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ほんとうの花咲か爺さんはだれだったのでしょう
草花混合種子提案 |
各地区はA〜Dの中から好きなブレンドを選び、 何日か後に色とりどりのどんなお花畑ができるのかと、 夢をふくらませました。
当時、 Bを選んだ地区はなく、 今思うとちょっと残念です。 このBのブレンドもきっときれいな花畑になったことでしょう。
種が用意できると、 私達は種蒔き隊を結成しました。 もちろん支援ネットワークのメンバーやランドスケープの仲間の方に声をかけてもらい、 たくさんの隊員が集まりました。 第1回の種蒔きは全部で13ヶ所でした。
スタートは5月27日土曜日、 まずは灘区楠丘、 私達の事務所跡地からでした。 野田北部まちづくり協議会会長の浅山さん、 魚崎小学校避難所対策本部長の高砂さんをはじめ、 人と自然の博物館の中瀬さん、 藤本さん、 姫路短期大学学長(当時)小森先生ご夫妻、 大阪市立大学土井先生、 ゼロックスの営業レディ(当時)堀川さん、 神戸市役所(水谷スクール一期生)の一岡さん、 上山舞に隼(我がスタッフの子供達)、 ネットワークのメンバーやランドスケープの仲間達約40名が我が社の解体跡地に集合し、 第一園芸の北島さんから説明を受け、 児玉さんの指導のもとに練習を兼ねた最初の種蒔きをしました。 近所の住民の人達も、 種蒔きをする空地にお住まいだった人達も、 何が始まるのかと日傘を差しての観戦です。
まず土と肥料とコンポストを混ぜ合わせ、 そこにブレンドした花の種を混ぜます。 それをバケツに入れて一人一人が堅くなってしまっている地面を5p程耕した土地に広く、 薄く、 ばらまいて蒔くのです。 鳥が種を食べてしまわないように、 その上に土をかけておしまいです。
翌28日日曜日は、 長田区の鷹取、 野田北部地区です。 大国公園にたくさんの人が集まりました。 ここでも北島さんと児玉さんが説明をしてくださり、 焼け跡の堅い土を耕し、 種を蒔きました。
この鷹取地区ではおかしいことがありました。 説明のあと、 土と種を混ぜ合わせたものをバケツに入れてそれぞれ種を蒔く場所へもって行って蒔くのですが、 見ていると説明どおりに蒔かないので、 「そうじゃなくて、 こんなふうにしてとさっき説明があったでしょ」といってもまったく無視、 何度言ってもにこにこ笑っているけれど、 無視。「なんやねん、この人達は」と思った時、「あぁ! 」、 やっとのことで言葉が通じてないことがわかりました。 そうなんです。 この地域の周辺は韓国やフィリピン、 ベトナムなどの外国の人々がたくさん住んでおられ、 しかもこの地区にあるカトリック教会が彼らの拠点だったのです。 震災直後、 言葉の通じない不安を抱えて彼らはこの教会に集まりました。 それがあの鷹取救援基地(ボランティア基地)です。 彼らは日曜午前のミサを終えて、 そのまま大国公園に残って手伝ってくれたのでした。
言葉は通じませんでしたが、 あくまで明るく、 笑顔で黙々と土を耕し種を蒔きました。 なんとも手慣れてうまいもんでした。
この地区の種蒔きには、 まだまだよい話があります。
「この道はいつか往く道」 |
ところで、 この最初の種蒔きの時にあんまり土地が悲惨だったのでこのままではひょっとして芽が出ないかもしれない、 芽が出ないということは、 当然花が咲かないということだと第一園芸のお二人は考えました。 「こんなに一生懸命に耕し、 種を蒔いたのに、 もし花が咲かなかったら住民はきっとがっかりする」というのが、 二人の結論でした。
7月初め、 私は最初の種を蒔いた13ヶ所の発芽状況を見て回りました。 カメラを持って広い空地を花の芽を探して歩きました。 バシャバシャとよく見ないでシャッターを切りながら、 地面ばかり眺め、 「鷹取で、 大道で蒔いたのは確かヒマワリのはずなんやけどなぁ」と思いながら、 しかし芽を出しているのはどうも違う、 なんと花がすでに咲いているのもあるやないの。 地を這うようなピンクのペチュニアやないの。 「おっかしいなぁ」とすぐに第一園芸の児玉さんに「なんか、 違う花が咲いているのですが、 どうしたんでしょう、 変なんです」と電話しました。 なんと間の抜けた問いだったのでしょう。
鮮やかなピンクで咲くペチュニアは驚きと感謝の花としていつまでも心に残っています(長田区大道地区) |
まいった!。 彼らお二人こそほんとの「花咲か爺さん」だったのでした。
そういえば大道地区も硬い地面を耕せずにいると、 ご近所の人が見るに見かねて削岩機を貸してくださいました。 その削岩機で地面に穴をあけ、 ヒマワリの種を一つぶ一つぶ丁寧に蒔いたのでした。
そして、 真夏の暑い日差しの中でヒマワリは太陽に向かって見事に咲きました。
こうして被災地の一三ヶ所で夏のような暑さの炎天下のそれぞれの一日は、 各地域で笑い声が響き、 あちこちに笑顔がこぼれ、 それは震災直後から絶望を抱えてここまで歩いてきた同志達の希望に向かう一つのレクリエーションでもあったように思います。
また住民の方々にとってはたくさんの悔しさや悲しみが染み込んでいる堅い堅い土を掘り起こすことは、 ある意味ではつらい作業でもあったはずです。 けれど「いつまでも泣いてばかり居られへん、 ほっといても殺風景なだけやから花が咲く方がええわ」「芽がでたら、 毎日でも見にくるでぇ」という元気な声は、 逆に支援をする側の私達を励ます結果になりました。
大きな葉っぱの真ん中に確かな蕾が力強く育っています(長田区野田北部)
ヤカンを手に芽を出したばかりのヒマワリの水やりをしてくださる女性(長田区野田北部大国公園近く) |
家の跡にぽつんと供えられていた花よりも、 具体的に種を蒔くことで住民も私達支援ネットワークも象徴的ではなく何かを始めるきっかけになったような気がします。