その74

《現実だよ》

 蟹江はその日の仕事を早めに切り上げ、 ブックスローカルに来ていた。 ロードサイド型のこの店と犬猫堂では、 読者の質や層が違うので、 おのずと品揃えも違ったものになっている。 犬田や猿山の指導する、いわゆる古典的な書店のスタイルと、 こうした量販型の書店との売り方の違いを見ることで、 何か発見があるかもしれないと蟹江は思っていた。

 彼は、自分が担当しているジャンルの棚をチェックした後、 何気なく見ていた平台に、 ある新刊を見付けた。
「あれ、 これってまだ犬猫堂に入荷していない新刊じゃないか。 確か店長が、 これは売れるぞと言って、 追加発注していた商品だ。」
 蟹江は犬猫堂より早く新刊を展示しているブックスローカルの平台をじっと見詰めていた。

 翌日、 蟹江はそのことを犬田に報告した。
「蟹江くん、 よくある話なんだよ。 ブックスローカルとうちは、まず取次店が違う。 取次店の新刊の処理能力の差で新刊の届く日が違って来る。 それから店の販売力によって書店はランク付けされているのは知っていると思うけど、 そのランクによっても違ってくる。 そういうわけだからブックスローカルは新刊配本の処理能力の高い取次店と取引していて、さらにランクも高いってことなんだろうね。 くやしいけど、 現実だよ。」
と犬田が言うと、蟹江は気分を害した様子で言った。
「それじゃあ、 新刊が早く届いたブックスローカルに人が集まって、 ますます犬猫堂は不利になりますよ。 これじゃあ悪循環になるばかりで、 僕達が店でどんなに努力しても最初から負けていることになるんじゃないでしょうか。」
「まあ、 そう興奮するなよ。 取次店については一長一短があって、 新刊配本だけをとって見れば劣っていても、 その他の部分で勝っていたりで、 一概にどうのこうのというのは難しいんだ。 ただし、 うちとブックスローカルは競合していて取次店が違う。 もし取次店が犬猫堂をバックアップして、 ブックスローカルに勝って利益を上げるのだという発想があれば、 新刊のことだって、 蟹江くんが言うような悪循環は起こらないかもしれないね。 でもそれには犬猫堂の販売力が、 もっと高くなければならないのかもしれないのだけど。」
と犬田は静かに話をした。

 蟹江は犬田の話を黙って聞いていた。 犬田が現実に甘んじているような話し方をすることに不満ではあったが、 確かに、 市場原理から言えば、 売れるところに商品が集中することを理解出来ないわけではなかったからだ。
「そうですね 、もっと、 もっと、 もっと売れれば、 配本だって何だって有利になるんですよね。 要するに売らなければ前進できないってことですよね。」
犬田は、 強い言葉でそう言う蟹江を心強く思った。 そして現実を現実として受け止めてしまっている自分がふがいないと思った。

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