書店経営2000年11月号掲載分

《渚のゴミ拾い》

■返品のない月曜日
 かれこれ15年前に出版された「返品のない月曜日」という本のタイトルは、納品のない日曜日に作った返品が、書店から月曜日にまとめて到着することを憂い、納品した本がすべて売れ、返品が1冊もない月曜日を迎えることが出来たらと願う取次店の担当者の気持ちが込められた本だ。(本という商品について、愛情を持って書かれた本だから、読んでいない人は是非どうぞ。筑摩書房から出てます。)
 しかし現実には、月曜日だって火曜日だって金曜日だって返品のない日なんてやって来ない。なぜなら本は、読者が購入出来る数を超えて生産されているからだ。それも半端な数ではい。作った生産品の半分が返品されている。完全販売はあり得ないのだ。100万部のベストセラーだって万の単位で返品が発生する。「返品のない月曜日」もなければ「返品のない火曜日」だってない。この根底にあるのものを委託制度だとこの本の著者は言う。
 返品自由、売れ残ったら返してね、本なんて店に出さないと売れるかどうかわからないもんね、売れるかどうか分からないものを仕入れるなんてヤバくて出来ないよね、だから返品していいからとりあえず店頭に出してよ、という絶妙のバランス感覚が委託ということだ。このバランスによって現在この業界が成立していることに反論する人いないだろう。だからこのバランスが崩れた時、大きな混乱が起きると多くの人が予想している。
 物を売っている以上、売れ残りは必ず存在する。グッチだってビトンだって売れ残るのだ。他業界のことを詳しく知らないが、出版業界では、書店の売れ残りを買い戻してくれる会社がある。それは取次店だ。取次店が書店の売れ残りを買い戻すのは、メーカー(出版社)も取次店から商品を買い戻すことを前提として取次店に納品しているからだ。売れ残りは買い取って貰えるという前提がなければ、なかなか本が売れないという現実の中で、本は売られ、買われているのである。

■返品された本の塊
 取次店の返品作業所をご覧になった方はあるだろうか。僕が初めてその現場を見た時の印象は、出荷作業所にも劣らぬ、いやそれ以上の本の量に対する驚きである。書店から箱詰めされた返品本を出版社別に仕分けて行く作業にも驚くが、パレットに積まれた本の山、いや「塊」の恐ろしさは言葉では言い表せないほどの迫力だ。剥き出しになった売れ残りの群れは、包装された新刊のそれに較べて、売れる本を作ること、本を売ることの厳しさを教えているような気がした。
 僕はそばにいた取次店の担当者に恐る恐る聞いた。
「これ、全部返品ですか。」
すると彼は顔色も変えず、僕に言った。
「当たり前じゃないですか。ここは返品の作業場なんですから。今日は若干少なめなんですよ。ここのところちょっと落ち着き気味かな。」
僕はすでに言葉を失いかけていた。圧倒される本の量と、黙々と本を仕分ける作業員、そんな空気の中で、僕は自社の本がその群れの中にないか目で追っていた。
すると彼が口を開いた。
「すごいでしょ。ドンドンばら撒いて、売れなかったら返品。その結果がこれですよ。でもこういうことって仕方ないんだよね。そういうもんだから。」
と彼は小さくため息をついた。
そういうもんって、どういうもんですか、と僕は聞きたかったが、彼の言いたいことはだいたい分かっていた。
 膨大なエネルギーとコストがここに集中している。返品率の問題は、取次店の死活問題でもあることが実感できる。本が高い、正味が高い、そのこともこの現場が表現しているようにも思えた。

■返品の理由
 返品の理由は、売れない、である。しかし、置けない、というのも大きな理由だ。店の規模以上に配本された場合、店頭に並べられることなく返品されることもある。また本という商品を売るためには1ヶ月、2ヶ月またはそれ以上の陳列期間を要するが、新刊を次から次へと入れ替えていく現在のやり方が、売れるものを売れなくしている。展示サイクルを短くしていることも返品に結びついている。またPOS自動発注の返品への影響についても懸念されているところだ。
 仕入高100万円、売上高40万円、返品高60万円の書店があるとする。数字上優秀な書店であるとは言いがたい。この場合、仕入れを80万円にすれば返品が40万円に減るなどという算術的な発想では返品問題は解決されない。何を100万円仕入れたか、何を60万円返したか、そして売れた40万円の中味は何だったのかということが問題にされなければならない。特に返品した商品の内容については、じっくり吟味することが大切だ。返品には様々な理由が必ず存在するからだ。店の客に合わなかったのか、展示方法が悪かったのか、そもそもその商品がどんなことをしても売れないものだったのか、店の展示スペースを超えて入荷したものだったのか、売れると判断して調達したが読み違えたのか、新しい試みをするために揃えた本が読者の満足を得られなかったのか、など数多くの理由を抱えて赤伝票が切られているのだ。売れなかったという理由には、それなりの原因があるのだ。

■力を合わせよう
 なんだかんだ言っても、返品について一番シビアなのは、言うまでもなく出版社である。製品が売れなければ、ジ・エンドなのだ。メーカーが恐れるのは返品だ。返品が多いということは、その本が売れない商品であるということだ。簡単な理屈だ。しかし売れない商品だったかどうか疑問が残ることがある。もしかしたら売って貰えなかった商品だったかもしれないのだ。そうならないようにするのが出版社の営業活動だ。僕はその仕事をしている。活動の主な仕事は商品を知って貰うことだ。その本が売れるかどうか、売りたい本かどうかは書店さんが決めることである。売れますよ、売れませんよという声を聞くのが僕の仕事だ。売れませんよという商品は二度と作らない。そうすれば返品だって少なくなるのだ。出版社だけで仕事なんて出来ないし、良い本だって作れない、ましてや本は売れないということを知っているから、僕達は書店の声や読者の声に耳を傾けるのだ。しかしその声が小さくなってしまったように近頃感じている。
 返品問題は、ひとつの言葉で片付けられるほど簡単な問題ではない。しかしひ弱な立場で言わせてもらえるなら、返品は渚のゴミ拾いと同じようなものだと言いたい。ゴミはみんなで持ち帰ればよいのだ。その理屈で言えば、浜辺からゴミは一掃される。しかしそうならない。人が集まればゴミが出るのだ。だからと言ってそれを放置しておくべきでない。ゴミが出ればそれを丁寧に拾い集める、なくなるまでだ。拾い集めていることを多くの人が認識するようになれば、捨てることが出来なくなるはずだ。
 我々は、返品が出ないように返品の種をひとつひとつ拾い集めなければならない。なくならないことが分かっていてもだ。書店、取次、出版社それぞれの立場で出来ることからやっていくべきなのだ。「売れないから返品」ではない、「売るためにどうしたか」、その積み重ねがきっと返品を減らしていくのだと信じたい。返品にかかわる膨大なエネルギーロスは、決してこの業界のプラスにはならないからだ。

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