その28

《この本、置いてる?》

 ほとんどの場合、 ちょっとした町には2〜3軒の書店がある。 エリアを拡大すれば4〜5軒という場合もあるだろう。 それぞれが、それぞれの読者を想定して商売をしている限りその商品構成は別々のはずである。 A書店にはあるが、 B書店にはない。 A, B書店にはないがC書店にはある。 というようなことである。

 100坪になった犬猫堂にも当然置いていない本がたくさんある。 商店街の突き当たりにある西村書店には、 経済書が結構揃っているいることを猿山は知っているが、 犬猫堂の規模からいって、 経済書をこれ以上増やす訳には行かなかった。 残念だが、 経済書を求めるお客さんは、 西村書店に行って貰わなければならなかった。
 先日こんなことがあった。
「 犬猫堂の猿山ですが、 西村書店さんですか。 田中さんお願いします。」
しばらく田中が電話口に出た。
「 あー、 しばらく。 ちょっといいかな。 今お客さんから 『経済学の未来』 という本の問い合わせを受けているのだけど、 うちに在庫がないんだ。 たぶんそっちにあるだろうと思って。」
田中は 「ちょっと待って。」 と言って受話器を置いて、 棚を見に行った。 しばらくして「あるよ。」 と低い声で答えた。
「え、 ある。 それじゃお客さんにそっちに行ってもらうから、 カウンターに置いといてね。」 と猿山は、 ホッとした気持ちで受話器を置いた。 こんなことを店長の犬田に知れたらまずいかなと思いながらも、 西村書店にあることをお客に伝えたとき、 お客の笑顔が見えたのが嬉しかった。

 猿山がこんなことをしているのは、 ある時、
「 犬猫堂にないけど西村書店にある場合、 犬猫堂で客注を出して2週間も待たせるのなら、 西村書店で買ってもらったほうがお客さんに親切だよね、 それから逆の場合もあるし、犬猫堂にも利益が出る場合もあるんだしね。」というようなことを酒の席で話をしていると、 田中がそれは素晴らしいアイデアだと猿山の話に乗って来た。 これを実践したとき、 お客はちょっと驚いてはいたが、欲しい本がすぐに手に入ったと随分と喜ばれた。 こんなとき素直に嬉しいと猿山は感じた。

 普段はライバル店であるが、 お客さんのためならそんな商売の一線を越えてもいい場合があるのではないだろうか。 ただし、 いろいろと問題もあることは確かで、 すべての店で出来るわけではないが、 1書店だけの利益ではなく、 地域とか読者の利益とか幅広い視点で販売を見つめてみることで新しい発想が生まれれば、 それはそれでいいことだ猿山は思っているのだが、 店長にはナイショにしている。

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