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15)旧居留地地区

地域問題研究所 山本俊貞

「きんもくせい」39号

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震災で全壊した居留地15番地('95.1.20撮影)。 現在復元工事中。
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神戸居留地/復興計画('95.10より)
 旧居留地は、 1868年の兵庫開港に伴い、 イギリス人土木技師の設計のもとに整備された約22haの区域である。

 歩道や街路樹、 街灯を備えた広幅員の街路、 公園、 下水道などが整い、 街区は平均1000m2の敷地に整然と区画割りされていた。 現在でも街路パターンはほとんど当時のまま残されており、 敷地割りもあまり変わっていない。 地番は当時と同じものが使われている。

 大正期から昭和初期には石造をはじめとする近代洋風建築物が幾つも建てられた。 この重厚で落ち着いた雰囲気が見直され、 震災前には、 業務ビルの1階や地階にブティックや飲食店が立地し、 新しい形態のショッピングゾーンとしての賑わいをみせていた。

 震災により22棟が解体せざるを得ない状況になった。 昭和30年代に建設されたビルに被害が多い。 居留地時代から唯一残されていた旧居留地15番館(明治14年築、 国指定重要文化財)をはじめ、 海岸ビル(大正7年築)、 大興ビル(大正8年築)、 明海ビル(大正10年築)の4棟の近代建築物も倒壊した。

 「旧居留地連絡協議会」では、 4月に緊急総会を開き「復興委員会」の設立が提案された。 当地区の地区計画への対応を図るとともに、 都心中枢業務地としての地位を今後とも維持していくためには、 街はどのようにあればよいのかといったことを皆で検討し、 共通目標を持とうとするものであった。

 旧居留地連絡協議会は、 昭和58年、 当地区が神戸市都市景観条例に基づく都市景観形成地域に指定されたのを機に、 まちづくりや景観形成に取り組んでいた。 10月には会員の間で合意のとれた復興計画書が策定され、まちづくり方針を設定した。 壁面線の統一やパティオ・アトリウム・ポルティコ・パサージュ等、 街区と建築に内包される広場空間の確保等、 まちなみ形成の方向を打ち出している。

 引き続き、 「復興ガイドライン」の策定作業がはじめられた。 ビルの新築や改築時、 あるいは管理上、 各々はどのような点に留意すべきかを整理・提案するものである。 検討作業の中で、 各ビルの個性を封じ込めてしまうことのないような配慮が必要だという議論が幾度となく行われた。

 これら計画の会員企業間での合意形成を可能とした要因は、 日頃からのつきあい、 企業コミュニティの存在に加え、 近代建築物もしくはこれらによって形成されていたかつてのまちなみへの思いである。 古くからの神戸の中枢業務地としての地位を存続させ、 近代脚光を浴びていた商業展開の継続・発展を可能とするためには、 旧居留地の伝統的で個性あるアイデンティティを今後とも継承しなければならないということが共感されたといってよい。

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