阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク
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29)六甲道駅南地区

環境開発研究所 有光 友興

「きんもくせい」13号、 27号、 47号

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六甲駅南地区まちづくり連合協議会区域図
六甲駅南地区まちづくり連合協議会組織図
六甲駅南地区まちづくり連合協議会活動記録
 

 六甲道駅南地区では、 市街地再開発地区としての都市計画決定に伴い、 意見書の提出や住民による計画づくりを行ってきた。 特に地区の中央部に計画されていた1haの公園は、 様々な議論を呼んだ。

 その後平成7年6月以降、 地区全体を4つに分けたまちづくり協議会が作られ、 7月には、 各協議会で選ばれた理事からなるまちづくり連合協議会が結成された。


1)公園・道路配置計画が決まるまで

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住民が決めた公園・道路配置案
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基本計画会議−環境デザイン部会での検討案
 (1)住民と行政との信頼関係の回復
 昨年3月17日都市計画決定時点では住民の行政への信頼関係は最悪であった。 とても、 まちづくりについて住民と行政が話し合う雰囲気ではなかった。 それが、 6月18日3つのまちづくり協議会と連合協議会が発足した時点では半分ぐらいには回復していたと思う。 協議会発足後各ブロック役員会は、 毎週若しくは隔週開催されることになった。 役員約20名、 コンサル4〜5名、 行政3〜4名の会合である。 互いに人間性や誠意が通じる規模である。 役員主導による進行、 それをコンサルがサポート(議案資料提供、 説明、 助言等)し、 行政(施行者)は、 要請のあった時のみ発言するという運営である。 こういう中で、 この事業は住民の意見を十分聞いて進められることが明らかになっていき、 徐々に信頼関係が回復してきた。 これには、 施行者が地区内に事業用仮設住宅を早期(5月、 8月、 10月)に計94戸建設し、 早く当地区に戻ってきたい住民の要請に応えたことも寄与している。

 (2)「考える会案(公園分散配置案)」の果たした役割
 まちづくり協議会が発足する前、 神戸大学児玉の先生と研究室の学生が支援して住民50人程度による「六甲南地区の新しいまちづくりを考える会」の計画案がまとめられてきた。 まちづくり協議会で、 公園の大きさ・配置を中心とした5.9haのまちづくり案を議論していこうとするとき、 この案は代替案の1つであると住民(各ブロック役員会には考える会のメンバーがリーダー的役割で数名づつ参加されている)も、 コンサルも考えていた。 この案自体が役員会で俎上に乗ることはなかったが、 街区ごとに小規模な広場を分散配置する案として議論した。 結果的には、 街区内広場を公園と同じ公共施設と見ることは難しく広場部分の土地費は再開発施設建築物の床価額に含まれるという点で、 自己負担額を限りなく小さくしたい住民の総意と異なり、 採択されるに至らなかった。 けだし、 この案は、 都市計画決定案と対比する時、 そのやさしさ、 人間らしさ、 手作りの街らしさ、 暖かさが感じられるものであった。 住民の望む街のイメージとして大切にし、 まちづくり案に反映させたいと思っている。

 (3)公園の大きさについての論点
 地域防災拠点整備を事業の目的の1つとしている施行者は、 近隣公園の最小規模の1 haを必要としているのに対し、 公園は必要だが、 当該地区の住民を対象とした規模でよいのではないかという住民の意見の中で、 昨年末まで約半年間公園の規模について議論された。 役員会での主な論点は以下のようなものであった。 a。 市の考えている地域防災の考え方、 b。 公園の規模と再開発ビルの床価額の関係、 c。 公園の平常時の使い方、 d。 公園の地下利用、 e。 公園の規模と再開発ビルの高さの関係、 f。 残存マンションの取り扱い
 一方、 超高層住宅は望まない、 低・中層のみの街がよいという意見も度々出ていた。 そこで、 公園の規模単位で決めるのでなく建物の高さも合わせて街全体としてどの案を選択するかということになり、 次の6つの代替案(模型)をつくることになった。

 (4)住民の合意形成プロセス
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公園の大きさと建物タイプの組合わせ
 上の6つの案について各ブロック役員会で投票が行われた。 1案[公園1ha]×[建物低・中・高層混在]の賛成が最も多かったものの、 3案[公園2,500m2]×[建物低・中・高層混在]もかなり接近した票数であった。 役員会では、 この決定を役員会で下すには責任が重すぎるということになり、 昨年11月中旬各ブロックで住民全体集会を開催することになった。 住民集会を開催したが、 各ブロック共20〜25%の出席者しかなく、 出席者だけで決めるのにはことが重大すぎるということになり、 住民全体へこの問題についてのアンケート調査を実施することになり、 12月中旬に回収した。

 その結果、 回収率40〜50%で1haの公園が防災上必要ならやむを得ないを含めて56〜85%となり、 深備5と桜備4は本年1月最初の役員会で1ha公園案を役員会の結論とし、 2月11日に全体集会に諮ることとなった。 桜5では、 建設省が1haに対して柔軟に対応することになったらしいという「概ね1ha論」が浮上したことと今後の施設配置に関する議論もあり、 少し遅れて3月17日に全体集会を行うこととなった。 それを受けて、 同日晩、 連合協議会が開かれ、 住民合意によるまちづくり案が決定されたのである。

 (5)街区2(旧メイン六甲B・C棟+日本生命)の事業計画決定
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街区2事業計画決定
 この街区は、 昭和48年市街地改造事業により造成されたメイン六甲B・C棟の高層棟が震災により約3度傾き、 今回再び市街地再開発事業により再開発することになった。 このビルの区分所有者による管理組合は、 再開発区域に含まれることとなった直後から、 施行者と一体となり一刻も早い復興を目指して活動を開始した。 4月2日には、 コンサルを決定し、 隔週毎に施設計画部会と権利調整部会を開催し、 仮設店舗、 仮設住宅の建設、 建物危険部分の解体と直面する諸課題に対応してきた。 昨年10月中旬には役員会で基本計画案を決定し、 11月26日区分所有者集会に諮り、 役員改案が承認された。 そして本年2月4日施行者の事業計画説明会があり床価額が発表された。 その後2月20日から3月4日まで案の縦覧が行われ、 3月28日事業計画決定となった。 この間、 管理組合の解散と「深田4南まちづくり協議会」の設立が3月24日に行われた。 他の3つのまちづくり協議会が最大課題として取り組んでいた公園の計画区域と直接関連していなかったため、 事業計画決定に至ったのであるが、 この決定は、 当地区再開発住宅の権利床価額の目安を示すものとして、 他の3つの協議会でも大きな関心事として受け止められ、 今後の事業推進を促すものとして意義は大きい。


2)これからの事業展開

 (1)現在の協議会活動
 公園・道路の配置計画が決まり、 5.9ha全体計画についてまちづくり協議会で議論すべき内容は、 主要施設(公共公益施設、 核となる商業・業務施設等)をどの街区に配置するかということと住宅棟の配置(高さと方位、 賃貸と区分所有等)が主なものとなってきた。 当面、 住宅権利者、 商業権利者にアンケート調査を行い、 住民意向を把握することになっている。 同時に役員会では、 超高層住宅の視察も行う。 6月末を目途に地区全体計画について連合協議会で一定の結論を出し、 その後、 各ブロック協議会でそれぞれの街区の基本計画を練っていくことになり、 年度末には事業計画決定するのが目標である。

 (2)「基本計画会議」の設置とまちづくり協議会との関係
 基本計画会議は、 地元(まちづくり協議会)が地区全体計画を議論しているなかで、 4つのブロックの計画案が矛盾しないように施行者として全体計画の基本的な考え方を固めておくためのものである。 特に地区全体の環境デザインの考え方、 住宅供給の方針、 商業計画の方針等について議論を深めるものである。 基本計画会議のメンバーは、 学識経験者4名、 行政担当者11名、 コンサルタント7名で構成されている。 基本計画会議と環境デザイン部会の座長は安田丑作神戸大学工学部教授、 商業部会の座長は加藤恵正神戸商科大学商経学部教授、 住宅部会は平山洋介神戸大学発達科学部講師、 委員に児玉善郎産業技術短期大学構造学科助教授)の諸先生があたられ、 4月下旬に中間まとめがされることになっている。

 街区2の事業計画決定がされ、 本年中に管理処分計画が決まれば、 来春には六甲道駅南地区で最初の復興の槌音が聞かれる。 が、 この建物は33階建ての超高層であるため工期3年を要し、 入居開始は平成12年予定である。 少し時間がかかり過ぎではないか、 もう少し小規模で工期の短い低・中層住宅を建設し、 一部の方々にでももっと早く再開発住宅に入居してもらう方法がないかを施行者・コンサルで検討をし始めている。 今後も現実的課題を次々に解決していかなければならない。


3)まちづくり提案−街区別施設配置計画

 公園・道路の配置案が連合協議会で決定したとき、 公園の規模は概ね1haということであった。 各街区の施設配置計画と残存マンション住民意向により最終形を決めようとするものである。 3つのブロック協議会は、 これを念頭に役員会、 住民集会を繰り返し合意形式をはかっていった。

 (1)合意形式(案の絞り込み)の方法
 3つの協議会でそれぞれ方法は異なるが可能な限り住民の総意が表れる努力がされた。

 (2)合意形成過程での論点

4)まちづくり協議会のコンサルタントを担当しての所感

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各協議会のまちづくり案の概要
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模型
 震災直後から六甲道南地区の復興計画には関与していたが、 市の住民への説明会に立ち会ったのが1995年3月5日、 解体したメイン六甲B. C棟の区分所有者集会でコンサルとして選任されたのが3月26日、 3つのまちづくり協議会が設立され(6月18日)そのうちの1つ深備5ブロックのコンサルに選任され役員と顔合わせしたのが7月1日、 それから今日まで六甲道南地区と徹底的に付き合ってきた。 これからも続くがまちづくり提案の段階を終えた機会にこれまでのことをコンサルタントとして整理しておく。

 (1)地元住民の思考の変化
 ・第1期:まちづくり協議会が設立されるまで―突然の都市計画決定への反発、 行政への不信から聞く耳持たずの感情的対立が市の何回かの説明会により行政との話し合いに応じようという市民の良識が甦った。

 ・第2期:1ha公園を認めるまで―自分達のコミュニティだけでは必要の無い規模の公園を都市計画の名の下に受け入れざるを得ないことへの葛藤、 見返りを何に求めるか、 落とし所をさぐった時期。 公園の形をサイコロから羽子板に変えたこと、 規模を概ね1haとし縮小の可能性を残したこと、 この間まちづくり計画の参画経験を得たこと等を一応の成果とした。

 ・第3期:まちづくり提案まで―このままでは施行者の思うままになる。 自分達の不安はいっこうに解決されていない。 早期復興ばかりを優先していては自分達の要求、 願いの保証はないと復興へのあせりを一時棚上げしねばり(根気比べ)戦に向かった。 その結果、 南面住戸を増やすため公園を1haから9300m2に減らし、 住宅の権利床価額については原価積み上げ方式に街区間のバランスも加味し、 早期に発表するとの発言を得た。

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