その25

《オアシス書店》

 物静かな女性、 彼女が店長を努めるその店を藤川が訪れ、 話を始めると、
「 お声が少し大きいですよ。 」と藤川はたしなめられた。 藤川自身、 声がそう大きい方ではないのだが、 その店長の物静かさから言えば、 確かに藤川の声は叫んでいるように聞こえた。
 藤川は東京に出張した際には、 その店がとても居心地がよくて、 特にこれといった用がなくても立ち寄ることがある。 その店は、 美術、 文化、 芸術関係の本を扱う専門店と言えなくはないが、 藤川が見るところによれば、 彼女の趣味の店と言った方が適切である。 委託配本は一切なく、 彼女が選んだ商品だけが店頭に並んでいる。 1冊1冊が吟味されて並んでいる。 本当をいうと藤川にとって、 彼の守備範囲外の本ばかりが並んでいて棚は少しも面白くない。 それでも、 他の書店ではきっと蔑ろにされるであろう本がひっそりと棚にあったりするし、 学生出版社のあまり売れそうにないなと思うような本を、 棚に入れてくれてりして、 すこしうれしく思ったりしている。

「 売れてますか。」 と藤川が、 とてもセンスがあるとは思えない質問をすると、
「 それはうちの店では意味のない質問です。 猿岩石もSMAPもコンピュータもまったく関係ない書店ですから。」
「じゃ、 売れてないんですか。」 と意地悪な質問をすると、
「売れるわけがないじゃないですか。 それは藤川さんがよくご存じのはずで、 ホホホ。」 と切り返された。
 彼女にたしなめられながら、 藤川が大声で立ち話をしている30分ほどの間に、 彼女は、藤川との話を中断してレジに立ち、 5人ほどのお客さんに、 彼女が趣味で揃えた本を売った。
 長話を打ち切り、 藤川が帰ろうとすると、
「良い本があったらまた紹介しに来てください。」 と彼女は言った。
「うちは良い本出していません。 おたくでは売れない本ばかりで申し訳ありません。」 と藤川が言うと、
「ホホホ、 そんなことありませんわよ。 自分のところの商品をそんな風に言ってはダメです。」 と彼女にまた、 たしなめられた。

 儲けろ、 儲けろと血走った目ばかりを見せつけられる近ごろにおいて、 彼女の店は藤川にとってのオアシスなのである。

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