その56

《やばいっすよ》

 雑誌を検品していた寅が、 犬田に血相を変えて叫んだ。
「店長、 やばいっすよ。 これ。」
寅は、 少しばかり前に起きた少年犯罪を取り上げた雑誌を手にしていた。
「何が、 どう、 やばいのかな。」
と犬田は、少し興奮気味の寅に冷静にそう答えた。 寅には犬田のその言葉が意外だった。
「だって、 店長これ、 写真が載ってるんですよ。 こういうのって法律で禁じられるんでしょう。 これってやっぱし、 まずいっすよ。」
犬田はその雑誌を手にとって、 パラパラとページをめくった。 確かに寅の言うとおり少年の顔写真が掲載されていた。
「寅、 これを店頭に並べたらどうなると思う。」
と犬田は、寅に質問した。
「そりゃ、 売れるでしょう。 やばいものはみんな見たがりますから。 それにこういうのって一挙に口コミで広がるから、 ドッとお客さんが来るんじゃないんですか。」
「だったら売ろうよ。 たった3冊しかないけど、 すぐに完売だ。」
犬田は、 寅の心配をよそにアッケラカンと言った。
「店長、 何を言っているんですか。 こんなのを店頭に出したら警察に捕まりますよ。 それにお客さんから、 どうしてあんなものを売ったのだと非難されてしまいますよ。 店の信用の問題です。 返品してしまいましょう。 お客さんから在庫を聞かれたら、 売り切れだと言えばいいのだし。」
と寅は、 犬田の予想外の言葉に少し戸惑った。
「寅はなかなか常識的なんだね。 僕は、 商売として考えれば、売れるのが分かっているものを返品するなんて出来ないね。 でも売れるものだったらどんなものだって、 売っていいと言っているわけじゃないよ。 自分で仕入れるのだったら、 社会的に認められないものを仕入れはしないよ。 でもこれは雑誌だし、 定期的に配本されてくるものなんだ。 こうしたものを売ることに、 いちいち責任だとか常識だとか言われたんじゃ、 商売にならない。 書店が判断を必要するとするのは、 売れるか、 売れないかと言うことだけだ。」
そこまで犬田がいうと、 寅が口をはさんだ。
「店長、 言っておられることは間違いがないかもしれませんが、 きっとブックスローカルだって、 他の書店だってこれは返品しますよ。 こんなのをうちだけが置いていたら、 何を言われるか。」
と心配する寅の言葉を無視するように、 犬田は続けた。
「売る、 売らないは自由だよ。 犬猫堂では、 毎日配本されてくる新刊のすべてを店に出しているわけじゃない。 売れないと思ったら返品だ。 そのとき本の内容を吟味して決めているわけじゃない。 いわゆる商売の勘だけだ。 売れるのか、 売れないのかそれが判断の基準なんだ。 だからこの雑誌は、 売れると判断したから、 売るんだ。 ただそれだけだ。 理由は他にない。」

 店頭に出すように指示された寅は、 まだ納得がいかなかった。 3冊売ったところで数百円の利益にしかならないのに、 どうして無難な道を犬田が選ばなかったのかわからなかった。

 その後、寅が犬田に指示されるままに、 その雑誌を店に出し、 その他の雑誌を一時間ほどかけて整理した後、 見に行くと、 売り切れていた。

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