その68

《売れない本はどれか》

 「売れない本はどれか。」 という質問に犬猫堂のメンバーが弱いことを、 店長の犬田は知っている。 先日も、 棚詰めをしている林鈴女に、 この質問をしたら、
「この本とその本以外はみんな売れない本なんです。」
という答えが返ってきた。
「売れないのだたっら、返品すればいいじゃないか。」
と言うと、
「そんなことをしたら、 棚はガラガラになっちゃいます。」 と彼女は言った。
犬田は、 彼女くらい商品知識のある人でも、売れない本の認識の仕方は十分ではないと思っている。 店中が売れる本ばかりだったら素晴らしいと思うが、 そんなことにならないのは、 当たり前だ。 売れない本を減らし、 少しでも多く売れる本を陳列することが、 売れる本をさらに売ることより大切な仕事であると犬田は思っている。 これをPOSレジのデータを使うことは、 売れ筋と死に筋を発見するための有効であるが、 売れた数である1とか2とかという数字、さらに0という数字をどう読むのか、 それは経験を積むことなしには出来ないことなのだから、やはり本の売れ方を身につけることは必ず必要なことである。
「ここに1冊本があるんだけど、 その棚に差したいんだ。 でもその棚はもういっぱいで1冊もはいらない。 でもこの本は売れると思うから、 何か1冊返品したいのだけど、 スズメちゃん 、何を抜けばいいかな。」
と犬田は歴史の本を1冊差し出した。
「うーん、 そうですね、 これを返品します。 売れると思って仕入れた本なんですが、1冊も売れなくて。 それにこの本だけこのコーナーの中で異質なんですよ。 結局犬猫堂のお客さんの嗜好に合わない本ってことだったんでしょう。 このまま陳列を続けても売れないと思うんで、返品しましょう。」
そう言うと、 林はその本を抜き出し、 犬田の持って来た本を差した。
「売れている本の他が、売れていない本、というのは理屈の上ではそのとおりで、 それを数字で表せば、売れている本が1で、売れない本が0、ということになる。 だから最初にスズメちゃんが言ったことは間違っていないんだ。 でも今スズメちゃんがある理由で売れない本を1冊抜き出したように、 売れない本にはその理由があるんだ。 売れない理由がわからないまま、 売れない、 というレッテルを貼ってしまうと、 もしかすると、 売り方つまり展示の方法を変えたら売れたという本まで店から追放してしまうことになる。 それから売れない本を知っていることで、 売れる本が見えてくるんだ。 売れている本だけ追いかけていると、 売れない本が見えなくなってしまう。
 売れない本から棚を見つめると、棚の弱点が分かるっていうことだ。 売れない本ばかりあったら大笑いになるけど、 売れない本を知ることは大切なことだよ。」
と犬田は言うと、 鈴木が差し出した本を持って事務所に戻って行った。

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