書店経営2000年9月号掲載分

《商売はマラソン》

■コンビニの事情
 会社の近くにコンビニが2軒ある。ひとつは以前からあるもので、その1軒で僕や僕の会社の人達は充分重宝していた。そして1年前に新しいコンビニがその店のすぐ近くに出来た。立地としては新しい方がやや有利であると思えたが、50メートルも離れていないその店の立地が、特に優れているとは思えなかった。新しい店は開店時には大混雑した。混雑を嫌がった客は以前からある店に足を運んだ。コンビニだから商品に大きな差はない。ゆったりと買える分そちらの店の方がいいと僕は混雑したその店を避けた。同一地域に同じような店が2軒あるのだから、既存店の売上が落ちるのは目に見えている。当然の話だ。客の取り合いになるのは目に見えている。取り合いになるといういことは、客の目からすれば品揃えの良い方に足を運ぶということだ。僕は激烈な品揃え合戦が行われるのだろうと予測した。しかし、それは僕の間違いだったのだ。
 新しく出来た店の方には、立地が少しだけ良い分客が流れていた。これまでにあった店の方は目に見えて客が減った。しかし激減したわけではない。僕のような混雑が嫌いな客や、その店の方が便利である客、その店にしかないものを求める客が入っていた。しかしながら数ヶ月後客は激減したのである。理由はわかっている。品揃えが悪くなったのだ。10個置いていた弁当が7個になりやがて3個になった。またその種類も減った。補充されないで放置された商品も目に付くようになった。2人いた店員が1人になった。棚に隙間が出来るようになり、売れていないというムードが店全体に漂うようになった。

■売れない理由
 僕はコンビニの仕入れについては素人だから間違ったことを言っているのかもしれない。でもこんな風になのだろうと想像できる。
 10個売れていたものが7個になったら仕入れは7個にする、売行きが少しでも落ちたら仕入れストップで売り切り、新しい商品を入れて新たな需要を掘り起こすというのが売上確保の前提になっている、それは近くに競合店が出来ても同じ仕組みの中で仕入れが行われるということだ。競合店に勝つための仕入れではなく、店の売上データに基づいた無駄のない仕入れ、それがコンビニ流というものなのだと僕は店のありようを見て想像したのだが、どうなんだろう。
 競合店がある場合、無理を承知で厚めの品揃えをし、競合商品の研究と相手の品揃えの弱点を突く仕入れをするのが常套手段であると僕は思う。しばらくは赤字覚悟で客を逃がさないよう努力するのが当然だと考えるのだ。しかしコンビニの世界はクールだった。売上が落ちれば売上が落ちただけの仕入れと人員で営業するのだ。相手を潰す勝負には出ない。僕は、その店のこの1年の変りように驚いている。ゆったり買える店だったのに、買うものがない店になってしまったのである。これじゃジリ貧になるのは当然だ。何の努力もなく、何の工夫もなく、ただただ日々の売上だけが店の目標であるこの店が、やがて潰れていくのが目に見える。
 先日、弁当を買いに行ったら、棚卸中だと言って入店を断られた。最も売上の高い昼休みに平然と棚卸をしているのが、僕には信じられなかった。そして、店員は申し訳なさそうに、僕に明日これを持ってきたら30円割り引きますというチケットをくれた。欲しい弁当が今買えないのに明日の割引券を貰っても何の価値もないことを気づかないのだろうか。

■参加するだけ
 「参加することに意義がある」といわれるのはオリンピックだ。僕もそう思う。しかし参加するまでの練習の道のりを考えると、参加するだけで、意義を感じちゃいけないとも思う。やっぱり勝ちたいよね。
 僕は、長距離ランナーの経験が少しだけあり、マラソンを見るのが好きだ。42.195キロのドラマは、良質な映画を見た時と同じくらい感動させられる。なぜなら、レースまでの長い練習の道のりを乗り越え、今まさにゴールのテープを切る彼の姿に、勝負の厳しさや挫折を乗り越え、それでも走りつづける勇気のことを考えさせられるからだ。優勝者に贈られる拍手は、その結果ではなく、彼がだどった優勝までの長い道のりに対してである。すべてのスポーツに共通するが、競技までの練習により結果が生まれる。僕は、先頭でゴールするマラソンランナーを見るたびに、その事を思い、目が熱くなる。大切なことは優勝した今の瞬間ではなく、長く走り抜いたこと、そして長く走り抜けるようよう毎日の練習を積み重ねたことなのである。このマラソンランナーのありかたこそ、今を生き抜くひとつの考え方ではないかと僕は思う。
 売上が厳しくなったこのコンビニについて僕はこう言うだろう。
 売れない時ほど仕入れを厚くし、売上回復を目指していくのが勝負に勝つ手法なのではないか。これまで地域一番店としてがんばっていたのだ。それが、ひょんなことから競合店が出来て売上が厳しくなってしまった。コンピュータが無駄な仕入れを止めるように指示を出したとしても、そこはそれ、負けるわけにはいかないのが商売というものだ。売れている時には強気の仕入れ、安定したら無駄のない仕入れ、落ち込んだ時には回復のための新しい発想の導入とそれをバックアップするための商品の確保、これをやらないと勝てはしないのだ。オリンピックは参加することに意義があるのだけど、ただ参加するだけじゃなく、これまでやってきたことすべての結果について満足するという意義なのだ。僕は息切れしそうになっているその店に、かつて店がやってきたこと、お客さんが喜んでいた頃のことを思い出して欲しいと思っている。どうして低迷してしまったのか、要因は外にあるのではなく内にあるのではないか。商売に参加しているだけではその意義はないということ、僕が言いたいのはそんなことだ。

■書店事情
 こういうことはきっと書店の事情の中にも存在すると僕は思っている。同一地域に書店が乱立し、客の取り合いをしている構図は、コンビニほどでないにしても同様だ。勝つための戦略はあるにせよ、それをどういう形で行ない、それを継続するための資金や人材についてどれだけのビジョンがあるのか疑わしい。なぜなら、新規店を立ち上げても、1年も経たない内に変更される商品構成、開店時から時間を経るにしたがって劣化する棚の品質、問い合わせに満足な返事が出来ない店員、POSデータを使い切れない管理者など、昨今の不況と競合店の進出による売上減を何とか食い止め、または売上を確保する手法とアイデアが不足しているように思える。小さな部分のみに気を取られ、全体が見えにくくなっているように思えるのだ。これまで培ってきた経験を今こそ振り返り、品揃えに生かす時なのだと僕は思う。
 インターネットが普及するにつれて書店の事情は変りつつある。客注品について店頭では3週間かかると言っているが、インターネット上の書店では3日で手に入れることが可能なのだ。読者はそのことをもう知っている。時代やニーズは、日々変化している。日々の売上に固執するあまり、時代の流れや読者ニーズについて把握できなくなっている。また売上を上げるための投資の多くを情報分野に注ぎ込み過ぎているようにも見える。要するに商売とは商品を売ること、そしてなによりも商品が第一義であるという単純な発想が必要なのだと僕は思う。ごく当たり前で簡単なことだ。慌てることはないと思う。日々積み重ねてきた経験を、今の時代に生かせばいいのだ。勝利は手の届くところにある。

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