書店経営2000年8月号掲載分

《ひと肌脱ごうじゃないか》

■今欲しい
 欲しいものをすぐに手に入れたいというのは、誰でも持っている欲求である。
「からすみある?」と飲み屋の主人に聞いたら、
「生憎切らしてね。明日なら入るよ。」
と言われた。しかし今日食べたいのだから、明日と言われてもしょうがない。欲求不満になってしまった。そんなお客に満足してもらうために、
「お客さん、今食べたいなら市場に買いに行ってきますよ。」
と店の主人は絶対言わないし、夜の市場は閉まっている。一人のお客のために、割に合わないことはしない。僕もそれは分かっているから、別の肴を注文することになる。>br>  このような飲み屋のお客と店の関係は、書店においても成立する。
 急に本が必要になり、近所の書店を探し回ったが、どこにもなく、取り寄せて貰うことを決心したお客さんに書店は、
「三週間ほどかかりますが。」
ととおり一遍の答えをする。
「そんなにかかるの?一週間後にこの本を使って勉強会をするんだけど、困ったな。」
とお客は戸惑う。
 飲み屋のシーンと違うのは、この時、別の本を買ったりしないことだ。今欲しい本は、今欲しいのだ。お客は、取次店か出版社まで走って欲しいとさえ思っている。だけど割に合わないから絶対に書店はそんなことはしない。お客の残された道は、他の書店でその本を探すことなのだが、ここまで切羽詰るときには、すでに何軒かの書店を探し回ったことが多い。「なんとかなりませんか」「なんともなりません」という言葉が繰り返された後で、お客はため息をつく。

■最後の切り札
 こういう場合の切り札が「直送」である。通常、出版社から取次店へ、取次店から書店へというのが商品の流れなのだが、商品のみ取次店をバイパスして出版社が直接を書店に届けるという方法だ。伝票だけが取次店を通ることになる。
「少々お待ちいただけますか?出版社に聞いてみますから。」と言い、電話を掛ける。出版社の担当者にお客さんが大変急いでいる旨を伝え、直送の了解を得る。送品コストは書店が負担することになる。1000円の本を売るために400円ほどの送料を負担したのでは利益はない。しかし顧客サービスという名の元に赤字覚悟で、お客さんの満足を得る。
「三日後に届きますので、入荷しましたらお電話します。」とたっぷりの笑顔でお客にその旨を伝えると、
「そうできるんだったら、最初からそうすればいいじゃないか。」と憮然とした顔になる。勿論その配慮を喜んでくれるお客もいるわけだが。薄利である書店にとって100冊買ってくれるなら、直送にかかるコストだって、負担してもいいという気持ちになるだろう。しかし損してまでやるべきことではないのだ。でも直送は、サービスの最後の切り札として、書店でよく切られる札である。

■電話の向こう側
 直送はイレギュラーな流通形態である。しかし直送は客注の処理に絶大な効果を発揮する。だからすべての客注を直送にして、送料はお客が負担すればいいという発想もあるようだが、客注をすべて出版社から書店へ送るとなると、出版社の負担は相当なものになる。1冊出荷するのも100冊出荷するのも梱包にかかる手間はほとんど変らない。1冊1冊出荷するというのは、作業コストの問題を解決しなければならないのだ。また仮伝票で書店に送り、その受領を確認し、取次店へ直送した旨連絡し、正規の伝票を発行して請求するという事務コストもバカにならない。調べたわけではないから何とも言えないが、こうした理由から直送を断っている出版社は少なくないのではないかと思う。
 出版社にとっても、書店にとってもメリットがない「直送」が行われるのは、読者の欲求が見えるからなのだ。店頭でお客に困った顔をされたとき、そして困った顔をしたお客さんの前で困った顔をして電話をしている書店さんの顔が見えたとき、直送は成立する。
 僕は、出版社に勤務してるという立場から「直送」を奨励することは出来ない。理由は、先ほど書いたようにコストがかかり過ぎるということだ。しかし、直送という行為における書店と出版社の関係が僕は好きだ。読者の欲求を介して、出版社と書店が本を届けたいという共通の目的のために接し合うことが出来る場、それが直送だと思っている。電話の向こう側にいる書店さんが、本を1日も早くお客さんの手元に届けたいという気持ちがストレートに伝わって来るような場面において、コストは問題外であると僕は考えている。電話の向こうに困り果てた書店さんの姿が見える時、僕は、「ひと肌脱ごうじゃないか。」と直送の了解をしている。

■勘違い
「送っといてよ。それ。」
と電話口で言う人がいる。
「直送のことですか?着払い送料になりますが、かまわないんですか?」
僕は、書店さんの負担のを考えてそう聞いた。
「かまわないよ。送っといてよ。その方が早いから。」
そう言うと、送り先の住所や帳合などを告げて電話を切った。
 確かに、直送は商品を調達するのに最も早く確実な手段である。繰り返しになるが、そこには大きなコストがかかっているのである。コストをかけるのは書店だけではないことを、この電話主は分かっているのだろうか。直送は最後の切り札であり、書店と出版社の信頼関係と読者への思いによってのみ成立する流通手段であることを理解しているのだろうか。決して金さえ出せばそれでいい、というものではない。こういう人に限って直送品の受領処理が遅く、受領書の送付を督促することになるのだ。直送を決断する前に、取次店の在庫、入荷までの日数などを確認したのだろうか。どうせ在庫がないだろうと取次店が思われているなら、それは取次店の努力不足だ。直送が当たり前のごとく考えられ、当たり前のように行われるようになれば、そのコストの面で直送を断るようになるのは必定である。勘違いしてもらっては困るのだ。直送は流通の一手段ではなく、書店と出版社そして取次店が金儲けを超え、読者の満足を得るために行う手段だということなのだ。

■昔の話題
 流通はコンピュータの導入などによって改善され、取次店の在庫も居ながらにして見ることが出来るシステムも開発された。これにより書店は、対読者サービスを向上させている。しかしながら、直送が存在し続けるのは、多品種を取り扱う出版流通にパーフェクトなものがないことと、インターネットショッピングなど短期間で商品を手に入れる方法が確立しつつあり、読者が店頭での注文に苛立ちを感じるようになっているからである。現状では直送を裏技としか言いようがないが、冒頭に書いたお客の反応のように、
「なぜ3日で入荷するものを、最初からそうしないのか?」という疑問に応えられるような仕組みを業界全体で考えないければならない時代でもある。今買いたいものは今欲しいという欲求を満たす基本は、店頭の品揃えである。本当は今欲しいのだけど、少しなら待ってもいいよという欲求に応えられる仕掛けをこの業界は開発途上である。急がなければならないと思う、ベストセラーがすぐに「昔の話題」になってしまう時代に、本を手にするまで3週間も待ってもらえないのだから。

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