その66

《売るのを止めます》

 蟹江は、棚に本を詰めていた丘に話し掛けた。
「丘さん、 ちょっといいですか。」
丘は、 棚詰めしている手を止めて蟹江の方を振り向いた。
「ああ、 蟹江くん、 何。」
「実は、 教科書ガイドのことで丘さんに相談があるんです。 猿山さんに言う前に、 ちょっと聞いてもらおうと思って。」 と自信なさそうな声で丘に言った。
「なんなのよ、 それ。 私で間に合うことなら相談に乗るわよ。 でもややこしい話だったらお断り。」 と丘が言うと、 蟹江はあわてて話を続けた。
「いやいや、 簡単なことなんです。
 一言で言うと、 教科書ガイドを売るのを止めようと思っているんですが、 その事に賛成できるかという相談なんです。 この数年の販売データを見ていたんですが、 学参の売上は頭打ちどころか低迷と言える状況です。 その原因は、 学習塾に行くことが当たり前になって、 市販の参考書で勉強する子が減ってしまったということです。 特に教科書ガイドは、 勉強のスタイルが変わったんでしょうか、 めっきり部数が減ってしまいました。 今年の春なんて惨々ですよ。 これなら置かない方がましだ、 と言ってもいいくらいなんです。
 こんな状況だから、 結構場所を取っている教科書ガイドを売るのを止めて、 他の参考書を充実させた方が、 売上が上がるんじゃないかと思うんです。 棚の販売効率を上げるというのはそういうことじゃないかと思うんですが、どうでしょう。」
丘は少し考えた後で、すぐにその返事をした。
「蟹江くんの言っていることは、 正論ということよ。 間違っていないわ。 売れないものを外して、 売れるものを売る。 基本よね。
 でもよく考えて見てよ。 教科書ガイドを買う人は、教科書ガイドだけを買っていたのかしら。 教科書ガイドを買った人は、 他の本も買っていたはずよ。 もし犬猫堂に教科書ガイドがなかったら、 その人は他の書店で教科書ガイドを買い、 他の本もその店で買うわよね。 犬猫堂に教科書ガイドがないということそれだけで、 別の売上も落とすとしたらこれは大変なことよね。 別の例で言えば、 私が見ている料理の棚だけど、 和食の本って結構売行きが渋いのよ。 中華料理の方が随分上なの。 売上を上げる、 つまり効率的な考え方をすれば、 和食の本を止めて、 中華料理の本を増やせばいい、 ということになるよね。でもそんなことをしたら、 料理の本という漠然とした考え方で本を選びに来た人にとって、 和食の本のない料理の棚っていったいどう見えると思う。学習参考書の棚もそういうことじゃないかと私は思うんだけど。」
 ここまで話を聞いて、 蟹江は沈黙した。 そして丘の話が途切れた後、 少しの間をおいてポツリと言った。
「木を見て、 森を見ずってやつですか。」
そして、 またしばらく間をおいて、
「もう少し頭の中を整理しますよ。 とにかく教科書ガイドの売上が落ちて、 学参全体の売上を圧迫しているのは事実なんですから、 なんとかしなければならないのは確かです。 そのやり方ですよね。 改善のやり方。 本という商品の特性を見極めた上での改善のやり方ですよね。」
と自分に話し掛けるように言った。 そして、
「もうしばらく考えてから、 猿山さんに相談します。 丘さんありがとうございました。 あ、仕事続けてください。」 と言うと学参の棚の方へ向かった。
丘は、 蟹江の後姿に、
「がんばってね。」と声をかけた。

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