その78

《お正月》

 犬猫堂の入っている駅前のテンナトビルは、 元日が休業で、2日にはすべての店がシャッターを開け営業を開始する。 犬田は、最近では元日から営業する店が増えつつあることを苦々しく思っていた。せめて正月三が日くらいは休めばいいのに、 と思うからだ。

 いつもより少し早くやって来た猿山が、 犬田に挨拶した。
「あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします。」
「おめでとう。こちらこそよろしく。」 と犬田は返した。
「いやー、 店長、 去年は散々でしたね。 売れないと言っても、 あれほど売れないと、 本当にどうしようもないって感じですよね。 でもなんとか乗り切れたのは、 いつも我々の店を利用してくれる人達と丘や蟹江たちの努力のお陰ですよ。 不景気な時ほど店の実力が出るもんだなあとつくづく感じましたよ。 ブックスローカルでは、 今年からとうとう人員削減だそうで、三人の社員の内一人を減らすそうですよ。 あの店をたった二人で動かすなんてね。犬猫堂の倍以上ある店ですよ。 そう考えると、 うちは結構がんばってるな、 なんて思いますよ。」
犬田は、 猿山に犬猫堂の厳しい経営状況について、 詳しい数字を示していなかった。 それはそうすることで、 現場の士気が下がることを警戒していたからだ。 なんといっても猿山の元気が犬猫堂を支えていると言ってもいいからだった。
「そうだよね。 猿山くん。 またこの一年、 大変だ思うけど、みんなを引っ張って行ってくれよ、頼んだよ。」
犬田と猿山がこれからの店の在り方や、 新しい一年の抱負を話していると、 次々と店のスタッフがやって来た。 そして、 あけましておめでとう、 という挨拶があちこちで聞こえて来た。

 正月の間は、 取次店からの入荷がないため、 レジ要員と棚の整理をする人がいればなんとか店をやっていける。 そのため、ほとんどの従業員を犬田は休ませていた。 今日出勤したのは、 犬田と猿山の他には、 蟹江と寅と山田、 そしてレジ係の鶴田だった。 犬田は、正月に出勤した者について、特別手当として5千円を渡していた。 現金でだ。 寅と山田はそれを目当てに、 どうしても出勤したいと犬田に申し出た。 本当はどちらかひとりで十分だったのだが、 二人の仲を知っている犬田は、 彼らのデート費用にと山田の出勤を認めたのだった。
「ねえ、 ヒナちゃん、 今日仕事が終わったら、 このお金で食事でもしようか。 ほら商店街の先のレストランなら正月でも開いているしね。」
と寅が山田を誘った。
「いいよ、今日は5時で閉店だったよね。」
山田は寅の誘いをうれしく思った。

 10時に開店したのだが、 お客が入り始めたのはお昼前になった頃からだった。 さすがに正月早々本を探しに来る客は少ない。 レジの鶴田も手持ち無沙汰にしている。 それでも昼過ぎからはたくさんのお客が入り、 5時の閉店まで客足が途絶えることはなかった。
「去年より客入りがよかったようですね。」 と猿山が犬田に言った。
「そうだね。 不景気でみんなどこへも行かず、 家で本でも読もうって考えたのかな。 とりあえず、 喜ばしいことだよ。 どうだ、 うちに来ないか。 ちょっと一杯やって、 お祝いをしよう。 一年の計は元旦にあり、 というからな。」
そう言いながら犬田は勢い良くシャッターを降ろした。

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