書店経営6月号掲載分

《情報の雨ざらし》

■POSレジ
 書店の仕事で、この数年、最も変化したのは、発注業務だろう。書店の現場で働くベテランの方々の中には、短冊は手で書くものだという人が多い。短冊一枚一枚に出版社名、書名、冊数を書くという業務を通じて、本を覚えた経験があるからだ。しかし今、手書短冊は流通のお荷物だ。ISBNが出版社名と書名の代わりになっている現在、手書きの商品情報は、ISBNに置き換える作業を伴う。流通の機械化を進める取次店にとって、手間のかかる作業になるのだ。省力化と流通の改善の面から取次店の業務は、コンピュータを中心に仕組まれている。書店がそれに合わせることで、流通はスムースに動くということだ。現在では商品情報の電子化は、流通改革の要であり、今後ますますシステム化され、精度を増していくに違いない。書店店頭においても、取次店と直結した自動発注システムが急速に浸透しつつあるのはご存じのとおりである。しかしながら、この情報の電子化と読者サービスの向上が合致しなければ何の意味もない。
 確かに、流通のスピードは早くなったようだし、取次店や出版社の在庫状況がおおよそ分かるような仕掛けも出来て、読者のメリットが増えたような気もする。POSレジのおかげで書店は省力化に成功したようにも見える。しかし僕には、書店の店頭がこうした業界全体の動きに伴って活性化したようには見えない。相変わらず客注の取り寄せ期間は3週間と案内しているし、店員に本の所在を聞いても確かな答えは返ってこない。店頭の様子は相変わらずの金太郎飴だし、あるところには本が溢れていて、ないところにはまったくないというのが現実だ。この業界は、遅いけれど確実に前に向かって進んでいる。その進歩が読者に反映される日はいったいいつなんだろうと、僕は考えてしまうのだ。

■情報の意味分かりますか 
 情報化社会で生き抜くには「情報の選択をどのように行うかだ」。これはもう随分前から言い続けらている。情報が少なすぎて必要なものが得られないというのは不幸であるが、膨大な情報の中で何が必要なのか分からなくなり、結局何も手に出来なければもっと不幸である。僕は、今そんな状況の中に書店が突入しようとしているのではないかと思っている。POSレジのデータを生きた情報として活用している書店はあるが、それはほんの僅かだ。多くの書店は、その情報の意味を理解しようとせず放置している。さらにいずれ活用するからと、暢気なことを言っている。情報の雨ざらしである。今日得た情報は今日使わないと、それは単なる記録に過ぎない。こんな当たり前のことが理解されぬまま、情報機器で武装した書店ばかりが増え続けるのではないかと僕は心配している。手書きの短冊はそれを書いた時、人の頭にインプットされ、なんらかの形で、思い出され活用されることがある。しかしバーコードで発注した情報は、誰かがコンピュータから取り出さないかぎり、活用できないという単純なことが理解されていない。情報を使わないのなら、最初から情報武装する必要なんてないのだ。パソコンを買ったけど、何もデータが入っていない、データを入力したけどその使い方が分からない、というのと同じで、それなら最初からパソコンなんて買わなければいいのだ。パソコンなんてなくてもそれはそれでやっていけるものだ。

■「ないものは、ない」
 コンビニに行って、こんな質問をしたらどうだろう。
「3カ月前にあの棚にあったお菓子が欲しいのだけどありませんか。」
きっとその質問に対してコンビニの店員は冷たく言うだろう。
「そこになければ、ないのです。」
でもそう言われたとしても誰も怒らない。コンビニがそういう店であることを理解しているからだ。しかし書店の場合は違う。3カ月前に店頭で見掛けた本が欲しくなり、それを求めに来た読者に対して、
「それは、売れない本だから、もう返品してしまいました。」
と堂々と言えるだろうか。またそれが返品された本なのか、補充中の本なのかを即座に答えられるだろうか。答えるにしても、
「ただ今、その本のデータを見ますね。」
と言って、キーボードを叩き、
「あっ、その本は1週間前に返品した本ですね。」
と答えたところで、それが何になるというのだろう。しかも検索に時間をかけて、お客を待たせたあげくの果ての答えだっら、目も当てられない。僕は、こうした場合の書店のお客への応対はこんな風であるべきだと思っている。
「ああ、お客さん申し訳ありません。その本は、先日棚を整理している時に返品してしまったんですよ。ちょっと売れ行きが鈍かったものですから。よかったらご注文ください。すぐに取り寄せますから。」
「ああ、すまないが、本の名前や発行元をちゃんと覚えていないんだ。確か、倶楽部となんとか、という名前だったけど」
「ああ、それなら、コンピュータで検索をかけますから分かります。」
この後、客注に結び付けられるかどうかはその人の力量によるが、売れないというデータに基づいて返品するというシステムの運用のしかたが、書店にそぐわないことは明白だ。まず人が応対する。これは書店のお客に対する応対の基本である。コンピュータはそれをサポートする道具である。「ないものはない」という商売の方法が間違っているとは言わないが、読者の立場に立てば、それが書店の望ましい在り方ではないことは、書店の現場で働く人ならば実感していると思う。

■経験というサービス
 僕は、書店人の経験や知識がどんどん薄くなってしまっているように思う。そして今、多くの書店の経営者は、その経験や知識を必要としないシステムが欲しいと考えているようだ。しかし良く考えて欲しい。他業種の専門店で専門家を必要としないものがあるだろうか。専門的な知識が豊富な店は品揃えが充実していることは誰でも経験していることだ。ゴルフをする人ならもっと実感しているだろう。安売り店とプロショップの違いは歴然としている。書店は本の専門店である。その専門店を運営するためには専門家が不可欠なのだ。特に専門書の販売をするのなら、経験者は不可欠だ。これをコンピュータに置き換えることはまず不可能に近い。またコンピュータに置き換えたとしても、そのデータを使える人が必要で、結局経験者の存在はなくてはならないものということになるのだ。
 自店の棚がどのような動きをしているのか、それは日々の仕事を通じて実感していくものである。自店のお客がどのような商品を欲しがっているのか、それは日々の売上データを分析していくことでつかんでいくことである。今何を売ればいいのか、それは日々揺れ動く世間の動きから察知すべきことである。本を売るということは、日々の蓄積の中から生まれたアイデアを店頭で表現することである。情報とはそれをサポートするためのものであることを忘れてはならないし、電子情報によってコントロールされる流通システムは、店頭の活性化や読者サービスにおけるひとつの道具にしかすぎないということも忘れてはならない。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ