その64

《配本は、ありません》

 猿山が朝礼の後にする仕事は、 新聞を読むことである。 それは、 ゆっくりと三面記事を読んだり、 スポーツ欄を楽しんだりするというような悠長なものではない。 朝日、 毎日、 読売、 日経新聞のすべての書籍の広告欄を見ることなのである。 なぜなら、 新聞広告に載っているすべての本が犬猫堂に配本されているわけではないからだ。 ある大手出版社の10点の広告内、 配本があったものがほんの一部だなんてことは日常的にあるからなのである。 このチェック作業を毎日のように猿山はしている。 これを怠ると、 お客さんからの問い合わせに答えられないからだ。 きっと今日も、 「新聞広告で見たんだけど。」 という問い合わせがあって 「ちょっと配本が遅れているようですね。」 というような言い訳をするのだろうな、 と思うと猿山はうんざりするのだった。
「丘さん、 今日の新聞広告だけど、 これとこれとこれが、 配本されていないようだけど、 どうする。」
猿山は、 配本されていない本について注文すべき本とそうでない本について丘に相談した。
「また、 来てませんか。 そうですね、 この本は注文を出しましょう。 犬猫堂のお客さんにピッタリの本だと思いますから。 それから、 うーん、 これはどうしようかなあ。 話題になっているテーマだし、 やっぱり置いておくべきでしょうね。 これも注文しておきましょう。」
猿山と丘は、 配本がなかった数点について、 検討し売れそうなものを選んで注文することにした。
「猿山さん、 でも変ですよね。 配本があった本の中には、 ちょっと売れそうにないものがあったのに、 売れそうなものが配本されていないんですから。」
丘は、 以前から配本がどのうようなメカニズムで行われているのか不思議でならなかった。
「そうだよね。 何か訳のわからない本がドーンと配本されるかと思えば、 ベストセラー間違いなしというような本はまったく配本されなかったりするしね。
 本当は、 この本は犬猫堂で売れるから配本しようとか、 この本は、 ブックスローカル向きだから、 犬猫堂は必要ないね、 とかいうことで、 取次店で配本を決められればいいのだけど、 取次店が書店ひとつひとつについてその販売特性を把握できないし、 それに1日に何百点という新刊を扱っているんだから、 到底そんな事はできないよね。 だから大枠の仕入れ部数と大枠の書店ランクみたいなもので配本が決まっちゃうということになる。 だからこうして我々が自衛して販売漏れがないようにしなければならないんだ。」
丘は、 猿山の説明をもう何度も聞いていたし、 理解もしていたが、 なんとなく消化不良のような理解しかできないのが歯がゆかった。
「どうせ配本がないのだったら、 いっそのこと、 配本してもらわなくてもいいような気がするんです。 新刊は書店で全部必要なものを発注するから、 それだけを送品してくれればいいんです。」
丘は、 じれったそうに言った。
「本当にそれが出来ればいいけど、 それはやはり理想だね。 実際、犬猫堂のメンバーの中で、 出版される本のすべてについて何が売れて、何が売れないか、 その膨大な量の本についてチェック出来る人間がいるんだろうか。 少なくとも僕には出来ないよ。」
丘は猿山にそう言われると次の言葉が出なかった。 確かにそのとおりだったからだ。
「それでも、 僕は今のままが本当にいいのかというのには疑問が多いと思ってるよ。 返品率の問題は、 多くは配本システムの欠陥によるものだと思うし、 犬猫堂にとって不要と思われる本が、 即返品されている事実や店に陳列しきれない程の新刊が出版されていること、 それに配本される本の量が書店の販売力以上であったり、 大書店への集中配本など、 配本システムには改善さるべきことがたくさんあると思っている。
 でも、 丘さんが言うように、 売りたいものを手にいれるのは書店の責任だから、 配本システムが悪い、 悪いと言っているだけじゃ少しも売上は伸びないということなんだけどね。」
猿山は、 ここまで言うと、 溜め息をついた。  みんながいろいろと配本のことには不満や不備を感じている違いないのだ。 だけど与えられものだけでなんとか商売できる書店があるのも事実なのだ。 だけど配本については、 配本してもらう努力や、不要なものの配本について取次店に対し伝えていかなければ、 いつまで経ってもこのままであると猿山は思っていた。

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