それで最初のお願い文の囲みのような看板を作ろうということも考えていましたが、 種蒔き隊が空地調査をしたり、 頭をつきあわせていろいろ策を練った結果、 おおむね住んでおられた方や地主の方に声をかけられることがわかりました。 そして事前にお話しして種を蒔くことができました。 なかにはその土地のお隣の方が日常の管理を頼まれておられたところもあり、 まったくゲリラで種蒔きをした場所は全域で2ヶ所だけでした。
このチラシは種蒔き隊も現場に持って行き、 もし種蒔きの時にこの活動に興味を持たれた方があれば呼びかけとして皆さんにも配ることにしました。 結果的にはこのチラシを配ることはなかったように思います。
ここで一つ、 花咲か爺さんが震災100日目に書いた名文を紹介しましょう。
あの寒かった日々に比べ、 穏やかで汗ばむような春のよそおいとなり、 家々が撤去された跡の庭木のツツジが痛ましくもけなげに花をつけています。 しかし、 樹々の若々しい新緑があまりに少なく、 殺風景な街が続いています。 これからの暑い夏の日々を、 このほこりっぽい街で迎えるのはたまりません。 神戸・阪神間や淡路の皆さん、 ガレキに花を咲かせませんか。 一面のヒマワリやコスモスが瓦礫の街を、 月見草や桔梗が焼け野原を埋め尽くす夢を見ています。 子供達やお年寄りまでのみんなの力で、 荒れ果てた跡地を耕し、 種を蒔きませんか。 せめて家々の建設を始めるまでの間も、 私達の美しい神戸のために。 1995年4月27日(『復興市民まちづくり』 第1巻「序・震災100日たった神戸から」小林郁雄) |