■商品管理ということ
単品管理の徹底ということを書店はよく言う。大切なことだと思う。1冊1冊の商品特性を把握した上で、その商品について販売量を増やすためには、それらについてしっかり管理しなければならないと思う。それは売上を伸ばすための必須条件だ。しかし単品の群れである商品ジャンルについては無頓着である場合が多い。どんな商品群が読者に喜ばれているのか、棚を構成している要素について、どの要素が最も売れ行きが良いのかということだ。野球の本ならルールブックなのか、技術解説書なのか、選手名鑑なのかそんなことだ。その把握の上で個々の銘柄について管理するというのが、商品管理の基本だと思う。
「何が売れていますか。」
という質問に、特定の商品名を答えることは出来なくても、
「タレントの書いた本です。」
というくらいの答えは返して欲しいと思う。
■オメガのシーマスター
僕達出版営業マンが、書店に足を運んでいるのは、注文を取るためだけではない。出版物は書店さんの努力がなければ売れないから、書店さんに商品に対する理解を深めて欲しいと思っている。商品に対する理解が進めば、読者に対してそのアピールの仕方が違ってくることを我々は知っている。
オメガのシーマスターという時計が、なぜいいのかを知っているのと知らないでは愛着度が違うのと同じだ。出版営業マンは書店さんに自社の商品に愛着を持ってもらいたい、売りたいと思ってもらいたいと常に思っている。
あなたの着ている服は、たくさんの種類の中からあなたが気に入って買ったものだ。そしてあなたの買った服がタンスの中にあり、その中からさらに選んだものを着ているはずだ。だからこそ、その服はあなたを輝かせているのだと思う。何が似合うのか、どんなスタイルが好きなのか、どんな素材が気に入っているのか、そんなことを自分の中で、日々無意識の内に決めているのだ。本を売るということもタンスの中にある洋服を選ぶ時のような意識がなければ出来ないと思っている。何が売れているのか、なぜ売れているのかそうした意識の中で本が売られることと、なんだかわからないけど今日10万円分の本が売れたということの違いは明らかだと思う。あなたに似合う洋服をあなたが決めたように、あなたが売る本もあなたが決めなければならない。そのためにはその本の売れ行きについて知っていなければならないのは当然だろう。あなたのことを、なんでもいいからといって洋服を買うほどセンスのない人だと僕は思わない。
■失われた言葉
本を売るということは、出版社と書店の二人三脚だと思う。勿論取次店の努力がなければこの関係も成立しない。僕達は書店の販売動向を知りたいと思っている。売上カードやPOSデータのような数字のことではない。書店さんでも、どこかの店で何が何冊売れたというような情報が無意味なのと同じだ。販売した結果ではなく、これから何が売れるのか、何を売ればいいのかという情報だ。その情報を一番よく知っているのは書店店頭の担当者だ。その情報を集めることで売れる商品が生まれていく。売れる商品は、書店にとってうれしい商品だ。この循環が大切なのだ、と僕は思う。しかし無口な書店人が増えていることで、二人三脚が出来なくなりそうになっている。書店さんが無口であればあるほど、僕のような書店営業をしている人たちからも言葉が失われてしまう。悪循環だ。商品だけが、出版社から出荷され書店の店頭に並ぶ。そこには商品情報の流通はない。無機質な物だけの流通が今起きようとしている。営業マンは「売れますよ」という言葉だけを発し続け、書店はそれにだまされる。とりあえず売れるだろうと思われる商品がセット組され出荷される。とりあえず売れればいい商品だけ欲しいという書店にそれらが並び、「金太郎飴」と言われる。
■饒舌な理由
いったいいつからなんだろう。書店人が無口になり、出版社の営業マンが「売れますよ、売れますよ」と饒舌になったのは。ひとつの商品について熱く論じ合う必要はないが、商品について情報を交換し合わなければ、書店は単なる本を売っている倉庫になってしまうのではないだろうか。本を生き生きと販売するために、書店の人達はもっともっと本について知り、出版社の人と楽しく話が出来るようにならなければならないように思う。
しかし出版社の方にしても、自社製品の話しかしない人達がいることも事実だ。それは「売れますよ。お願いします。」を連発する饒舌な人達のことだ。書店の棚が複数の出版社の本によって成立し、そのことによって読者がその棚から本を買うのだということを考えれば、自社製品のみのごり押しが書店の利益にならないことは明白である。そのことを理解すべきだと僕は思っている。
いずれにせよ出版社は出版社の都合だけで、書店は書店の都合だけで、商売が出来ないのが本を売るという仕事だ。お互いの利益を求め合うためにも、本という商品について、多くの言葉を交わし合いたいと思う。