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7 長屋・木賃・文化住宅(低質老朽木造賃貸住宅)

生成の経緯と果たしてきた役割

 明治から大正、 昭和を通じ日本の近代化の過程で発生した大都市への人口流入の受け皿住宅として長屋・木賃・文化住宅は建設された。 もっぱら若年層や勤労者世帯が、 持ち家を取得するか、 あるいはより居住環境の良好な賃貸住宅へ住み替えるまでの短期的居住施設として活用されてきた。 近年の居住者には、 地場産業従事者などの居住立地限定層が子育てを終えそのまま住みつづけ高齢化した、 高齢者夫婦や単身高齢者、 アジアを中心とする外国からの留学生、 その他何らかの理由により公営住宅への入居が困難な人達が増加し、 軽便な居住施設として存続するなかで、 建て替えられることも少なく老朽化の度を深めている。 またこれらの住宅は都心に近いという立地上の優位性を保ちつつも、 接続する道路が狭小であるなどの外部空間が貧弱であること、 広範囲に連担して存在することからくる住環境上の課題を有することにより、 インナーシティ問題の原因の一つとして位置づけられ、 早期の改善・更新が求められていた。

 神戸市におけるこれらの住宅の特徴は、 供給単位が比較的小規模であること、 即ち大地主による不動産経営事業としての大量供給ではなく、 零細土地所有者による副業としての賃貸住宅供給であったことである。 また長屋においては時間の推移のなかで占有者による建物あるいは底地の買い取りがモザイク状に進展し、 現在では極めて複雑な権利関係を呈するにいたっている。


地震による被災の状況と引き起こされた課題

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表8 神戸市における住宅タイプ別の再建状況(1997年12月現在)
 今回大きな被害のあった木賃密集地域(長屋・木賃・文化住宅が連担し密集する地域)の多くは、 第2次世界大戦の空襲による焼失をを免れ、 戦災復興土地区画整理事業の対象とならなかった地域であると言える。 老朽化した建物は多数倒壊し、 道路空間の貧弱さは発生した火災の急速な延焼を助長した。 住むところをなくした居住者には高齢者をはじめとする低所得で自力での住宅確保が困難な人々が多く、 家賃の低廉な公的賃貸住宅の大量の供給を必要とした。 また幾らかの人々は自力で住宅の再建に向かったが、 道路が狭く敷地が狭小であることなどにより建築基準法の規定を満たすことができず再建を断念する人も少なくなかった。


被災木賃密集市街地の整備

 被災の大きな木賃密集市街地のうち、 長田南部地区・尻池北部地区・味泥地区・深江地区などは震災前から神戸市により「密集住宅市街地整備促進事業」による整備が進められていた地区である。 長田南部地区は1990年からの事業着手であるが、 事業が強制力を持った法定事業ではないこと、 もともと権利関係の輻輳した地区での建て替え事業は困難が大きいこと、 建て替えによる開発利益が少なく事業のメリットが少ないことなどにより、 殆ど事業は進展していない状況であった。 震災後特に大きく被災した木賃密集市街地のうち御菅地区、 新長田駅周辺地区では土地区画整理事業が実施されることになった。 これらの地区では事業の実施に伴い道路・公園も整備され、 一部のブロックでは狭小敷地の集約化により共同ビル化が行われ、 木賃密集市街地の再生が防がれることになる。 残りの被災木賃密集市街地では「密集住宅市街地整備促進事業」の強力な推進が課題となっている。 震災後あらたに事業の指定をうけた長田東部地区、 湊川町東部地区で整備が進みつつあるが、 「密集住宅市街地整備促進事業実施地区」全般的には目ざましい進捗は見られず、 一部には密集市街地再生を懸念されるような再建も目立ち、 今後の密集市街地整備のあり方に大きな課題を提示している。

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