天川佳美
ガレキに花を
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世界の和田誠さんへの厚かましいお願い

 

改行マークコスモスが炎天下に咲きそろい、 次の春に花の咲く種蒔きの準備を考え始めたころ、 こんな手紙を書きました。

改行マーク今読み返すと、 まるで脅迫文のようです(天川の無謀その4)。

改行マーク当時毎日新聞に和田誠さんの連載囲み記事がありました。 震災前からの連載だったと思います。 毎日読んでいましたし、 もともとあの絵が好きでしたので、 知り合いだと勝手に思っていた訳ではありませんが、 手紙を書こうということになった時、 何とかなるとは思いました。 でもそれは今から思えばやっぱり震災高揚のひとつではあったんでしょう。

改行マークこのお願いの手紙にあるように、 「ガレキに花を」のマークがほしいねということになり、 自分達でもちょっと書いてみたり(建築関係の人はおそろしく、 皆絵かきやデザイナーやと自分では思っている)して、 ああでもない、 こうでもないと言っていたのですが、 「やっぱりきちっと書かんとあかんでぇ」ということになりました。 「きっちり書かなあかんのはわかったけど、 そうしたら誰やねん」「世界にアピールするのやから、 有名人やで」「有名人ったって、 知らんで」。 またまた、 ああでもない、 こうでもない。 そこで、 突然ひらめいた。 「和田誠さんがええわ」「そらええけど、 よすぎるでぇ」「どぅやって頼むんやぁ」「手紙書こう!」。 無謀としか言いようのない会話ですが、 こうやって私は自分のひらめきに半ば酔っていて「どうやって」という問いにすでに毎日新聞の連載を思い浮かべていました。 ただ手紙を書いて「私はずーっと和田さんのファンでした。 毎日新聞も読んでいます」ではだめだ。 手紙は中身もさることながら、 何より確実に、 絶対、 和田さんご自身の手に直にわたらなければだめだと思いました。 いろいろ考えて、 たまたま取材にいらしたことがあった毎日新聞大阪本社の学芸部記者の西村浩一さんに相談しました。 東京本社学芸部の石川さんという方をご紹介いただき、 石川さんに趣旨を説明する手紙を書いて、 その中に和田さん宛の封書を入れ「どうか手渡してください」とお願いしました。 これも今思うと脅迫ですね。

改行マークそして石川さんの指示どおり9月5日に“秘書の方”に届いているかの電話確認をし、 9月8日にお返事とマークをいただきました。

改行マーク興奮して受け取ってみんなでにっこりしたのは昨日のことのように思い出します。 ほのぼのとしたこのマークはこれ以後私達の元気の基として、 いつもそばにあって優しく、 力強く支えてくれています。

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グッズ第1号、 長袖Tシャツ
改行マーク受け取ってすぐに和田さんにお礼の電話をし、 最も難関のお金のことを恐る恐る伺いました。 「あなた達もボランティアでやっておられることですから、 私もボランティアでやりましょう。 どんなふうにでも自由に使ってください」。 たぶん一字一句まちがいないと思いますが、 そう言ってくださいました。 「どんなことにも」とはおっしゃらなかったと思いますが、 私達はきっと「どんなことにも」使ってしまっているのではないかと心配しています。 すぐにTシャツや手提げ袋、 エプロンなどを作り、 種蒔きの資金カンパになりました。 これはまたいろんな方が助けてくださって、 たくさん買ってくださり、 購入の輪を拡げてくださり全国へと、 このマークが大活躍をしました(Tシャツはまだ残っています)。

改行マークそれから「復興市民まちづくりハウス」と書いて大きな旗を作りました。 これは各地でまちづくりの拠点になっている小屋に狼煙として竹竿で(ちゃんとポールのところもあったようです)高々と掲げました。 新しく何かに使う前に和田さんにはご連絡をするというお約束を申し出ましたが、 それも「要りません、 ご自由に」とおっしゃいました。

改行マーク時々新しいことがひらめいた時にお手紙を書きますが、 それにお返事はありません。 和田さんご自身も震災復興のボランティアをいろいろされており、 よく新聞やテレビのニュースで拝見致しました。 私達のボランティアまでよく聞き入れてくださったものだと改めてここでお礼申し上げたいと思います。 どうもありがとうございました。

改行マーク余談ですが、 このマークのお願いの前になりますが、 とてつもない“手紙”のこともありました。 ちょっと恥ずかしいのですが、 それを披露します。

改行マーク以前に書きました、 第1回の種蒔きで長田区「鷹取のヒマワリ」にとてつもないアイディアがあったというのは、 じつは後日談があるのです。 海運町のヒマワリ畑は計画では広大な畑になるはずでした。 そんな話をしている時、 「見渡す限りのひまわりが咲くんやね」という散髪屋の林さんの笑顔についうっかり私は「あぁ映画の『ひまわり』のあのシーンのように鷹取のひまわり畑の中にソフィアローレンさんが立ってるなんて最高やろねぇ」「呼ぼう呼ぼう」「えぇー」またしても乗りやすい無謀な天川、 イタリア大使館宛に手紙を書きました(天川の無謀その5)。

改行マークしかし、 鷹取地区のヒマワリは広大な畑にはなりませんでした。 あまりに堅い焦土となってしまい耕すことが困難でした。 区画整理道路予定地として辛うじて線描きのヒマワリの道ができあがったのです。 手紙は涙を呑んで出すのをあきらめました。

改行マークもうひとつ出したけれど何ともはがゆい手紙もありました。

改行マークテレビ朝日のニュースステーションでは当時各地に出向いて羽田健太郎さんがピアノを弾くというコーナーがありました。 楠丘や芦屋の瓦礫の中に忽然と咲いたコスモス畑や長田区の焦土の中にすっくと青空に向かって咲くヒマワリのなかでピアノを弾いてくださいとお願い文を書きました。 これはちゃんと出しました。 そして届きました。 担当の矢野さん(だったと思う)とおっしゃる方がご連絡をくださり現地を一度見たいというお返事に私達は「やったぁー」と喜びました。 はっきり言ってミーハーです。 大胆にもプロに向かって脚本企画までしてしまいました(天川の無謀その6)。

改行マーク

     鷹取の焼け野原になってしまったところにヒマワリが群れて咲き乱れピアノを弾いてる姿が遠くにある。 それがずぅーと近づいて来てあの映画『ひまわり』のテーマソングが流れる。
     楠丘のポツンポツンと残っている住宅地の中の一角に色とりどりのコスモス畑があるそのコスモスの中に埋もれるようにピアノが見え隠れして『秋桜』のメロディ。
 
改行マークあれこれ言っても仕方ありません。

改行マークこの企画の最大の敵は何だったのでしょう。

改行マーク現地近くまで来たと国道43号線から携帯電話があり、 道順を説明してもうすぐかなとみんなで待っていました。 おかしいなぁ遅いなぁと言いかけた時、 電話がなりました。 「すみません、 緊急指令がはいりました、 オウムです。 急遽東京へ帰らなければなりません。 一旦帰りますが、 必ずご連絡いたします」。 それっきりでした。 1ヶ月くらいしてこちらから一度電話をしてみましたが、 転勤してしまわれ、 この企画に関してはなにもわからないという返事でした。

改行マークひまわり畑の中を「あなたはどこへいってしまったの、 本当に死んでしまったの」と愛する人の手掛かりを求めて走り回るあのソフィアローレンの心境とでも言いますか、 切なく、 淋しく、 情けなく、 腹立たしい結末でした。

改行マークまったく違う形ですがその年の12月31日、 年越しの放送として鷹取カトリック教会のペーパードームでの羽田健太郎さんのピアノ演奏は実現しました。 そして演奏の途中に女性のアナウンサーの声で「なぜか、 こんな瓦礫のなかに花が咲いています。 夏の花が枯れてしまった名残も見えます。 人々の心の中に花はどんなふうに…」演奏の曲は忘れてしまいましたが、 映画『ひまわり』のテーマソングでもなく、 山口百恵『秋桜』でもなかったことだけは確かですが、 「『なぜか』やないやろぉー」と、 私が叫んだのは言うまでもありません。

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