べてまちづくりの進展が早い上に、まちづくり課題や町の状況が刻々と変わる震災復興区画整理においては、「まちづくり提案」の様相が異なっている。
 まちづくりの原動力は、まちづくり協議会活動である。まちづくりは、協議会活動のその時その時の結果が「まちづくり提案」に発現され、その積み重ねによって計画形成、ルールづくり、市街地整備が進展するという構図として示すことができる。
 この場合の「まちづくり提案」とは、まちづくり条例に言う一つのまちづくり構想のみならず、まちづくりに関する重要な事項として協議会総会が議決したもので、且つ行政との共有が必要な事項となる。すなわち、「まちづくり提案」は、協議会が市長に提案した事項であり、幅広い内容を含む。
 新長田駅北地区東部の場合、当初の基本まちづくり提案、地区計画提案、シューズギャラリー構想やアジアギャラリー構想のような地域活性化ビジョン提案、いえなみ基準、道路等環境デザイン提案等の計画提案、さらに共同建替や区画整理事業の進捗や状況の変化等に伴って発生する計画変更提案など、多数の計画提案がある。その他、まちづくり組織の変更や新設についての届、いえなみ基準に関する景観形成市民協定、景観形成市民団体の認定申請等、協議会が市長に提案したものまで「まちづくり提案」の概念に含めると、新長田駅北地区東部では、まちづくり提案数が50を超えている。
 「まちづくり提案」は、地区の総意を示すものであるとともに、住民と行政が共有するまちづくり計画であり、「まちづくり提案」が、「協働まちづくり」における基幹的ツールである。
 「まちづくり提案」は、個人の利害のうえに成り立っているだけに「まちづくり提案」を疎かにすると、まちづくり協議会の基盤を危うくしかねない。
 そのため協議会は、やむを得ず「まちづくり提案の変更」を行う場合は、総会に変更の理由と変更案を提示し、承認を得たうえで「計画提案の変更」を「まちづくり提案」しており、いわば、住民主体の計画管理が行われている。
 これは、まちづくり条例で言う「市長は施策の策定にあたっては、まちづくり提案に配慮するように努める」とは、ニュアンスが異なる。
 協議会の諸会議には行政やコンサルタントが常時参加しているが、この場合の両者の協議会への情報提供は、創造的でありながらも垂直的思考(計画・戦略レベルと実行可能性の検討レベルを同時並行的に解決する思考)の観点から十分に行い、「まちづくり提案」とその実行に乖離が無いよう努めなければ、協議会からの信頼を失うことになる。

※この報告の第1部(1)〜(4)は「きんもくせい」(創刊号〜50号)を、(5)は「論集きんもくせい」第4号を、(6)〜(16)は「報告きんもくせい」(3)〜(33)を参照してください。第2部の(1)は「月刊きんもくせい」第3号です。


連載【コンパクトシティ 3】

『コンパクトシティ』を考える 3

世界最古のコンパクトシティ・ローマ市

神戸コンパクトシティ研究会

中山 久憲



 前回に続きコンパクトシティのかたちを歴史から学ぶ。本来ギリシャに続き、ローマを説明し、その後に中世時代となるところ、紙面の都合で順不同になった点はお許し願いたい。
 地中海全域とその背後の広大な地域を支配の版図に収めたローマ帝国の発展の鍵は、統治システムのコンパクト性にあったとするのが今回の命題である。

1.コンパクトな『市民共同体』としての民主政システム
 ギリシャの民主政の影響を受けて始まったローマの民主政は貴族勢力が強い中での改革で、護民官制度の創出や、高級官職への平民の登用、公訴権の認定、平民会議決法の国家法としての認定など、都市国家ローマの国民である市民の権利を大幅に認めさせた結果である。これにより、ギリシャで発展させた『市民共同体』の概念をさらに発展させて、古代民主主義の到達点に至り、ローマは民主政の最高潮の時を迎えることができた。
 民主政は主体者である市民が政治の主導権を握るために、市民の権利と義務の関係を調整し整理しなければならない。この点についてローマは主体者である市民の政治的関与の道を開き、様々な階層の政治的資質と意欲のある者の登用によって、その時代時代のニーズをくみ取り、政治に反映することができた。しかも政治権力の集中を避けるために任期の制限や権限の制約を明確にするだけではなく、老獪な元老院の牽制によるチェック機能を働かせることで、国家体制の均衡をとりつつ都市国家としての持続ある発展を維持することに成功した。すなわち、政治参加の道を閉ざすことなく開放しつつ、一方で大衆化による衆愚政に陥ることのない政治システムのコンパクト性を共和制の時代に長期にわたり維持することができたのである。

2.ローマ市民権の寛大な賦与によるコンパクトな統治システム
 ギリシャのポリスは、各ポリスが閉鎖的な市民権により市民を限定する反面、それを補うための植民市建設によるネットワークにより、経済的な成長と発展を獲得した。一方、ローマは戦略的には対立する国や都市とは同盟を結ぶ柔和な手法で、支配領域を拡大するだけではなく、しかも同盟側には平民が苦闘の上確立した市民権を寛大に賦与する方法で、支配領域をローマ市という一つの統治システムの中に組み込む方法であった。このため、敢えてネットワーク型の構造にはせずに、一点集中型のきわめてコンパクトな形式による統治を完成させたのであった。同盟を結んだ地域の市民にローマ市民権を賦与したことで、有能な人間を中心であるローマ市に集め、要職をこなさせ、統治者としての資質を研鑽によって積ませ、執政官や護民官の最高官位の地位に就かせた。こうした開放的な政治システムを採用することで、支配と被支配の差別の感情を抑制し、各地での不穏な動きを自律的に抑えることで『ローマの平和』を効果的に維持することができたのである。
 このために機能したのが、全ローマの支配地に張り巡らされたローマ道というネットワークされた高速道路の建設であった。不穏な動きは、高速道路を疾走する早馬で、数日内にローマ市に伝えられ、拠点となった軍隊の駐屯地から重装歩兵の部隊が駆けつけ、圧倒的武力で早い段階で沈静化し、重大な局面へは発展させなかったのである。
 しかし、民主的政治システムのコンパクト性も、絶え間ない戦争に勝利し、領地の拡大と交易の拡大による繁栄を築く中で、均衡を失い、政治権力を巡る内乱が起こり、終局的には終身独裁官、皇帝の権力の集中化による政治システムへの変化で解決したのであった。つまり、膨張し続けるためには、中心には強力な核となる長期独裁の皇帝という権力構造に造り替え、周辺部への求心力を維持することが必要となったからである。
 帝政化したローマはその後も繁栄を続け、長期にわたる『ローマの平和』を謳歌した。それが実現できたのも、皇帝が進んでローマ道の建設やローマ水道の建設などの公共基盤の建設に、権力による集中で得られた資産を投入したからでもある。皇帝は、第1の市民(プリンケプス)であるという姿勢を形式的に残した底辺には、ローマ帝国になっても『市民共同体』であるという命題を追求したからでもある。

3.ローマ市は世界最古のコンパクトシティ
 ローマが帝国になって最盛期を迎えた紀元1世紀頃に、首都であるローマ市には80〜120万人の人口がいたのではないかと推測されている。当時世界最大の人口規模の都市になった。
 4〜5km四方しかない城壁の中に、百万人を越える人口の大半が居住していたとすれば、かなりの高い人口密度(400〜500人/ha )に計算上なる。一般市民は3〜4階建てのアパートに住んだ。
 高密度の生活を可能にしたのは、ローマ市内に整備された共同利用を前提とする公共施設の整備が行き届いたためである。公共施設の中でも、特に水道の普及が重要であった。ローマ水道の約6割が市民への供給用に使われ、各街区に設けられた共同水槽で、無料で水を配布した。共同水道までは、建物から遠くても70〜80m歩けば到達できた。しかも、水質に対しても十分な対策が随所で実施され、市民は清潔な水を飲み、清潔な水で料理することができた。また。市内に何カ所もある公衆浴場にいけば非常に低料金で毎日のように入浴でき、身体も清潔に保つことができた。これらは衛生対策としても効果があり、疫病の防止に役に立った。悪疫流行も、ローマの歴史の長さから比べれば、驚くほど少ないといわれている。病気の治療より、予防を国家規模で成し遂げたのである。
 市内の各地に設けられた公共の建物、市役所、選挙場、市場、体育場、競技場、劇場などの政治、経済、文化施設は全てが歩いて行ける範囲にあった。しかも、「パンとサーカス」と呼ばれた毎月配給される小麦による最低の生活保障と、元老院階層の富裕者からの劇場や競技場での催しの市民開放で、市民生活の豊かさを満たした。
 これらのコンパクトな都市生活は、中心都市であるローマ市に限られたわけではなく、ボンペイの遺跡からも明らかのように、ローマ帝国内の一般の都市であっても可能であった。それは各地に現在も残る水道施設が物語っている。
 ローマは全てにおいて、多様さを尊重するより、コンパクトさを追求した。ローマの市民権の賦与、支配地域に張り巡らせたローマ道、ローマの金貨や銀貨の流通、人間や商品の自由な移動、言葉はラテン語とギリシャ語を共通言語として話され、共通の成文法としてのローマ法が、公共財としてのインフラベースとなったのである。こうした統合化によって、あれほどの広大な世界を統一することができた。ローマ市はその中心の核として、あらゆるシステムの集合体を形成しなければ成らず、そのために都市空間をいかに効率的で高密度に利用するかという命題に対応した世界で初めてのコンパクトシティを実現したのである。

<参考文献> 本論は全般的に、塩野七生氏の大作『ローマ人の物語』(新潮社刊)を参考とした。ローマ道や水道の詳細は、第]巻「全ての道はローマに通ず」(2001年)を参照してください。


 

連載【地域の再生と企業文化 3】

震災復興で加速する企業と地域の新たな関係を考える

神戸商科大学

加藤 恵正


■地域社会の繁栄をめざす世界企業
 −Procter & Gamble Far East, Inc. 神戸市東灘区−

 全世界に従業員10万人余を擁する巨大企業P&Gは、神戸市東灘区六甲アイランドに日本本社・テクニカルセンターを有している。本社だけでも1700人を超える従業員がここで勤務しており、このうち外国人は350名にのぼる。なぜ、P&Gは六甲アイランドを拠点として選んだのか。交通のアクセシビリティの高さ、良好な住環境、神戸の「イメージ」といったことが指摘されている。P&Gの企業方針声明書は「我々は、世界の消費者の生活を向上させる、すぐれた品質と価値をもつ製品とサービスを提供する。その結果、消費者は我々にトップクラスの売上と利益伸張、価値の創造をもたらし、ひいては社員、株主、そして我々がそこに住み働いている地域社会も繁栄することを可能にする」と言明している。実際、1996年にP&G日本本社は、「神戸まちづくり六甲アイランド基金」を積水ハウスと共同で設立した。当初、両社からの1億7千万円の信託財産でスタートしたが、その後両社の追加信託やその他の寄付で現在では7億5千万円の基金を有するまでになった。この基金からは、毎年まちづくり活動への貢献にたいし助成が行われ、たとえば「コミュニティ・ライブラリー」などへの支援が行われている。この他、同社のビルの一角を市民ギャラリーとして開放したり、カナディアン・アカデミーへの支援なども行っている。また、震災を契機に自治会、企業、学校など六甲アイランド内の活動主体で作られている「地域振興会」にも参加し、地域コミュニティの一員として積極的な活動を行っていることは注目される。
 ビジネスが加速度的にフット・ルース化し、地域がますます slippery(つるりとすべる)になるのにたいし、企業が魅力を感じるsticky(粘り気のある)な地域づくりは喫緊の課題と言わなければならない。21世紀の都市ビジネス環境は、情報化とグローバリゼーションの裏側にある社会環境のあり方に大きく依拠することになる。個性的で比較・競争優位を有する社会環境の形成は、世界的な競争に入りつつある現下の状況においてきわめて重要と言わなければならず、それは企業と地域の協働による成果ということになるのだろう。
KOBE HYOGO 2005 夢基金プロジェクト 募集チラシ
(第1期受付期間:2003年2月1日〜5月31日)

■都市文化の醸成こそが企業の存立基盤
 −潟tェリシモ 神戸市中央区−

 「まちの『気配(文化)』の醸成こそが、フェリシモの存立基盤です。」矢崎社長は震災後の企業としての歩みを振り返りながらこう指摘している。カタログ通販大手のフェリシモは、1965年創業。現在、海外の事業所を含め従業員1,000名余を擁する。
 震災直前の1994年末に本社を神戸朝日ビルに移転することを決定していた。その時の神戸のイメージは、「古いものと未来的なものが自然に溶け合っていて、東洋でも西洋でもない文化・雰囲気」であり、フェリシモが目指す「人生や生活を提案して販売する」という企業理念に合致するものと感じていたという。95年の大震災で迷いもあったが、神戸に移転した。神戸の価値を作り出しているのは、生活文化の主役である女性であり若者である。しかし、震災後はその復興の過程で神戸固有の文化が薄らいでいるのではとの危機感もある。
 フェリシモの企業哲学は、「事業性」「社会性」「創造性」が融合した部分に企業としての存立基盤があるとの認識である。早くから地球規模の社会貢献活動の実績がある。たとえば、国内外に150万本の植樹実績のある「フェリシモ森基金(1990年から)」、NGO等との共同でルワンダ難民緊急食料支援などを行っている「フェリシモ地球村基金(1993年から)」、さらに2003年からは「チャレンジド・クリエイティブ・プロジェクト」に取組んでいる。これは、社会福祉法人プロップステーション、兵庫県、神戸市との連携のもと、小規模作業者や授産施設の製品や企画を、フェリシモの「プロの目」で厳選・支援しながら販路確保をしようとするものである。震災前から行ってきた同社の社会貢献活動は、こうした地域社会と大きな接点を現在持ちつつあるように見える。こうした活動は、震災復興過程でのフェリシモの姿勢と関わっているのだろうか。
 震災後、フェリシモの顧客からの義援金(たとえば、8千円の商品購入者から1万円送金があり、2千円は復興に役立ててほしいといったケースなど)が4千万円になり、これに企業としての寄付金を加え、合計1億円を日本赤十字社から神戸市に寄附したことが最初である。この後、長期的な視点での復興支援という点から、通販利用者と連携した義援金「毎月100円義援金」、ニュースレター「もっと、ずっと、きっと」の発行などを続けた。
 現在、この「毎月100円義援金」による4億円の寄附のうち、被災地やボランティアへの支援の残余額7千万円を充て、「KOBE HYOGO 2005」プロジェクトをスタートした。「公益性・公共性の高い生活者主導による神戸スタイルの生活文化創造を促す」ことを目的としたこの事業は、都市文化の醸成こそがフェリシモの存立基盤とする企業理念と次世代都市経済のあり方が巧みに呼応することで、行政・研究者など地域の多様な主体とのパートナーシップによって推進されている。
 戦略的フィランソロピーは、現代企業の行動を読み解く重要な概念である。社会的目標と経済的目標に同時に取組み、企業の有する独自の資産や能力を提供することで、企業と社会の双方がメリットをうる。フェリシモの地域への姿勢は、こうした視点から理解すべきなのであろう。フェリシモの戦略的フィランソロピーが、被災からの復興途上にある神戸の都市イノベーションと連動することに期待したい。

 

 


連載【菜の花プロジェクト 3】

菜の花プロジェクト顛末記(その3)

神戸市

大塚 映二


 失敗の数々と救いの神
 国土交通大臣賞受賞の決め手ともなった菜の花プロジェクトであったが、プロジェクト推進者の中に誰一人として菜の花を育てたものがいなかったゆえの失敗も数多かった。むしろ、失敗の連続だったかもしれない。が、それをカバーしてくれた神々も現れ、結果として大成功となった。
 今回は、焦った場面と救いの神について振り返ってみる。
 そもそも、菜の花の種をどこで仕入れて、いつ蒔くのかさえ知らなかった。そこで、わが町の地域活動で知り合った神戸市公園緑化協会の係長に一から聞いたのだが、それが9月の末。蒔き時は遅くとも10月中とのこと。現地はというと「花咲じいさん」に出てくる意地悪じいさんの畑状態。ともかく背丈ほどの草を刈り、ここ掘れワンワンとがれきを撤去し、耕すしかないが、時間がない。人海戦術であった。まちの方にとにかく助けてと呼びかけ、初動期をかろうじて乗りきった。「大塚さんは人使いが荒いのう。」というのがまちの評判になった時期である。
 次に、苗床に種は蒔いたが、急激な冷え込みで1〜2週間が過ぎても芽が出ない。これには正直、真っ青になった。火でもおこすかとマジに考えているところへ、がれきばばあこと天川佳美さん登場。「芽が出なくて困ってるんじゃない?布引ハーブ園で菜の花の苗を育てていて、一部分けてもいいって言ってるから、話を通してあげる。」飛びついた。早速お願いして3500株を分けていただいた。でかすぎる!見事な苗であった。高畑園長は山の神様かと思った。
 さて、ハーブ園の苗を必死で植え付け、蒔いた種も何とか芽が出てきたころ、今度は水やりをどうするかという難問が。そもそも水栓がない。これは近所の方に窮状を訴え、正直に水やりの世話を頼んだ。幸いなことに、いつくかの畑は、水やりをやっていただける方が見つかった。近くの保育園児たちまでが手伝ってくれた。土の善し悪しももちろんあるが、この時期の水やり管理が後々の成長に大きく影響したように思っている。それと、雨男たる大塚の自慢になるが、実にいいタイミングで雨が降ってくれたような気がする。降りしきる雨中の作業も結構やったのだからまさに雨男ではあったのだが、水やりについては、天の神が味方してくれたのではないだろうか。(何事も考えようである。)
 ほかにもおおぜいの方々に助けられながら、菜の花プロジェクトは進んでいった。自然との闘いと言うほど大げさじゃないが、数万本という花を育てるので、油断したら時機を失してしまうという危うさを乗り切れたのは、みんなのおかげであった。
(次回は、書き手が<菜の花ディレクター>の小林健氏に替わります。)

人海戦術によるがれき撤去作戦(2002.11)
小さな種をていねいに蒔く親子(2002.10)


連載【まちのものがたり 6】

ある駅のホームの上で 2

引っ越し

中川 紺



 カナはずっと機嫌が悪い。先週末に神戸に引っ越してきてから、八つ当たりとだんまりの繰り返しである。機嫌をとろうとした両親が近くの動物園に連れて行っても、パンダやアシカを見てはしゃいでいたのもつかの間、園を出るとあっと言う間にいつもの調子に戻ってしまった。
  ● ●
 事のはじめは犬のダイスケを新しいマンションでは飼えなくて、西宮の祖母の家に預けてきたことである。
 もちろん、もう小学三年生になっているカナは西宮と今の家がいつでも会いにいけるくらいに近いことは知っていた。でも前の学校の友達と別れる上にダイスケとまで離ればなれになるショックは結構大きかった。しかもそれは父親の仕事の都合で一方的に決められた。でもそれは仕方ないことだとカナには分かっていた。今は、一度怒ってしまってから引っ込みがつかなくなった、というのが正直なところだった。本当は動物園だってかなり楽しかった。夏休みが終わってからの新しい学校も早く行きたいし、近所の商店街の店先の「神戸御影アイス」も食べてみたかった。
  ● ●

 母親がカナを買物に誘った。電車で数分の三宮に行こう、というのである。渋々ついて行くカナは駅の前で足をとめた。初めて見るJR灘駅の正面の壁にある大きな飾り窓に心を奪われていた。カナの通っていた小さな木造の小学校の玄関にも似たような大きな窓があった。
(なんだか似てるぅ)
 と声に出さずにつぶやくカナに母親は百円玉を一つ渡した。三ノ宮までの六十円の切符を買うと一番駅員に近い改札を通って中に入った。ホームまで、一旦階段を上がってから下りなければならなかった。階段の手すりが木で出来ているところも前の校舎を思い出させた。カナは必要もないのに手すりをずっと撫でながら上がっていった。そうすると休み時間が終わって教室に戻っていくような錯覚をおぼえた。下りホームに着いたカナは前方に不思議なものを見つけていた。それはコンクリートのホームの上にヤシの葉が生えているような風貌だった。
「あ、ソテツっ」
 駆け寄ったカナの前には、三メートルほどの小振りなソテツが生い茂っていた。
「ねえお母さん、学校にあったよね、これよりずっとおっきなソテツ。あそこでぐるぐるまわってエリちゃんたちと鬼ごっこしたんだよ。これソテツの子どもかなあ」  久しぶりにうれしそうに話すカナの顔を見て母親は思わず「じゃあカナと一緒に引っ越してきたのかもね」と言う。
「そんなわけないよ。歩けないんだもん」  と鼻を少し上に向けてえらそうに言い返したカナはソテツに向き直って続けた。
「時々会い来てあげるね。そうだ、ダイスケにも会いにいかなくちゃ。それからエリちゃんに『こっちにはパンダがいて駅にソテツがあるよ』って手紙書こうっと」
 そう言いながらカナは飽きもせずにソテツのごつごつした茎と力強く伸びた葉を見上げていた。
(完)
(イラスト やまもとかずよ)


読者からのおたより紹介



  横浜市にお住まいの御舩哲さんからお便りをいただきました(8月15日)。ご紹介します。

 「きんもくせい、毎号楽しくかつ刺激を受けつつ読んでいます。編集、刊行、本当に有り難うございます。03年8月号では、石東直子氏「大倉山ふれあい住宅と修学旅行生の交流」に感動しました。お互いに素晴らしい学びの時空であったと思いますし、学びがその時にとどまらず、これからの暮らしにいろいろな形で生きていくことも予想させてくれます(本来、学ぶとか教育というものはそうであるはずなのですが)。石東さんはじめコレクティブ応援団の事前・事後のご尽力があってはじめて成り立ったことと存じます。これからもこうした素晴らしいまちづくり報告を期待申し上げています。ありがとうございました。



情報コーナー



●“ひょうごまちづくりセミナー2003”「まちづくり:地域住民とNPO」
・日時:9月25日(木)13:30〜17:00
・場所:県立神戸生活創造センターパフォーマンススペース(JR駅前神戸クリスタルタワー4階)
・内容:
<第1部 基調講演:地域まちづくりとNPO>/立木茂雄(同志社大学教授)
<第2部 活動紹介とディスカッション>
コーディネータ:立木茂雄、パネリスト:野崎隆一((特)神戸まちづくり研究所理事)、丸山好一((特)北はりま田園空間博物館代表)、宮定章(阪神・淡路大震災まち支援グループ まち・コミュニケーション)
・参加費:無料
・問合せ:(財)兵庫県まちづくり技術センター〔ひょうごまちづくりセンター〕(FAX.078-367-1264)

●阪神間倶楽部・第4回
・日時:9月27日(土)13:30〜
・場所:六甲山上/六甲オリエンタルホテル「風の教会」(六甲山上へは、六甲オリエンタルホテル行きの無料バスあり(定員28名)−JR六甲道12:00、阪急六甲12:05)
・内容:谷口良平さん(阪神ホテル)による、六甲山をこよなく愛したイギリス人・グルームについての解説+オルゴールの調べ
・会費:3,000円(デザートブッフェ付き)
・問合せ:まちづくり(株)コー・プラン/天川佳美(tel.078-842-2311、fax.078-842-2203)

●阪神白地まちづくり支援ネットワーク・第34回連絡会
・日時:10月10日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館6階(神戸市中央区元町通4丁目2-14、TEL.078-361-4523)
・内容:「まちづくりのマネージメント」、コーディネータ:小林郁雄(コー・プラン)
・問合せ:ジーユー計画研究所
(TEL.078-251-3593、FAX.251-3590)

●やったぞー!阪神優勝!!
「阪神リーグ優勝・祝勝会・2003」
・日時:9月23日(火・祝)17:00〜
・場所:茶店きんもくせい
・会費:2、000円(持ち込み、寄付など大歓迎)
・問合せ・申し込み:まちづくり(株)コー・プラン(tel.078-842-2311、fax.078-842-2203)
※準備の都合上9/22(月)までによろしくお願いします。


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