書店経営2000年7月号掲載分

《よい子は、ただそれだけ》

■エッチ本の在り方
 先日近所の書店をちょっとのぞきに行った時のことだ。別段買う予定のものがあるわけじゃなかったのだけど、あの書店は今どんな本を売っているのかな、なんて気になって立ち寄っただけだった。いわゆる冷やかしだった。
 棚をしばらく見て回り、特に目新しい本もなかったし、僕の興味を引くようなブックフェアーもやっていなかったので帰ろうとした時だ。4,5人の男がレジにいる男性にこう言っているのが聞こえた。
「置いているのはここだけか?」
と棚を指差している。腕には腕章が巻かれていて「教育委員会」という文字が見えた。彼らが何の目的で書店に立ち寄ったのかはすぐに分かった。指差しているのは、いわゆるエッチ本だったからだ。教育委員会の人がそうする本当の理由が何なのかを、僕は理路整然と説明できない。この事を考えると、青少年の保護、出版の自由、モラル、社会的責任、そんなことが頭の中でグルグルと渦巻いてしまうのだ。だから理屈はちょっと横に置くとして、今、書店が商売という枠を超えて第三者から禁止事項を突きつけられているという事実がここにあるということ、それも書店店頭の現実なんだと僕は、書店さんも大変だなと、その風景を目の端に入れながら、その書店を出た。
 僕は町の書店を見るのが好きで、出張で地方へ出掛けると、僕の会社が出版しているような専門書を置いていない書店にも立ち寄るがある。エッチ本ばかり置いている書店があると、僕は天晴れと思う。売れるからいいんだもんね、と僕は思う。でもその反面、結構いい品揃えをしているにもかかわらず、店の隅にかなりきわどい本を置いている書店を見ると、この本のせいで立ち寄らないお客さんもいるのにな、別にこの本で食ってるわけじゃないでしょ、と言いたくなる。エッチ本の売上がなくなるとその分売上が減ってしまうと考えるからなんだろう。だけど冷静に考えれば、あるものを棚からはずせばその分売上が落ちるのはどの本でも同じで、別の手法で売上を確保したり上げたりするのが商売というものじゃないのか、と僕は思うのだ。

■それは売れるのか
 さっきの話に戻るのだけど、教育委員会の人は、店の在り方や展示の仕方について助言しに来ているのだと僕は思いたい。
《エッチ本ばかり置いている書店だったら、少年たちは入りにくいだろう。でも普通の書店の片隅にそれらが並んでいる、どうぞと言わんばかりに並べていることについて、「もうちょっと商売のことを考えたらどう?これだけでメシが食えると思わないけどなあ、この本のせいであそこの本屋さんに行っちゃダメと子供たちに言っている親がいたらその分売上は落ちるよ。この本以外に売れる本を探す気ないの?」》
 禁止事項を突きつけられて、書店さんはちょっと困った顔をしていた。でも僕は常々思っていた。200坪を超えるこの書店には、きわどいエッチ本コーナーは不要だ、そしてそれを置いているこの書店の棚の在り方は、決して積極的に売ることを考えた棚じゃないということ、読者の満足を得るためには坪数じゃなく商品で勝負しなければならないということ、お客さんにアピール出来るようになれば、エッチ本コーナーが必ずしも必要であると思えなくなるはずなのだと。本だったら何でもあるよ、と看板には書いてあるが、その意味を本当に理解しているのか僕には疑問だったのだ。もし本当にエッチ本が品揃えに必要なものなら、教育委員会の人に禁止事項を突きつけられた時、困った顔などせず、商品として売っていることをキチンと説明出来たはずなのだ。

■禁止事項
 第三者から言われる禁止事項については、いろいろと不満があるだろうし、理不尽な感じを持つだろう。なんで売っちゃいけないのよ、売れているんだから、という風にだ。でも足元を見れば自分自身で禁止事項を作っていることが結構多い。置いちゃダメと言われるから置かない、ということと新刊が配本されても即返品して店に本が並ばないということは、ある本が読者の目に触れないということでは同じだ。人に言われると不満だけど、自分でやるとOKというのは、どこか違うんじゃないかと思う。
 禁止事項というのは、店の壁に貼ってあるものじゃなく、なんとなくそうなんだろうなとみんなが思っていることが多い。例えば、この本は文芸書、この本は一般書といって売り場を分けるやり方、雑誌コーナーでは書籍を陳列しないということ、店に入れるべき棚がない本は返品してしまうということ、売れているが新刊委託期限が迫った本の追加注文、本当は取次店に在庫があり入荷が早いと分かっていても「三週間くらいかかります。」と言わざるを得ないルール、まあ数え上げたらキリがないくらい書店現場の禁止事項はあるはずだ。でも禁止されているわけじゃなくなんとなくそうしているということが多いはずだ。
 禁止事項というのは、禁止することをキチンと納得した上で実行するのが正しいやり方だ。だが書店で行われている現場の禁止事項について、その理由が理解されているかどうか、そこが問題なのだと僕は思う。売れるから売っているのではなく、売りたいから売っているという理屈がない限り、教育委員会から伝えられる禁止事項は守らなければならなくなるのと同じことだ。日々の仕事の中で、何をどう売るのか、なぜそうするのかが理解されていない。誰もがそうしているから、誰もがそうしないから、出版社の営業マンや取次店の人が売れるというから、そんな無難な流れのなかで日常の業務をこなしてはいないだろうか。かつて犯罪を犯した少年の顔写真が掲載された雑誌を売っていいのか、いけないのかという議論があったが、こうした時、本という商品に対するしっかりとした理解があれば、そのどちらでもいいというのがその時の僕の意見だった。誰かが言ったからとか、近所の書店の対応を見てから売る、売らないを決めているようでは、結局教育委員会の言葉に困惑し続けなければならなくなる。改善すべき書店現場の禁止事項についても気づかないままになってしまう。

■「暮らし」という棚
 もう随分前の事で、今ならあたりまえのことなのだが、当時斬新なアイデアであると感心したことがあった。それは書店のジャンル分けで「暮らし」というコーナーを作った書店のことである。料理、趣味、健康などが並んだコーナーの本を「実用書」と呼ぶのが一般的だった頃のことだ。環境問題や税金問題はそれぞれ自然科学書と法経書に分かれているのが書店の常識だったのだが、その書店では「暮らし」というコーナーに料理やスポーツの本と供に展示されていた。規模の小さな書店で自然科学や法律・経済を扱い、展示するにはピッタリのジャンル名だと僕は感心した。本を売りたいという気持ちが既成のジャンルを打ち破るアイデアを閃かせたとしか言いようがない。その棚は輝いていた。生活に関連することならその棚を見ることでほとんど間に合ってしまうのだから。
 もう分かってもらえたと思う。誰かか準備したものには魅力がないということ。それは誰かがやれと言ったこともそうだし、してはいけないと言ったこともそうだ。商品と向き合うことにより魅力ある棚をつくり上げていくこと、そうすることで読者が満足し、それによって売上が上がっていくということ。簡単に言えば、親の言うなりになる子は、独創性のある魅力ある子供には育たないってこと、書店だってそうだ。

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