天川佳美
ガレキに花を
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最初の呼びかけ文

 

改行マーク1995年5月、 こんな呼びかけ文を作ってみました。 これが第1案です。

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改行マーク最初、 私達“花咲か爺さん、 花咲か婆さん”がまず思い描いたのは、 空き地になっているところにゲリラ的に勝手に種蒔きをすることでした。 そこにお住まいだった人や土地の所有者に声をかけて種を蒔くのではなく、 ばぁーと蒔いてしまって、 芽がでてきたころ「なんやこれは」と言うことになり、 「実はこうなんです、 勝手にごめんなさい」という風なイメージでした。

改行マークそれで最初のお願い文の囲みのような看板を作ろうということも考えていましたが、 種蒔き隊が空地調査をしたり、 頭をつきあわせていろいろ策を練った結果、 おおむね住んでおられた方や地主の方に声をかけられることがわかりました。 そして事前にお話しして種を蒔くことができました。 なかにはその土地のお隣の方が日常の管理を頼まれておられたところもあり、 まったくゲリラで種蒔きをした場所は全域で2ヶ所だけでした。

改行マークこのチラシは種蒔き隊も現場に持って行き、 もし種蒔きの時にこの活動に興味を持たれた方があれば呼びかけとして皆さんにも配ることにしました。 結果的にはこのチラシを配ることはなかったように思います。

改行マークここで一つ、 花咲か爺さんが震災100日目に書いた名文を紹介しましょう。

改行マーク

     震災後100日がたって、 私達の事務局のある東神戸の街はぽっかりと空いてきました。 瓦礫が徐々に撤去され空地にプレハブ小屋が目立ちます。 もちろん焼け野原であった西神戸でも小さな仮設的な建物が建ちはじめています。
     あの寒かった日々に比べ、 穏やかで汗ばむような春のよそおいとなり、 家々が撤去された跡の庭木のツツジが痛ましくもけなげに花をつけています。 しかし、 樹々の若々しい新緑があまりに少なく、 殺風景な街が続いています。 これからの暑い夏の日々を、 このほこりっぽい街で迎えるのはたまりません。 神戸・阪神間や淡路の皆さん、 ガレキに花を咲かせませんか。 一面のヒマワリやコスモスが瓦礫の街を、 月見草や桔梗が焼け野原を埋め尽くす夢を見ています。 子供達やお年寄りまでのみんなの力で、 荒れ果てた跡地を耕し、 種を蒔きませんか。
     せめて家々の建設を始めるまでの間も、 私達の美しい神戸のために。
    1995年4月27日(『復興市民まちづくり』

    第1巻「序・震災100日たった神戸から」小林郁雄)

 
 
 さぁ、 いやがおうにも気分は盛り上がってきました。

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