その7

《犬猫堂店主、本屋で本を買う》

 客注というのは、 品切れや絶版以外のものは、お客さんに少しでも早く届けたいものである。 こういう書店の要望について、 流通時間の短縮などは機械化などで改善される兆しがある。 ところがいくら流通が改善されても困った問題が残されている。それはベストセラーの客注である。
 ベストセラーは原則的に、 大都市の大書店に多くが流れて行く。 よく売れるところに商品が集中するのは商売の道理である。 だから中小書店には潤沢に商品は入らない。 その事情を理解した上で、 書店は商品確保のために出来る限りの努力をしている。 でも入荷しないものは入荷しないのであって、 どうしようもない場合がある。 犬猫堂とて例外ではない。

 大ベストセラー 「牛の誕生日」 は、 版元切れが続きなかなか追加が入荷しない。 こんな時に限って、お得意さんから、
「あれ1冊なんとかしてよ」 なんて注文が入ったりするものである。 先日もよく本を買ってくれる太田さんが、
「国道沿いのブックスローカルなんか、 いっぱい積んであったよ。 でも僕はいつもおたくで買ってるから、 とりあえず注文しておくからね。 入荷したら電話ちょうだいよ。」と犬田に告げて帰っていった。
 ブックスローカル、 こういうチェーン展開しているところは新刊に強い。 スケールメリットを活かして仕入れできるからだ。 犬田は、 苦々しい思いをしながら決断するしかなかった。 「ブックスローカルに 「牛の誕生日」 を買いに行こう。」

 どう考えてもおかしな話ではあるが、 時々どうにもならないとき、犬田はそうしているのだ。 安売り店なんかでよく見掛ける 「同業者お断り」 ってやつと同じ行為である。 でもこの場合は、仕入れ先より安く売っているから買いに行くという、利益の為の行為なのだが、 犬田の場合1000円の本を1000円で買って、 1000円で売るのだから、 買いに行く手間賃だけマイナスなのだ。これは犬田にとって、信用をつなぎ止めるための投資なのである。

 「太田さんのためだ、 しかたないな。」 犬田はそうつぶやいて、 犬猫堂で発行している図書券を握り締めた。 図書券分だけの売上は上がる。 そんなことをしている自分が少し情けなく思いながら、 バイクにまたがった。

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