その61

《手帳の季節》

「そろそろ、 ですね。」 と猿山が犬田に言うと、
「何が、 そろそろなんだ。 手帳の販売か、 それともカレンダーか。」 と犬田は怪訝そうな声で言った。 「違いますよ。 鍋、 ナベですよ。 そろそろ鍋の季節ですね、 と言いたいんですよ。 店長、 今日あたり山本屋あたりでチョイと一杯どうですか。」
と、 猿山はおちょこを口にあてる仕草をした。
「そういうことか、 確かにそういう季節だよな。 なかなかいいね。 よし、 店を閉めたら蟹江と、丘も誘ってちょっと行ってみるか。」 と嬉しそうに犬田は言った。

 コートの襟を少し立てるようになると、 鍋の話もそうだが、 書店人が 「そろそろ」 と言われてすぐに頭に浮かぶのは手帳やカレンダーの販売のことである。 このシーズンになると書店の店頭の風景は一変する。 カレンダーや手帳に加えて、年賀状やそれに押すスタンプ、 それからプリントゴッコなどが店頭に陳列されるようになるからである。 だから年末の書店の風景は、 いつもとは違うどこか雑然としたものになってしまうのだ。
 犬猫堂では、 少し前からスタンプの販売は止めていた。 どことなくパッとしないデザインが、 お客さんに不評なのか、 売上が落ちてしまったことが原因であるが、 それでなくても店一杯に陳列した本で店内が狭く、 さらに年末商品を陳列するのが困難になったからでもある。
 手帳やカレンダーの販売を担当するのは、 店長の犬田である。 本業の書籍の販売だけで手一杯である社員やアルバイトにそれらの販売を手伝わせる訳にはいかなかった。 なにしろカレンダーはまだしも手帳の販売は、 手間がかかるのである。 それはこんな風にである。
 手帳というのは、 サイズや内容によって様々な種類がある。 いろいろな用途で人それぞれに欲しいものが違うからだ。 しかしカバーやサイズに決定的な違いはなく、 どれもがよく似ている。 お客は手にとって吟味した後、 元に戻そうとするのだが、 どれもよく似ているので、 間違ったり適当に置いたりする。 一人がそうすると、 その後の人はさらに戻すところがわからなくなり、 また適当に置く。 これが繰り返された手帳の陳列台は、 それはもうメチャクチャで、 バーゲンセールのワゴンのような状態になってしまうのだった。 手帳の販売は、 この状態をいつもきれいな状態にしておくことが大切なのだが、 1時間に1回程度は整理するという手間は、 けっこう面倒臭いものである。
 犬田は、 もうしばらくすれば始まる、 手帳の販売を前に思っていた。
 そういえば、 以前は日記や家計簿も売っていたよなあ。 それはそれなりに売上もあったし、 書店のひとつの風景だった。 でも最近では、 電子機器が普及したり、 習慣が変わったり、 文具屋だってきれいで大型の店が出来た。 書店で手帳を扱うのはいつまでなんだろう。 犬猫堂が手帳の販売を続けているのは、 毎年この時期になると必ず店で買ってくれるお客さんがいるからという、 あまり積極的でない理由によるもので、 売上の方はいまいちになってる。 手帳の販売のためにわざわざスペースを割いているのだけど、 手帳を売るより本を売った方がいいのかもしれない。 手帳が全く売れないわけじゃないから当面はこれでもいいけど、 売り方や展示のことを考え直さないといけないと思っていた。
 こう思う理由のひとつに、 毎年のことだからとか、 取次店が案内をしてくるからとか、 大手出版社の企画だからということで、売上を上げるという積極的な発想ではなく、売上を下げないという消極的な思考をしてしまうことが売上を停滞させているのではないかと思うからである。

 冬が来たから 「鍋」 という固定観念的な考え方は商売には向かないのではないかと犬田は思ったが、 このことについて、 今晩、 猿山や丘、 そして蟹江と鍋をつつきながら話をしようとしている自分自身がおかしかった。それはまさに、冬イコール鍋という発想を自分自身がしていることに気づいたからだった。

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