今いろんな示唆に富む話が出てきましたが、 過去の大きな災害、 例えば関東大震災では同潤会、 戦災復興の中では『暮らしの手帖』といった一つの生活文化が生まれてきているわけです。 そこで神戸のこの濃密な5年間を通して何が生まれてきたのか、 何をこれから育てていかなければならないかをお話いただければと思います。
私も高度成長期を突っ走ってきた人間ですが、 今までは「大きい事はええことや」っていう感覚からずっと抜けきない部分があったのが、 この震災を経験して、 小林郁雄さんがよく言われる「小さい事はええことや」ということを実感しました。
高齢化、 少子化は数年前から新聞に載らない日がないくらいですが、 それに加えて「1人暮し世帯」が特に都市では多くなっています。 東京都では、 全世帯数の三分の一以上が1人暮し世帯です。
そのような高齢化、 少子化、 単身化の社会構造に合ったものは何かというと、 やはり小さなエリアの充実とか、 安心な暮らし、 楽しい暮らしだと思うんです。 そしてそれを体現したものの一つが「コレクティブハウジング」だと思っています。
「コレクティブハウジング」と言うと分かりにくいですが、 私は日本語で「平成の長屋の再生」と言っています。 というのも、 元々日本にあった下町は「コレクティブタウン」だったわけです。 路地はコレクティブハウジングの「ふれあい広場」や「ふれあいスペース」にあたります。 あるいはお風呂屋さんやお好焼屋さんが、 自分の台所の続き、 居間の続きとしてあったのです。
そういう意味で、 小さな町、 下町がなくなった今、 しかも昔のまま再生しても地震があったらまた同じ事になるという中で、 下町をどういう形で再生していくか。 その問いに対する答えの一つが、 私は「コレクティブハウジング」だと思っています。
今、 5万戸近い災害公営住宅ができ、 そのうちコレクティブはがわずか341戸ですが、 その良さは月日が経てば経つほど大きな差となって出てくると思っています。 今は泥沼でしんどい状況がいっぱいありますが、 2年、 3年、 あるいは10年待てば、 ほれ見てごらんって言えるに違いないと私は自信を持っています。
それは何故かと言うと、 やはり下町を「平成の長屋」として再生しているからです。 住んでいる人の顔が見えるからです。
大規模な一般災害公営住宅での一番の問題は、 住んでいる人の顔が見えないということです。 鉄扉で閉ざされた小さな空間に閉じこもってしまったことが、 今後もっと大きな問題になると思います。
それから「コレクティブタウン」、 小さな町の中を充実させるアイデアが、 昨日と今日の報告の中にも、 いろいろ出て来ています。
野田北部の森崎さんの報告の中で「サテライト型区役所」というか、 区役所のある部分を地域の中に業務として持ってくるというお話しがありました。 またまち協の方々の中には、 新しい自治会像をつくろうという動きが芽生えてきています。
つまり古い革袋を脱ぎ捨てる時期に来ているわけです。 今までの民生委員はいわゆる名誉職でしたが、 今回災害公営住宅や新しい街の中では、 民生委員が今までとは違う働きをしています。 今は名誉職から脱皮した、 本当に地域を支える形の民生委員も選ばれつつあります。
そういう意味で、 新しい酒が醸造しつつある、 そしてそれらがネットワークしつつあるということが今回の震災で得た教訓であり成果だと思います。
まちづくり協議会がそれぞれ多様に発展してきている事を感じました。 例えば自治会に復帰しようとか、 今後も続けて行こうとか、 そういうふうに多様であること自体が良いことだと思いますし、 さらにお互いに情報化しネットワークしていく体制が一番望ましいと思います。
今回の阪神大震災における大きな教訓は、 大都市圏では難しいからと今まで避けられてきた密集市街地(下町)の問題が、 あらためて全国的な課題になったことです。 そういう意味で、 行政への注文、 文句でも良い点でも何でもいいですから、 とにかく活字で記録をまとめて全国に知らしめて欲しいと思います。
神戸市の戦災復興で一番まずかったのは戦災復興史を出していないことです。 公式の経緯が明らかでないと、 批判も何にもできないので、 中途半端でも良いから出しておけば良かったのです。
出してないのは神戸だけです。 名古屋は戦災直後にバラックをセットバックして建てて、 その後、 そのまま区画整理しただけです。 そのため、 円滑に進みました。 福井は減歩緩和の為に水路を全部潰し城下町の風情がなくなってしまいました。 それぞれのやり方、 それぞれの選択があったわけですが、 何をしたかという事実がちゃんと伝わることが重要です。
というのも都市計画には一般解がないわけですから、 個々のいろんなノウハウを伝達して行くことで、 じゃあどうしようかと考えるきっかけになるからです。
すでに協議会の記録などは沢山残っています。 ぜひそういったものも活かして記録のまとめをお願いしたいと思います。
それと成熟都市では土地の細分化が進んで、 「旦那衆」が少なくなっています。 京都ですらそうです。 では、 旦那衆がいない中でどうしていくかと言いますと、 力なり伝統なり格式とかで誰かがリーダーシップをとる時代じゃありませんから、 顔は知ってるという程度のほどほどのつきあいの中で、 結局は先程の「やっかいごと」というか、 一種のお祭りをしようということになるんだと思います。
そのように、 ある程度地域に関わりを持つ機会を作らないと、 例えば監禁された人がいても分からないような変な都市ができてしまいます。 逆に、 全ての市街地にそういう適切なコミュニティがあり、 それがほどほどに分散してれば、 それなりに良い都市になっていくのではないでしょうか。
しかし、 今は居住の選択の自由の時代であり、 そうでなくても都会は代替わりし人が移り変わって行きますので、 やはり今後は新しい町内会づくりが必要です。
ではこの「新しい町内会づくり」を誰がどうやって支えて行くかという事になると、 やはりお金と人の問題です。 私は最終的にはこれは区役所の仕事になると思っています。
終身雇用制度もなくなってきていますので、 退職した職員の方とか、 あるいはもう50歳くらいで会社を辞めて、 ほどほどの給料があればむしろ地域に積極的に関わっていきたいなんていう人が増えていけば良いと思います。
給料得るためだけの仕事というのは人間なかなかやりません。 どこかである意味での生甲斐なり満足感なりを求めているものです。 とは言っても霞を食っては生きて行けませんので、 そういうところで行政が適切に機能して、 いろんな形で人が関わっていけるようサポートしてもらいたいと思います。
区画整理課も、 あれだけ批判あびて危機感をもったらしく、 減歩ゼロで区画整理やったり、 結構思いきったことをしています。 また阪神で工夫してやられた事はほとんど全部が法律になっています。 人間は問題が起きないと改善できないという事もありますが、 事前に何故分からないんだと言われても、 それはなかなか難しいのです。
だからこそ、 コンサルタントの方には専門家の立場から、 どこがネックだったとか、 どこを変えたらいいかとか、 こういう点が可能になるともっとこうなるという事を我々学者や行政に教えて欲しいのです。
そういうことを、 この5年間のけじめとして言っていただければと思います。 これは多分、 全国の他の自治体が一番望んでいる事だと思います。
お金が足りないという事についての補足ですが、 今、 東京の民間支援団体が検討してるのが「宝くじ」です。 英国ではロッタリーファンドといって、 NPOの資金源としてよく利用されています。
まず当っても取りに来ないお金をまちづくりに役立てたらどうかと検討したところ、 それはダメで、 取りに来なかったなりに配分する先が決まっているそうです。 じゃあ他に方法はないかと東京都にかけあったら、 「あんたらが自分でやりなさい」ということで、 「まちづくり宝くじ」のようなものを検討しているそうです。 兵庫県でもそういう資金源は工夫次第でいろんな可能性がありそうだと思います。
あるいはエコマネーとか、 エコファンドとかもあります。 昨日、 一昨日にも、 一番お金を持っているのは高齢者だというお話がありましたが、 機会がないので出してないだけで、 本当は出したい人が沢山いるんじゃないでしょうか。
まず第一に神戸のまちづくりは歴史の積み重ねであるということです。 これはもう、 3日間聞かせていただいて本当にそう思いました。
ハード面としてはやはり、 戦前の耕地整理、 道路開削、 区画整理があります。 残った所が震災で被害を受け、 そこをさらに区画整理、 再開発という形で対応しています。 こういったハード面の歴史の積み重ねが大きかったと言えます。
それにも増して歴史を感じるのはソフト面です。 都市計画における行政の制度、 人間の蓄積のすごさをひしひしと感じました。 例えば「まちづくり条例」は、 20年前にあのような画期的な条例を作って、 それがまちづくり協議会の枠組みをつくり、 さらにいろいろな活動に繋がったという意味で、 非常に誇るべき大きな歴史だと思います。
次に震災後に生まれた同潤会に匹敵する生活文化として、 先ほどコレクティブの話が挙がりましたが、 これについても私はやはり「形」と「組織」の両面があると思います。
「形」の面としてスゴイと思ったのは、 いろんな協定とか基準とか条例の中で、 多様な中間的なやり方といいますか、 法律でも単なる言葉の約束でもない「中間的なルールの作り方」が実践されていることです。
また、 大きなビルをぼんと作るのではなく、 土地の交換分合とか、 共同再建でも飛び換地をしてみたり、 地道にいろいろ工夫しておられるわけです。 そういうのも普通ではあまり試みられていません。 もちろん非常に切羽詰った状況であったからでしょうが、 いろんなニーズにキメ細かく対応できるやり方を蓄積していると思います。
あるいは概念的にまちなみや景観という事で言いますと、 まちなみ環境整備事業、 あるいはまちなみ誘導型地区計画も、 この震災が言わば産み落としたような制度です。 そういった新しいまちのつくり方は、 まだ行き先が確とは見えてはいませんが、 形として蓄積されてきているという気がします。
あと「形」とは観点が違いますが、 花や緑を植えることがコミュニケーションの媒介になるということが、 私自身も最近実感できるようになりました。 すぐに結果が出ること、 「形」になることをやりながら、 それがまちの景観にもなるし、 人を結びつけるツールにもなるということで、 大きな成果だったと思います。
以上が「形」の面ですが、 「組織」についてはずっとお話が出ていますね。 東京にいますとなかなか時間が進まないのですが、 ここ神戸ではこの5年間に凝縮した時間を経験しました。 それは大きな成果だったと思いますし、 「市民まちづくり」の面でも自治会とか協議会にまつわる様々な成果があったと言えます。
その自治会一つとっても、 ブロック単位だったのが併合されたり、 あるいはテーマを設けたらバラバラではなく全体でやるべきということで連合会を作ったり、 その動態そのものが、 歴史として残すべき重要な事実だと思います。
さらにNPO法も、 ある意味では震災が産み落とした副産物だったと思います。 そのうえ昨日には自治会がNPOとして法人格を取るというお話を伺いました。 私は3年目にもここにお邪魔しているのですが、 その後2年経ったら、 また新しい話が出てきて驚いています。 そういう面も組織としての大きな成果だったと思います。
さらにネットワークということですが、 今日主宰されている支援ネットワークやまち連以外にも、 支援機構などいろいろなネットワークがあります。 こういう「ネットワークしていく」という動態が継続していった事実が歴史に刻まれるべき重要な成果だったのではないかと思います。
5 これから生まれてくるもの
平成の長屋の再生
石東:
神戸の記録を残すことの意味
密集市街地にどう取り組むか
越澤:新しい町内会づくり
それからもう一つ、 日本は良くも悪くも、 ある程度基本的なインフラができている時代ですので、 都市計画の必要性が認知されにくいという事も現実だと思います。5年間の成果を他地域へ
僕は法律制度の改正が一番重要だと思っています。
神戸のまちづくりは歴史の積み重ね
まちづくり宝くじ
高見沢:何を歴史に残したか
さて、 越澤先生のおっしゃった「歴史を残す」ということについて、 私なりに、 この震災後5年で得たものを市民文化的に見てどうまとめるか、 と考えてみました。
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