その71

《とんでもない量》

「とんでもない量だとは思わないか、 寅」
「え、 猿山さん、 何のことですか。 何の量がとんでもないんですか。」
「ああ、 新刊のことだよ。 君がここへ来る前はこんなじゃなかった。 なんというか新刊を1点1点吟味して、 追加注文するのかどうか決めながら検品してる余裕があったんだ。 それがどうだ、 この量。 のんびりやっていたら、 いつ終わるかわからないだろう。 藤川さんのところ本は専門書だから犬猫堂には配本がないけど、 大型店だったらそんな専門書の配本もあるはずだから、 こんなもんじゃないだろうね。 いったい出版社の人間は何を考えて新刊を出しているんだろうね。」
猿山のその言葉に、 寅はすぐに反応した。
「そうなんですよ。 新刊が多すぎますよね。 新刊が次々出るから、 店頭に置ききれなくて、 すぐに返品しなくてはならない本がいっぱい出るんですよ。 それにどうしても新刊の方が販売の期待度が高くて、 既刊本を平台からすぐにはずしちゃうんですよね。
 ほら、 そこの返品専用の棚にあるあの本だって、 僕が3日前に店に出した本なんですよ。 こういう風だから僕の仕事は増える一方なんですよ。 検品して返品してそれで一日の仕事は終わり、 とても店を手伝う余裕はないですよ。 ほんと、新刊さえなければ、僕の仕事はもっと楽なんですよね。」
寅らしいその発想に猿山は笑いながら、
「そういう意味じゃないんだよ。 新刊が多いから寅の仕事が増えて大変だということじゃないんだ。
 僕が言いたいのは、 君が指摘したように、 どうしても本を売る場合、 新刊の売れ行きに期待するんだ。 ロングセラーは確かに確実に売れるのだけど、 もっと売りたいという時、 やっぱり新刊に目が行くよねね。 それに毎日毎日ドンドン新刊が入荷してくれば、 それをなんとか売りたい、 という気持ちになるのはわかるんだ。 でも店の展示スペースには限りがあるわけだから、 送られて来る本すべてに対応はできないし、 展示していても1週間たっても全く売れなかったら返品したくなるよね。 だってその本より今日入荷した本のほうが期待度は高いから。 1週間でも様子を見る余裕があればまだましで、 次から次へと本が入って来るもんだから、 結局売れるのか売れないのかという見極め期間がどんどん短くなってる。 さっき寅が言ってた、 返品棚にある3日前に入荷した本のようになるんだよ。
 でもそれはそれでしょうがないなと思うよ。 でもね、 新刊ばかりに目が向いてしまって、 ロングセラーに全く目が届かなくなるのが恐ろしいんだ。 ロングセラーを平台からはずしてまでも、 新刊を積む価値があるのかどうかってことだ。 駅のスタンドなんかに置いてある文庫なんか全部新刊だけど、 ほんとうに全部売れているかどうかは疑問だよね。いっそのこと全部古典なんかにしてしまえば、 もしかしたら売れるかもしれないよね。 古典なんて、 突然時間が空いてしまった時くらいしか読むチャンスがないのだから。 だったら長距離の電車に乗るときなんて、 ぴったりだと思うんだけど、 古典のあるスタンドなんて見掛けない。 それは、 別に古典のどんな本を置くのかなんて気にしなくても、 新刊を置いとけばそれなりに売上があるからだと思う。 そんなことまでして本の売上を上げる必要のない所だからね、 駅のスタンドは。
 だからよく考えてみたら、 書店というのが駅のスタンドみたいな発想で本を取り扱っていないか、 ということに突き当たるんだ。 それから出版社にしたって、 新刊を出さないとメシが食えないような仕掛けを作ってしまっているしね。 じゃあ読者はどうなのかって言うと、 実は新刊しか読まない人っていうは、 多いのだと思う。 新聞広告を見たり、 テレビで話題になっているという理由で本を買う人はきっと多いと思うよ。 でもそんな読者だけではない、 ってことを忘れてしまってるんだよ。 とんでもない量の新刊が書店に送られて来て、 それをさばくことで一日の仕事が終わっちゃうような現実があるんだからね。」
 猿山は自分の言っていることが、 ボヤキであるとは思っていたが、 それを言葉にしなければ、 自分もまた新刊の波に飲み込まれそうな気がしていた。
「猿山さん、 そうですよ、 しょうがないですよ。 この店の規模でロングセラーだなんだって言ってたら、 新刊のほとんどをすぐに返品しなくてはならないですよ。 それなら新刊委託は必要ない、 やめてもらえばいいんですよ。 売りたい本だけ注文すればいいんですよ。 簡単なことです。 そうすれば僕の返品の仕事も減るしね。」
寅に核心的なところを突っ込まれた猿山は、 フーとひとつ溜め息をついた。
「そうだよね。 しょうがないんだよね。 とんでもない量の新刊を受け入れているのは、 犬猫堂なんだから。 だからと言って、 新刊委託がなくなってもやっていけるかどうか、僕にはまったく自信がない。 だけど今のままじゃ犬猫堂の売上がどこかで停滞してしまうのもわかってるんだ。 犬猫堂は、 駅のスタンドじゃないからね。 幸にもスズメちゃんや丘さん、 それに蟹江くんらがそれぞれ意識を持って商品を扱ってくれているから、 まだなんとかなっているけど、 それでも新刊に押し切られそうになっているのも事実だしね。」

猿山はもう一度溜め息をついた。
「ということは、 まだしばらくは僕の仕事は減らない。 むしろ、 とんでもない量の新刊はこれからも増えそうだから、 僕の仕事は益々忙しくなるってことですか。」
と言う寅に、
「まあ、そういうことだな。」
と猿山は笑いながら言った。

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