書店経営2000年6月号掲載分

《リアルとヴァーチャル》

■誘発買い
 本を買う行動には二種類あると思う。ひとつは、すでに本の情報を得ていて、買うべきものが決まっている場合。これは「目的買い」だ。もうひとつは、書店の店頭で初めてその本を知り、読みたいと思う場合。これは、自分の中に蓄積されている購入意識が、棚や陳列されている本によって誘発されて買うのだから「誘発買い」と僕は呼んでいる。
 店頭である本に出会ったとき、それまで自分の中に蓄積されていたイメージが、急に膨らんで本を買う場合がある。この場合、「衝動買い」のように、買った後でなぜこんなものを買ったのだろう、と思うようなことはあまりない。洋服や靴など趣味の領域にあるものは、小売店で陳列されているものを見、「誘発」されて買う場合が多い。洋服なら、あらかじめ頭の中に着てみたい服のイメージが出来あがっていて、それを店頭で確認しながら、最もイメージに近い商品を買う。買うべき服のメーカー名やブランド名が決まっているわけではない。決まっているのはサイズだけだ。書店に立ち寄るというのはこの洋服を買うときの心理と似ている。猫の本がほしいんだけど、何か面白そうな本はないのかな。というような感じだ。猫の本を探すという目的はあるのだが、本のタイトルや出版社の名前を決めているわけではない。買い物が楽しいのは、自分のイメージと自分で見付けた商品が一致したときに生まれる満足感による。その点、日用品などは買うべきものが家を出るときから決まっていて、多くのものが目的買いされる。また高価なものもそうだ。本は売り手によってお客の購入意欲を誘発させやすい商品だと言える。だから棚の品質管理に努力するのだし、読者はその棚の魅力に引き寄せられて、その書店を度々訪れるのだ。

■ネット書店でお買い物
 最近では、インターネットを通じて本を買うということが特別なことではなくなったし、多くの仮想書店がネット上に立ち上がっている。宅配で届けてもらったり、コンビにで本を受け取ることも出来るし、家に居ながら本を検索し、注文出来るのは、何よりも便利だ。書店に行って店員さんに本の問い合わせをしても的確な答えが期待できない昨今では、ちょっと味気ないが、機械と会話したほうがましな気もする。しかし何か面白い本はないかと思い、仮想書店を訪れるとひどい目にあったりするから注意が必要だ。
 例えば、放浪記で何か面白いものを探したとする。藤原新也の「印度放浪」には導いてくれるが、残念ながら沢木耕太郎の「深夜特急」に導いてくれるネット書店を僕は知らない。つまりキーワードに「放浪」が付かないものは、検索不能なのである。猫なんてキーワードで検索するとひどい目に合う。とんでもない数の猫という文字のついた本が並ぶからだ。絞り込んでもそれが本当に読みたい本なのかどうかわからない。気の利いた書店ならブックフェアーという手法で、普段は棚に入っていない本やジャンルが少し違う本をまとめて並べてくれるから、そこで知らなかった本と出会ったりできるのだが、そんな気の利いたことをデータベースという化け物はしてくれない。しかし、いづれはユーザーの立場に立った仮想書店が出現するのだろう。スティーブン・キングの「スタンド・バイ・ミー」をキチンと読者に届けられる仮想書店の出現を待ってます。キーワードは、「冒険」「少年」「ミステリー」、何になるんだろう?

■商品はリアルじゃなきゃ
 僕は、通信販売のような、商品を実際に目で確かめ、触れないような商品を買うことに抵抗を感じるタイプの人間だ。通信販売で買ったことはあるが、それは小売店で見たものを通信販売の方が安かったからで、通信販売の広告に書かれた言葉や写真だけで選んだのではない。広告の商品イメージだけで物を買うなんて僕は出来ない。だからインターネットで本を選んで買うということも出来ない。利用するとすれば、きっと書店の店頭で本を見て、その時は買わなかったけど買う気になり、書店までわざわざ出掛けるのも面倒だし、その本が棚にあるかどうかも疑わしいといったような時なのだろう。
 書店の店頭で棚から本を1冊1冊抜き出しながら買うべき本を吟味することと、インターネットで検索しながら読むべき本を探すこととは意味が違う。読書のプロと言うべき評論家や熱心な読書家なら検索キーワードも豊富であり、自分の読みたい本を探し当てることだって可能なのかもしれない。しかし多くの読者は、何か面白いものはないのか、という曖昧なイメージの中で本を楽しんでいる。この僕だってそうだ。だから僕の趣味に会う本を多く展示している書店は重宝するし、その書店の棚から自分の世界を広げて行くことができる。そして何よりも、ハードカバーとソフトカバーの質感の違いや活字の大きさ、レイアウトなど、本という商品の魅力のひとつひとつを確認しながら書店での買い物を楽しんでいる。

■仮想と現実のはざ間
 仮想とはあくまでも現実を踏まえた上で、現実のイメージを膨らませたものである。非現実的なものは仮想ではない。とするならば、現実的な書店のイメージを膨らませたものが仮想書店である。では、現実的な書店とはどんな書店なのだろう。そのことを皮肉にも仮想書店が教えてくれている。仮想書店が目指す書店こそが現実の書店の理想なのだ。仮想書店は、「キチンとした品揃えをしている」、「読みたい本と出会える」、「利用する方のニーズに応える」「迅速に届ける」と言っている。仮想書店が目指す書店の姿が今、現実の書店から消えそうになっている。そして仮想書店が書店の理想を高らかに謳っている。これを本末転倒と言う。ヴァーチャルとリアルの反転が書店で起きているのだ。
 先日、東京のある書店で久しぶりに興奮を覚えた。まさに本がイキイキと読者にその存在をアピールしていたのだ。平積の1点1点が他の本との関連性において連鎖してた。コーナーのひとつひとつが時代を的確に表現する本で埋められていた。一般の書店ならくすんでしまうような本が陳列の工夫により輝いて見えていた。吸い寄せられるように読者は、棚や平台に群がっていた。そして僕もまた、仕事を忘れて1冊1冊の本を手に取りページを繰った。そしてなぜか嬉しかった。もう二度とめぐり合えないであろうとあきらめていた書店の風景が僕の目の前にあったからだ。熱心に次から次へと棚から本を取り、ページに目をやる人達、ただ棚を眺めるのではなく、手に取りたくなるような本が目の前にあった時、誰でもそうする仕草だ。
 僕は思う。こうした書店を実現するためには、多くの努力が必要なのだ。ただ単に本を並べるのではなく、読者ひとりひとりのために仕掛けを作っていく作業は、一人で出来るものではなく複数のキャリアのある人たちによって作りだされるものである。そして本という商品は、命を吹き込まれていくのだ。Aという商品は仮想書店でも、うらぶれた書店でも、このような店で売れる。しかしAだけでなくBという商品さえ欲しくさせるこの書店の在り方にリアルなパワー僕はを感じた。
 僕は、頑固で、旧タイプの現実派である。書店での楽しい買い物を断固支持する。ヴァーチャルに負けるな、リアルがリアルであるために、書店は、頑固で現実派の読者のために仮想書店に負けないくらいの努力をすることが今求められている。

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