書店経営9月号掲載分

《人づくりは棚づくり》

■笑い話か
「書店員さんに本のことを聞いても何もわからないから、探している本があっても聞かないの。見当はずれの答えが返って来たら、ガッカリするから。」  この会話の裏側には、書店の悲しい事情が隠されている。今書店では、商品知識を身に付ける時間もないままに、短期で辞めてしまうアルバイトが労働の主力になっている。書店は、そういう人達でも仕事が出来るような仕組みを作ろうとしている。その仕組みの中で、コストを下げるために、ギリギリまで人を減らしている。そしてそれらの人を管理する社員は、雑務に追われ店頭で本を触ることなくデータを見つめ、売上の数字に追い立てられ、本を売ることも雑貨を売ることも同じレベルで考え、やがてこの人達からも商品知識が欠落していったのだ。
 先程の会話はそうした書店の事情を知らない読者の、今の書店に対する素直な気持ちを表現したものだ。
「店員さんに聞くより、ほらあそこにタッチパネルっていうのがあるでしょ、あれで検索すれば本がある場所がわかるのよ。」
「何でそんな面倒臭いことしなきゃならないの。お店の人に聞いた方が絶対早いよ。」
「違うのよ。あの機械があるってことは、店員に聞いてもわからないから、自分のことは自分でしてくださいっていうことなの。」
「えっ、そういうことなの。誰に聞いてもわからないの。嘘でしょ。この店の本をすべて知ってる人がいるなんて私は思わないけど、あのあたりかなってことくらいはわかるでしょ。いっしょに探してくれる店もあるよ。それに棚に本を補充する担当者っていうのがいるはずだから、その人に聞けば、一発じゃない。」
この会話の後、実際に店員に聞いたら本の所在は分からず、結局タッチパネルのお世話になってしまったという話は、笑い話として済ませてしまっていいのだろうか。それともリアルな話なのだろうか。

 労働集約型と言われる書店の形態は、POSレジに代表されるコンピュータシステムにより、そこから脱却しようとしている。しかし、そこには本という商品の特性と、本という商品を買う顧客の特性を配慮することが脱落しているように思える。そう思うのは、単純な話だが、読者が今の書店の在り方に満足していないからだ。面白い本がたくさんあるにもかかわらずそれを見せようとしない書店、面白い本、欲しい本と出会えない読者、そんな構図だ。

■渋い棚
 平台を見ると、本という商品が書店人によって売られていないということがわかる。平台を埋め尽くすのは、大手出版社の戦略商品ばかりだ。それらの本は売れるように作られ、仕掛けられているがゆえに、売れる。売れるから積極的に販売する。そのこと自体に何ら問題はなく、当然のことだと思う。しかし売上のすべてがそうした本で占められることはない。逆にそれらの売上は全体のほんの一部なのだ。書店の売上の多くは、いわゆる本好きである読者によって購入される本によって占められいる。もしもベストセラーや雑誌の売上だけで成り立っている書店があるなら、立地が良いという条件が付いているはずだ。普通はベストセラーだけでの商売なんて長続きはしないのだ。そしてあり得ないのだ。
 本は棚で売るものだ、と僕は考えている。棚を発展させたものが平台だ。棚で売られる本は1点1点が吟味された商品であり、読者がそれを見つけて買うものである。書店はそういう商品によって売上を得ている。そしてこの棚に販売力があればあるほど書店の売上は安定し、売上を伸ばすことが出来る。この販売力のある棚を作るとき必要なのが販売の経験を積んだ人だ。棚にある本の1点1点、そして棚の1本1本について何をどのように売るのかをコーディネートし、溢れる新刊の中で何を売り、何を売らないのかを判断し、これからの販売傾向を予測することで店の顧客のニーズに対応していくには、豊富な商品知識を身につけた人が絶対に必要だ。本は棚や平台に置いておけば勝手に売れるものではない。買って貰えるように工夫しなければ本は売れない。
「ねえ、山田書店って知ってる?。あそこ結構渋いよね。」
「渋いって?どういう意味。」
「私、ミステリーが好きでしょ。お気に入りの作家の本は全部読んでるんだけど、ちょっとマイナーな作家なの。だからちゃんと揃えている店が少ないの。面白いから、たくさんの人に読んでもらってベストセラー作家になって欲しいと思うのよ。そうすれば私の家の近くの本屋さんにも配本が来るようになるから。」
「渋いっていう話は、あなたの好きな作家の本が揃っているということなの。それはあなただけの趣味の問題じゃないの。」
「そうじゃないよ、渋いっていうのは。対談集があったのよ。渡辺実の対談集にその作家が載っているんだけど、普通ならこれは、渡辺実の棚にあるはずなの。それがその作家の棚にあったのよ。私知らなかったから買っちゃた。どう、渋い本屋さんでしょ。」
「うん、渋いと思うよ。痒い所に手が届くって言うんだろうね。そういうことされると店中を見て回りたくなるね。」
「そうでしょう。そう思うでしょう。だから最近は山田書店をよく利用してるの。がんばれって感じかな。」
 本が売れるのは、誰かが売れるように仕向けているからである。本が売れないのはただ単に本を並べているからである。売れるように仕向けるには、経験の積み重ねと本についての豊富な知識が必要である。そういう人がいなければ、棚は死んでいく。

■書店の未来像
ある書店人同士の会話だ。
「最近思うんだけど、書店って、やっぱり人だよね。本って、とりあえず並べておけば、そこそこ売れるじゃない。だから短期のアルバイトを使って仕事をしててもそれなりの売上はあるんだ。でもある一定のところまで来ると、売上がピタリと止まるんだ。」
「ああ、そうかもしれな。忙しいからついつい現場を離れてしまうんだけど、この間ちょっと棚をチェックしたら、もう分類やら何やらメチャクチャ。これじゃ売れないと思ったね。」
「そうなんだよ。本を買いに来る人は、そのジャンルや本についての知識が豊富なのに、本を売る方がそれに全く着いていっていないんだ。お客さんと同じレベルの知識は必要ないけど、せめて商品を自信を持って展示するくらいの知識がないと買う方がいやになってしまうよね。」
「そうだよね。本を売ることに無責任になっているよね。店にはこれだけしかないから適当に選んで買ってよ、って感じかな。」
「本を売るってことは、人手がかかるという大前提があると、僕は思うんだ。人手をかけずに本を売るってことが、そもそも無理なことなんじゃないかって。適当にやってた棚に少し手を入れると売上が伸びたという経験は、書店人なら誰でもあると思うんだ。分かってるのにしない、出来ない。これじゃ、お客さんは減る一方だよ。」

 今、真剣に考えなければならないことは一つだ。棚と人のことである。書店の未来像はこれで決まると僕は考えている。

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