書店経営2000年5月号掲載分

《新発売の缶コーヒーはうまい!?》

■新刊しか売れません
 ストーカーは困るけど、好きなものや気に入ったものはとことん追いかけるのが正しいと僕は思っている。世の中は次々と流行が変るから移り気になりがちだし、どうしても視線が淡白になってしまうのだけれど、これは、と決めたものについては、途中で諦めてはいけないと思う。本ならなおさらだ。売れそうな本や売れている本について、他の商品の方がもっと売れるかもしれないと思い、その商品の販売をやめることは、その理由をキチンわかっていないと売り損じを生じてしまう。本とはそういう商品なのだ。
 缶コーヒー、インスタントラーメン、ビール、スナック菓子の世界は次々と新商品を発売することで売上を確保するよう仕組みになっている。新しいということが商品の価値だからだ。新しいものについて消費者が多くの興味を示すからだ。だから新しい、これまでとは違うということをテレビや新聞を使って大々的に宣伝する。それによって消費が喚起され、商品が売れるのだ。そういう仕掛けだ。誰でも気づいているだろうが、新商品の味に既存の商品との大きな差はない。缶コーヒーは所詮缶コーヒーでありどんなに努力したってその味を大きく変えることなど出来ないのだ。でも消費者は買う。そこには新しいものに対する欲求があるからだ。もしかすると今のよりもっと美味しいかもしれないと思って。
 では本はどうかというと、新しい本と古い本で価値が変るのかというとそうではない。新しい本も古い本も同じ買う人それぞれによって価値を決定付けられるものである。新しいほどよいという価値観は本の世界にはない。本は驚くほど多くの新製品が毎日世に送り出されている。驚くほど多くだ。それらのすべてについて既刊書よりすぐれているなどと誰が考えるだろう。新刊とは価値のひろがりを意味するものであり、新しい価値を示す商品は、一握りだ。さらにそれは読者によって価値を与えられるものなのだ。
 そこでもう一度最初に戻ろう。「新刊、新刊」と、いかにも新刊が売れるという風に考えることは、本という商品を売る上で間違った判断であるかがわかると思う。「新刊しか売れませんね。」という会話の裏側に新刊しか売っていないという現実が隠れている。

■表情を変えない棚
 売れ行きの良い本があるとその本は出版社で品切れになる。どこの書店でもそれを欲しがる。売れるからだ。重版を待ったり、あれやこれやと手を使い、商品の調達に躍起になる。「注文した本が入って来ない、いったいどうなっているんだ。」と店主は赤ら顔になって怒る。そんなこともT,2ヶ月のことだ。売れ行きが落ち着きだし、注文した商品が店にダブ付き始める。平積みになっていたその本は、3ヶ月後には棚差しになりやがて補充が忘れられ、店から消える。その頃にはまた別の本の注文に躍起になり同じことが繰り返される。
 僕は、知っている。あれほど騒れた本が店のどこにもないということを。確かに世間ではもう別の話題になっているのだが、決してその本を読む人がいなくなったわけじゃない。あれほどいい本だ、いい本だと騒いだというのに、棚から消えてしまっている。読書家と言えども1ヶ月に読める本の量は限りがあるし、本代に使える金額にも限りがある。読みたいな、と思いつつも買わなかった本はたくさんある。確かにあの書店に置いてあったと思う本がない。1年前に話題になった本を店主は古い本だとでも言うのだろうか。古い本は売れなくて新刊だけが売れるとでも言うのだろうか。全く話題にもならなかった本ではない、少なくとも一度は新聞のベストセラーの欄に掲載された本である。そんな本が消えている。棚にあるのはここ数年棚の表情を変えないままの本の群れと、さほど興味の湧かない新刊書の平積みだ。

■追いかけて、追いかけて
 本を売るということは、本を追いかけることだと僕は思っている。売れた、売ったという実績のあるものについては、極端に言うなら、その売れ行きが完全にストップしてしまうまで、注文し売り続けるものだ。これは特にベストセラーに限ったことではない。棚回転で言えば、月に1冊売れる本は極めて優秀な本なのだから、売れたら補充して売り続けるべきだ。ストックを持ってさらに回転率を上げることを考えるべきだ。店で売れた実績のある本の群れがやがて店の棚を形成していく。書店の棚とはそういうものだ。
 さらに本を追いかけるということは、売れている本の周辺書籍(関連図書)にも目配せをするということだ。本は1点だけで売るものではない。売れている本だけの売上なんてしれている。1500円の本を100冊売ったところで売上は15万円、利益にすれば3万円強にしかならないのだ。100冊売る努力は大変なものだ。しかしそれだけでは食っていけない。当然売れている本をネタに周辺書籍も売らなければならない。ベストセラーはこれまで売れなかった本までも動かす力がある。読者に既刊書を売り、店の棚をアピールすることも出来る。

■こだわりを売るということ
「ねえ、ねえ藤川さんこれ面白い本でしょ。」
僕はその本を手にとって見た。内容は都市についての哲学的な考察を論じ合ったものだった。
「別に、面白そうな内容の本でもないけど。」
と僕が素っ気なく言ったことに、彼は少しがっかりしたようだった。
「違いますよ。ほらこの装丁。いまどき珍しくキチンと作ってあるでしょ。装丁家も自慢したいらしくて使っている紙はイタリアから輸入した物だって書いてあるんです。ほら、いい感じでしょ。」
僕は、装丁にまで気を止めていなかったので、あらためてその本をじっくり見た。確かに彼が言うように最近では珍しい手作りの味がする装丁だった。
「ほんとだね。なかなかいい感じだよ。近頃ではここまで手の込んだことをするとコストがかかって本の値段が上がるから、どの出版社でも出来ないんだよ。へー、いまどきこういうことをしている出版社もあるんだ。」
僕は、本がコストダウンのために本そのものの質感が失われつつあることを少し悲しく思っていた。だから彼が差し出したその本が輝いて見えたのだ。

■本の価値
 僕はそのとき思った。本を売るということは本を追いかけるということだが、売れ行きが良いからとことん売るということだけではないということだ。商品について自分の感性で、その商品を読者に届けたい売りたいと思い、店頭に陳列することも本を追いかけるということなのだ。彼はきっと恐らく内容からしてそれほど売れるとは思えないその本を売り続けるのだろう。装丁の輝きを持ったその本を彼は多くの読者に触れて欲しいと思っている。だから大切にその本を売って行くだろう。
 僕は、次々と新発売され消えていく商品のことを考えている。消えて行くことで新しい商品に価値が生まれる缶コーヒーなどの世界と本の世界は決定的に違っている。ハウツーやガイドといった消費されるべき情報を掲載したものは新しい方がいいに決まっている。しかしそれ以外のものについて、多くの読者が新しいものだけに価値を求めているわけではないことを憶えておきたいと思う。

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