その18

《売れてなんぼ》

 林鈴女の売れる本を見抜く力と棚に陳列すべき本を選ぶセンスは抜群であり、販売している本1冊1冊へのこだわりは、恐らく犬猫堂で一番であろうと犬田は思っている。 そしてそのセンスとこだわりが彼女の作る棚に多くのファンを付けたのだ、と犬田は林の力量を心から信頼している。 犬田が犬猫堂を増床しようと決めたのも、 彼女の作る棚を広げさらに多くの読者を獲得したいというもくろみがあった。 犬猫堂が他の書店とちょっと違うのは、 林鈴女の力によるところが大きいと認めているのだが、その彼女にも欠点があった。 それは、本に対するブランド指向が強いことだった。

 いわゆるブランドものというのは、 高級そして高価なイメージがある。 それは素材だとか製造技術などが高級であり、 作るために費用がかかっているから高価であり高級なのである。
 こういう商品は、 本の世界にも存在している。 知的レベルが高く、 内容が研究という膨大な時間を費やされた本である。 誰かが思いつきでチョコチョコっと書いたものではなく、 非常に高度なレベルで人間が頭で考えた知的財産とも言える生産物には、 著者ならびにその本、 そしてそれを発行した出版社にブランドが与えられている。
 良い本をたくさん置いていますねとか、 最低限これくらいの本は置いていないと書店とは言えないよね、 というような会話に登場する本は、 ブランド商品であることが多い。そしてそのようなブランド商品を棚にギッシリと詰め込んで 「どうだ素晴らしいだろう」 と心の中でつぶやいてしまう傾向が彼女にはある。

 犬田は、 書店において、 ブランド商品イコール売れ筋商品、 またはブランド商品イコール読者が読まねばならない商品、 さらにブランド商品イコール書店の顔とは思っていない。 本という商品を知的産物、 あるいは文化であるという言い方を否定しないが、 本は書店店頭において商品である事が第一義であると、 犬田は思う。 知的産物、 文化としての価値が第一義であるのは読者、 そして著者だけである。 そして知的レベルの高いと言われているブランド商品だけが、 本という商品であるとするならば、 日常生活においてスーパーで買い物をするような感覚を否定することになる。
 犬田は時々、 林に注意を促す。
「 ねえ、 スズメちゃん、 この本ほんとうに売れるの。 こういう本を読む読者が犬猫堂にいるの。」
「ああ、 そのー、 これ良い本ですから。 売れるんじゃないかと、 いや買って欲しいと思うんです。 」
「 良い本だってことは僕も知っているよ。 でもね、 この本が売れることで、 君に給料が払える訳だから、 そのへんのことも少し頭に入れといてほしいのだけど。 」
 犬田はこんな現実的な話を、 一生懸命やっている林にしてはいけないと思っていた。 でも食えなくなれば、 どんな本だってお客さんに提供出来なくなるんだ、 と犬田は自分に言い聞かせてるのだった。

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