その49

《バーゲンセールだよ》

 一年に一度、 犬猫堂店主犬田が頭を痛める時が来た。 それは、 犬猫堂の入っているテナントビルが行う、 「決算大バーゲンセール」 の時である。 このときは、 テナントのすべてがバーゲンセールを行い、 新聞のチラシで広告を行うのである。 この日もその打ち合わせで、 テナントの代表である時計屋の古田が犬猫堂にやって来ていた。
「犬田さん、 今年もバーゲンの広告をやるんですが、 チラシに載せるバーゲン品を決めて欲しいんですが。」
「ああ、 そうだね、 何にしようか。」
「うちは、 いま流行のDショックを半額で売り出す予定なんですが、 本屋さんの場合値引きするものがないんでしたよね。 でも犬猫堂さんだけ広告を出さないという訳にもいかないんで。」
と時計屋の古田はすまなさそうに言った。
「そうなんですよ。 この業界には再販制度っていうのがあって、 小売店で商品の値段を決められない仕組みがあるんですよ。 最近ではこの制度に問題があるというので、 いろいろと論議されてはいるんですが。」
と犬田は古田に説明したのだが、 そう言ったところでバーゲンに積極的に参加できない、 という事実は変わらないことに気付くと溜め息をついた。
「去年は何をされましたかねえ。」
とやや気の毒そうに古田は尋ねた。
「ええっと、 去年はバーゲン本と言って非再販品を少し仕入れて、 バーゲンをやりました。 結果はかんばしくなかったですよ。 だから今年は、 ええっと、 そうですね、 どうしましょう。」
「どうしましょう、 と言われても、 やはりこのビル最大のイベントですから、 何かやってもらわないと困るんですよ。 値引きですよ、 値引き。」
と古田は、 困り果てている犬田に、 少し焦れながら言った。
「そうですね、 分かりました。 今年は、 そう今年はノートを売りますよ。 このビルには文具屋さんは入っていないし、 それに書店が文具を売るのは良くあることだしね。 それから、 このビルに入って少しした時、 ちょっとだけ文具を売っていたこともあるし、 その時の仕入れ先に連絡して見ますよ。 急なことできっと仕入れは厳しいと思いますが、 損をしてもまあなんとかやってみますよ。」 と犬田は開き直って決断した。
「わかりました。 ノートですね。 チラシに掲載するのはノートですね。 売値については決まりましたら連絡してください。えーと、今月の15日までにお願いしますよ。」
と古田は安心したように言った。
 古田が帰った後、 犬田は腕組みをしたまま考え込んでいた。 毎年毎年、 他の店が飾り付けをして派手に安売りをしている時、 犬猫堂だけは、 ワゴンに少しの商品を乗せてひっそりとバーゲンセールが終わるのを待っている。 他の店主がいくら儲かったとかいう話をしている時、 犬田だけは蚊帳の外である。 犬田は、 書店というのは、 やっぱり特種な小売なんだな、 としみじみ思った。

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