まちづくり実践ゼミ
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阪神魚崎市場再建計画について

野崎隆一 (遊空間工房)


1.係わりの経緯

改行マーク阪神魚崎市場は、 戦前に個人地主であるM氏の土地l,092m2とS酒造の土地533.87m2を借地して4棟24店舗で合資会社としてスタートし、 昭和36年の合資会社解散に伴い市場の建物は、 個々の権利者に分配され個人の所有となった。 その後、 共有地の空地に新たに建物が建ったり、 個々での増築が行われたりして現在に至っている。 市場としては、 20年前より衰退の一途をたどって震災直前期には9店舗しか営業しておらず、 他は住居として使われている状態であった。 震災により、 北側の2棟を残して全建物が倒壊した。 震災後の応急危険度判定(建物診断)のボランティアとして活動した建築家が中心となり「関西建築家ボランティア」が結成された。 そこへ東灘区魚崎小学校の避難所リーダーより要請があり、 避難所での建物相談窓口を常設することになった。 その後、 避難所での週1回の復興会議、 4月より始まった月1回の「まちづくりシンポジウム」ヘと発展していった。 本プロジェクトヘの係わりは、 建物相談で市場再建の相談を受けたことに始まり、 第1回「まちづくりシンポジウム(4月9日)」終了後、 初めて市場の役員と打合せがもたれた。 しかし、 その幕開けはケンカで始まった。 長年の経過の中で権利関係が混乱しており、 権利者間でこれまでの地代払いや権利持ち分について強い不信感があり、 再建へ一丸となって進むことの困難さが認識された。 その後、 近畿各地に避難している役員が、 再建について再度集まりを持つのでアドバイザーとして来て欲しいという事で、 引き続き相談にのることになった。


2.事業のフレーム

改行マークボランティアグループの中から、 神戸市内に在住する3人の建築家が担当することになり、 それぞれの資質から、 野崎隆一(遊空問工房)がコンサルタントの役割を、 稲地一晃(計画工房INACHI)が商業アドバイザーの役割を、 笹木篤(建築・都市設計インタースタディオ)が設計者の役割を担うことで進めることになった。 保留床の発生が望めそうもないことから、 民間デベロッパーや住都公団にも相談をしたが、 結局権利者の意向で自力復興を目指すことになった。


3.権利者意向のとりまとめ

(1)地主

改行マーク本市場の敷地の3分の2は個人地主M氏であり残り3分の1はS酒造である。 当初よりS酒造は条件さえ合えば底地権を譲渡する意向であったので、 M氏との交渉が先行した。 底地買い取りを申し出たが拒否され、 それでは権利持分割合で共同事業をと提案したがそれについても拒否された。 要するに借地権の評価割合について合意が無理と判断されたのである。 その内、 神戸市が計画道路阪神北沿線の買収に入り、 当市場の一部もその対象となったため、 期限を切って神戸市より借地権の割合を決めるよう迫られることになった。 借地権割合は当初60%を主張したが、 地主側が受け入れず、 結局53%で決着することとなった。 その後、 地主代理人である不動産会社との話し合いの中で、 借地権割合で土地を分割する案が浮上した。 再び借地権割合で紛糾したが、 早期再建を実現するためということで50%で市場の権利者を説得、 地主との間で交換契約が96年12月に締結された。 結果として面積は50%となったが、 5月には所有権保存登記を完了した。 S酒造との交渉は、 96年11月に会社役員を訪問し正式に買収の意向を表明し、 97年3月より取引銀行を窓口に交渉を重ね、 6月末には契約8月未には所有権移転登記を完了した。

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図1 位置図及び区域図


(2)従前権利の確定

改行マーク従前権利の元になるものとしては、 建物の登記簿と地代の支払い割合しかなく、 相談を受けた時点から、 震災前の地代徴収の根拠についての疑問が数人の権利者より出されていた。

改行マーク幸い、 神戸市が買収対象地を確定するための測量の際に、 市場の店舗境界を全員が立ち会って測量図面に落とした。 この図面を元に個々の店舖専有面積と共有地面積を算出した。 ところが、 個々の専有面積割合で出した権利持分と、 地代の支払い割合で出した権利持ち分が大きく食い違う結果となった。 その最大誤差は30%を超え、 測量図を元にした使用実態主義で行くか、 地代支払いによる負担割合主義で行くか、 どちらとも決められない状態となった。 昨年9月の総会で2つの考え方による権利割合の違いを全員に示して、 どちらの案にすることも出来ないこと、 妥協案を探るしかないことを説明した。 しかし、 予想通り紛糾し、 翌年1月の総会までは進展しなくなってしまった。 そこで、 まず、 地代割合での権利持分を主張する権利者に対し、 神戸市への売却代金を実際に計画道路にかかった権利者だけで受領してしまっている事実を示し、 それを市場会計に戻すのでなければ、 実測案で行かざるを得ないと説得した。 その上で妥協案として、 共有地の配分の時には、 地代支払い割合を使うという案を提示し確定申告の期限ぎりぎりとなった2月の総会でやっと持分割合が決議された。


(3)相続

改行マーク借地権という実態の希薄な形であったためか、 地権者18人の内6人が既に死亡して名義変更しないままであった。 いづれも震災での死亡ではない。 この件に関しては、 1月の総会時点で「阪神・淡路まちづくり支援機構」から、 弁護士、 司法書士、 税理士の派遺協力を受け、 1ヶ月足らずで相続権者の確認から権利放棄確認書、 遺産分割協議書の作成を全てやることが出来た。 口約束では取り決めてあっても借地権が所有権に変わり、 市場の店舗がマションに変わるとなると、 人の気持ちも変わり、 小さなトラブルもあったようだが、 個々の家族間の話し合いで決着が付いたのは幸運だった。


(4)転出者

改行マーク個別の意向ヒアリングを重ねてきたが、 今年の1月の総会で、 5人が権利を売却し、 マンションによる再建には参加しないことが確定した。 そこで、 地主M氏の土地の登記をする前に借地権売買契約をしてしまうこととなったが、 買受人を5人出すのがまた困難だった。 事業主としてデベロッパーが入っておれば簡単なことが自主再建であるための困難さがここに現れている。 結局無理を言って資金計画で自己資金割合の大きい権利者に頼んで先行投資を了解してもらった。 その結果、 地主M氏との交換土地は転出者を除いた形での所有権登記が実現した。


4.建替計画の特徴

(1)市場の再建

改行マーク結果的には市場は再建できず、 高度化資金導入の要件である5店舗の確保も不可能となったため、 1階に2店舗を入れた集合住宅を建てることになった。 60年続いた市場が消えてしまうのは残念だが、 新しく出来る集合住宅に住むのは世代は違うが皆市場で過ごした経験を持つ人達である。 その意昧ではこの場所の記憶というものは引き継いでいってもらえそうだ。

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図2 全体の事業の流れ


(2)借地権の解消

改行マーク60年続いた借地権の整理が出来たという事で、 初めてこの計画が実現の見通しを持ったと言える。 市場という気持ちで支えあった共同体には、 権利持分という概念がなじみにくかった。 最後の最後には、 権利意識より一蓮托生の気持ちが決着を付けたと言える。 地主とも、 敷地分割という面で共通の解決策を見つけられたことが大きな要素となった。 この程度の妥協ができず互いに意地を張り合って、 震災前と同じ様な1戸建て密集住宅の建ってしまったところが多いことを考えると、 地主の英断をたたえても良いと思う。


(3)建築計画

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図3 魚崎市場再建組合役員会・総会の様子
改行マーク本再建事業では、 完成住宅への入居者の取得希望面積をヒアリングにより把握して、 そこから必要敷地規模を決めることが出来たのが大きな特徴と言える。 残った敷地は唯一残った建物の所有者が、 建て替えには参加せず取得することが決まっていたからだ。 資金力とフレキシビリティのある地権者が1人いることで計画全体の進行がずいぶん楽になったといえる。 建物は周辺の最高階数が5階建てという事から5階建てに抑えることとした。 エレベーターは4階までとして、 4・5階はメゾネットとし、 5階部分をセットバックさせることで北側からは4階建てに見えるよう工夫した。 また、 市場の敷地内にあった井戸とお稲荷さんも敷地内の広場に残すよう計画している。


(4)補助金

改行マーク本プロジェクトは、 神戸まちづくりセンターのアドバイザー派遣及びコンサルタント派遣の他、 優良建築物等整備事業に基ずく補助金を申請して進めている。

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図4 建築計画図・完成予想図


5.まとめとして

改行マーク現在、 3月末の着工を前にして建設会社と請負契約の最後の詰めに入っている。 3年かかってやっと工事の見通しが立ったというところだが、 振り返ってみれば権利者も専門家も先の見えない中を手探りで進めてきたことが実感される。 このプロジェクトが実現した要因として考えられるのは、 敷地の一部が神戸市の計画道路にかかっていて、 神戸市の買収があったことが地主と権利者の共通課題として認識され解決を促進したことが挙げられる。 もう1つは、 専門家と権利者双方が常に楽観主義と相互信頼を貫ぬけたことだろうと思う。 市場はなくなってしまうけれど、 そこに数十年暮らしてきた人々につながる住民が戻って住み続けることに記憶の継承という意味でも大きな意義があったのではないだろうか。

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