117番目
《1冊売れました》
今日、 入荷した本を棚に差したら、 今日売れた。 このときの書店人の正しい態度は、 「興奮する」 である。 何百、 何千、 何万とある書店の本の中から、 今日入荷した本が今日売れたのだ、 これはただ事ではない。 しかも棚差しした本だ。 ドーンと平積みした本ではないのだ。 一年置いていても売れない本が多いというのに、 今日入荷した本が今日売れたのだ。 なんどでも書くけど 「今日入荷した本が今日売れた」 のだ。 これに興奮しないで何に興奮するというのだ。 これが今日でなくて3日後でもほぼ同じだ。 これを偶然と言ってしまっていいものだろうか。 その本が1冊売れるということは、 もう1冊売れるかもしれないではないか。 長々と陳列してあった本ではないのだ。 新刊なのだ。いやいやもしかすると10冊売れるかもしれないぞ、 とタヌキの皮算用をしてしまってもいいのではないだろうか。 新刊本の可能性とは、 こういうところにあるのだと思う。 長年の経験から、 この本は年2、 3回転だな、 という本ではないのが新刊である。 全く売れないかも知れないけど、 売れる可能性を秘めているのだ。 その売れるという可能性が見える時、 それが今日入荷した本が今日売た時である。
でも、 書店人の目はとってもクールで、 「あっ、 売れたんだな。 よかったよかった。 」で終わってしまっているような気がする。 「おー、 1冊売れたか。 10冊追加注文だ。」 と盛り上がれる人は少ない。 確かに、 すべて成功する訳でなく、 追加したものがすべて余ってしまった、 なんてことは多いかもしれないけど、 日々の販売で安心しきってしまって、 「売りと買い」 の心を失ってしまったら、 商売なんてほんとにつまらないものになってしまう。 それに売れるものを見失ってしまうことにもなりかねないと思うのだけど。
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