その58

《常備入替の風景2》

「ちょっと待った。」
丘は, 寅が本を台車に載せるのを制止した。
「それ持って行くの、 ちょっとだけ待ってくれるかな。 古い常備セットには入っているけど、 新しい常備セットには入っていない本があるの。 出版社がなんらかの理由で常備セットから外した本が、 実は犬猫堂ではよく売れている本っていうのがあるのよ。 ちょっとチェックするから待ってよ。」
と言うと、丘は棚から抜き出した本の中から数冊の本を取り出した。 「やっぱりあったわよ。 さっき見ていた送品リストの中にこの本がなかったのよ。 他の書店では分からないけど、 この本結構売れるのよね。 ほら7回転もしているでしょう。」
と寅に常備カードを抜き出して見せた。
「なるほどね、 やっぱり丘さんはすごいっすよ。 で返品本は引き上げていいですか。」
と、 このあとの返品の作業のことを考えて、 寅はせかすように丘に言った。
「はいはい結構ですよ。」
と丘はうれしそうに答えた。
 丘は早速新しい常備品を棚に入れ始めた。 前田書房の本を抜かれた棚は、 本が傾きみっともない姿をさらしていた。 そこに1冊1冊丁寧に本を差し始めた丘は、 作業の途中で自分のミスに気付いた。
「ああ、 この本だったのか。 何か足りない足りないと思っていたのだけど、 この本だったのか。」
丘は、 前田書房のある本が欠本になっていることに気付いていたが、 その書名が思い出せないままいたのだ。 そして常備でその本が入って来たことによって記憶がよみがえったのだった。
「そうなのよね、 常備入替がありがたいのは、 売行良好書がきちっと揃えられることなのよ。」

 あってはならないけど、 流通上の事故や万引きで、 あるはずの本がないというのは良くあることだ。 常備入替は少なくとも一年一回は、 そうした商品を店に取り戻すことができるのである。 もし常備入替をしなかったら、 誰かが気付くまで、 売り逃しが続くことになる。 その誰かって誰なんだろうと思うとき丘は常備入替の大切さを実感するのだった。
丘の棚詰めは、順調に進んでいった。 多くの本を抜き出したことで、 何もない棚ほど自由にならないが、 少し陳列も変えてみた。 すべてを詰め終わった時、 丘は充実感と満足感があった。 それは棚に並んだ新しい本のお陰で、 棚が見違えるほどきれいになったこと、 欠本になっていた本が棚に戻ったこと、 常備入替という書店で最も重労働な仕事をやり終えたことなどによるものだ。 丘は棚の前で、 フーと息をはいた。
そして、 犬猫堂でもう一人フーッと息をはいたのは、 事務所で山積みになった返品本を前に伝票を切っている寅だった。

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