書店経営2000年10月号掲載分

《歌謡曲ってどんな歌?》

■分類するということ
 若者が使う「渋谷系」とか「ストリート系」とか「○○系」という言葉、インターネットの検索エンジンに表示される「カテゴリー」、動物占いにおける「あの人はひつじよ」とか「コアラよ」など、分類された事柄によって僕達はいろんなことを認識している。「分類学」という学問だってある。何に属するのか、どういう系統であるのかを知ることで、そのものの理解と認識を深めているである。
 僕が若い頃、どんなロックを聞いているのかで友達の種類が分類されていた。ハードロックかウエストコーストか、アメリカかイギリスか、ブルースかロックンロールかなど、聞いている音楽の種類で友達の性格までもを認識してしまう仕組みになっていた。今だってそんな傾向はあるだろう。アイドルなのか、ビジュアルなのか、はたまた演歌なのかという風にだ。それもかなり細かなジャンル分けがされている。だから歌謡曲ってジャンルは死んでしまっている。流行歌なんてもう言わない。ちょっと古いが顔のジャンル分けもあったなあ、「ソース」か「しょう油」かなんて。
 ジャンルに分けられているというのはすごく便利で、巨大スーパーマーケットに行って、ジャンル表示がなかったら、とんでもないことになる。「魚」と書いてあるだけで、貝だってあるだろうし、海草だってあるだろうし、気が利いている店だったら、わさびだって手に入るに違いないと想像できるのだ。もし案内表示がなかったら、魚を求めて店を一周しなければならない。
 先日コンビニで暖めて食べるごはんを探した時のことだ。僕はごはんはおにぎりや惣菜のところに置いてあるのだろうと思った。これは残念ながらハズレた。暖めるごはんは、レトルトのカテゴリーに属するのだった。みんなは常識だよと言うかもしれないのが、僕の頭のなかでは、ごはんはおにぎりなんかと同じカテゴリーにあったのだからしょうがない。まさかカレールーやスパゲッティソースと同じカテゴリーだなんて思わないじゃない。
 ビンに入っていると焼酎とビールは別ジャンルだけど、缶酎ハイと缶ビールは同じジャンルなんです。これも常識的だ。肉屋には鶏肉が当たり前のごとく置いてあると思うが、鶏肉専門店(関西では「かしわ屋」という)が近くにあると肉屋に行っても鶏肉は手に入らない。肉屋のカテゴリーに鶏肉がないことがあるという例だ。極めつけは、無所属という政治家はどこにもに属さないことを意味しているが、選挙が終わると特定の政治団体に急接近してカテゴリー化しまうということもある。

■古いカテゴリー
 なんだか前置きが長くなってしまった。今回書きたいのは、書店におけるジャンルの表示や商品の分類のことだ。それは、お客さんを目的の棚に誘導するためになくてはならないものだが、誘導するからにはそこには的確に商品が陳列されている必要があるということだ。そしてその表示とは、書店側が本を補充するのに便利であったり、とりあえずお客さんを誘導するものであったりしてはならないと言うことだ。
 一般の人から税金の本を尋ねられたとき、税務の棚に案内するのは間違いであることは分かると思う。「暮らしと税金」という棚があれば、そこを案内するのが正しい。またその棚は、税務関係の専門書の棚の隣にあるのではなく、一般の人が多く立ち寄るコーナーにあることが望ましい。僕なんか業界にどっぷり浸かっているからこうした本を探すときは、税務書の棚を見に行く。そして目的の本がなく、レジで尋ねると
「やさしい税金の本は実用書コーナーでございます。」
と言われて、なかなかやるなと思う。そして自分の頭が古いカテゴリーリから逃れられないことを呪うのである。

■センスの問題
 書店におけるジャンル分けがスーパーマーケットのそれと違うのは、そこに書店の知恵と読者の欲求が凝縮されていることだ。スーパーマーケットのそれが案内であるのに対して、書店のそれは買わせるための手法だということだ。そういうことに気づいている書店は、小分類(実用書なら料理、手芸、ペット、釣りなど)をさらに細かく分類して棚を見せる工夫をしている。「戦争」という恐ろしげなプレートを出している書店の棚には、戦闘機や銃、戦車、戦艦についての本がぎっしり入っていた。「ダイエット」という棚もあるし、「節約」という棚もある。ある書店で「耽美」という棚を見つめながら、僕は耽美とは奥が深いものだと感心したものである。
 書店の案内板というのは、ミニコーナー感覚で本が集められている棚にお客さんを誘導するものであると思う。読者にとって親切で買いやすく、探しやすい棚とはそういう棚なのではないだろうか。そしてミニコーナーとは、選書する人のセンスによって集められる本の群れのことだ。そして、集められた本は来店する客の嗜好に合致していることが求められる。決してデータベースからキーワードを使って抽出できるものではない。書店員の経験と知識によって構築され、分類されたものであるである。
 肉には赤ワイン、魚には白ワインという分類は時代遅れだ。牛ロースに合う赤ワインを銘柄と産地そして年代で指定するような感覚が書店の棚を作る時に必要になっている。デパートのワイン売り場で、目のくらむような種類のボトルを前に、結局値段でワインを決めている自分が情けないと同時に、少しくらい高くても、この料理には絶対これがお薦めです程度の案内さえあれば、購入の仕方は変ってくると思う。白、赤、ロゼ、甘い、辛い、産地この程度の分類しかしていなようじゃ、売り場としては甘いと僕は思う。要するにセンスの問題だ。案内板とそこにある本を見たら、その店の実力がわかる。

■ 書店における分類
 ジャンル分けというのは曲者だけに、話があちこちに行ってしまったようだ。整理しておこう。
 商品を分類するということは、お客さんが目的の商品にたどり着くための便宜的な手段であるが、本という商品の場合、分類することで商品を群れとして見せ、さらに読者の興味をその棚に集中させて購入につなぐためのものである。また本という商品は、既成のカテゴリーを使って分類するとニーズに合わなかったり、本来の読者が存在する棚に本が仕分けられなかったりすることがある。パソコン本はひとつのジャンルであるが、ニーズとレベルにより、ひとつにくくれない(wordやexcelの解説書にだってニーズとレベルに違いがある。Wordの本なら全部同じなんて考えないでしょ)。そのことを考えると、書店の棚の分類をどのようにすれば良いのか、どのような商品を自店で読者に提供すれば良いのかが分かりやすいと思う。またAという商品の展示場所はひとつではないはずだ。売れない場合、場所を変えるだけで動き出す本があることを忘れてはならない。つまり、書店における分類とはあくまでも売るための手段でなのだ。だから、誰が何と言おうと、店独自の分類をしてしまってかまわない。書店は図書館ではないのだから。
 ところで「虫の宇宙誌」という本は、昆虫観察記だから自然科学の棚に陳列すべきなのか?、すべての昆虫好きに読んで欲しい格調高いエッセイだから随筆の棚に陳列すべきなのか?。夏場は自然科学、秋になったら随筆というのが僕の答えなんだけど、1冊の本をそんなにもて遊んではいけないのかな?

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