その39

《武者奮い》

 蟹江にとって今日は特別の日だった。
 犬猫堂に入社して3年の間、 彼は、 荷受け、 検品、 返品その他バックヤードでの仕事が主だった。 店の棚の一部を任されているとはいえ、 それはあくまでも猿山の補助の仕事であり、 すべてを自分でしているわけではない。 また一日の内、 鳩山か鶴田のどちらかが休みの日は、 レジ業務がメインになる。 勿論、寅と交代ではあるが。

 猿山は、 棚詰めをしている蟹江に、 突然告げた。
「蟹江くん、 そこの平台、 ミニコーナーが2週間後に終わるんだけど、 その後のコーナーを君にやってもらうからね。 アイデア出してよ。」
この突然のことに、 蟹江は驚いた。
「え、 いいんですか。 ここの商品を僕が手配してもいいんですか。」
驚いている様子の蟹江をちょっと見ながら、 猿山は続けた。
「そう、 何をやってもかまわない。 何をやるのか僕に相談しなくてもいい。 君がやりたいようにやればいいんだ。 そのテーマや結果について、 誰も何も言わないから。」 何をやってもいい、 そう言われると蟹江は困ってしまった。 突然言われても、 そんなプランを準備していなかったからである。 しかも残された日数は2週間。 商品の手配もしなくてはならない。 しかし蟹江は燃えていた。 初めて手にする自分の売り場である。 誰にも干渉されない自分で作り上げる売り場なのである。 自然と武者奮いを覚えた。

 蟹江は早速アイデアを絞り出す作業に取り掛かった。 こうなると仕事も手につかない。 テーマ、 テーマ、 テーマと頭の中が混乱した。 そしてその夜、 テーマを絞り込み、 これだというものを見付けた。 そうだ、テーマは 「釣り」 だ。
 彼は、 『釣魚大全』 を初め 『オーパ』 など、釣りに関するうんちく本を選書しはじめた。 最近の釣りブームもあり平台を埋めるべき点数はすぐに見付かった。 そして発注を完了させた。
 早いもので数日後には、 ミニコーナーに乗せる商品が入荷し始めた。 そして、 ミニコーナーを始める1日前にすべての本が揃った。

 蟹江は、 何もない平台に、 自分で選んだ本を並べ始めた。 自分でも胸がドキドキしているのが分かった。 そしてそれらが売れる瞬間を空想したとき、 さらに胸がときめいた。そして蟹江にとってこの瞬間は、 一生忘れられないものとなった。

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