その12

《この本、売っちゃっていいんですか》

 犬猫堂では3年前のリニューアルの時、 取次店の強い薦めもあり、POSを導入した。 その時、 猿山や丘は、経費がかかることや、 POSの運用について具体的なプランがないこと、 それに今のやり方でも十分やっていける、 という理由でPOSの導入に反対した。 しかし犬田は、 これからの書店においてPOSや情報機器は不可欠であり、 先行投資であることを理由に、 猿山と丘の意見を退けた。 でもそういう犬田にしても、 POSが犬猫堂に本当に必要なのかどうか半信半疑だったのである。 そしてだれもが予想しなかった珍事が起こった。

「 鳩山さん、 この本売れないんです。」
鳩山は、 5年前から犬猫堂に努めるアルバイトである。 アルバイトといっても5年勤めれば、 社員同然である。 レジを任されている彼女は、 POS導入の際にみっちりと勉強させられていた。
「 え、 どういうこと、 鶴田さん。」
鶴田は困った表情をして、 同じことを繰り返した。
「 この本売りたいんですけど 、売れないんですよ。 」
鳩山は、 鶴田が何を言っているのかさっぱりわからなかった。 お客さんもポカンとして鳩山と鶴田のやりとりを聞いている。 ハンディターミナルを何度も本にこすりつける鶴田の仕草を見て、 鳩山は事情が飲み込めた。 本のISBNコードが間違っているのだ。だからPOSレジを通すとレジは反応を示さない。 この世にない本というわけだ。 何が売れたのかというデータも取れないということが起きているのであった。 だから鶴田は 「本が売れない」 と言っているのだと気付いた。
「 どうしましょう。 」
鶴田が泣きそうな声で言う。
「 売ればいいじゃない。 」
鳩山は冷たく言い放ったが、 鶴田にはそれが理解できない。
「 どうやって売るんですか。 ISBNが間違っているんでしょう。 売れないですよ。 」
「ISBNは間違っているけど、 ほらこうしてキーをたたけばチャンと本は売れるのよ 」
鳩山はテンキーを叩いて見せた。
「 でも 鳩山さん、 ISBNが間違っているんですよ。 そんなの売ちゃっていいんですか。 」
「 ISBNは間違っているけど、 中身は間違っていないから売っていいのよ。 」
鳩山はその本にカバーをかけて、 代金を貰いレシートを手渡した。 鶴田はキョトンとした顔をして、 鳩山といっしょに、
「 ありがとうございました。 」と言った。

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