その87

《看板の娘》

 寅は、宅配便の伝票にハンコを押し、荷物を受け取った。そして近くにいた蟹江に声をかけた。
「蟹江さん、宅配便です。《拡材在中》って書いてありますけど。何でしょうね。」
蟹江は、売上カードを整理する手を止めて言った。
「どこから届いているんだ、拡材って。販売促進のツールが入っているはずなんだけど。」
「えーと、学習参考書を出している勉強出版社からですよ。結構大きな包みですけど、どんな物が入っているんでしょうね。」
と言いながら、寅は、すでにその包みを開けようとしていた。厳重な梱包がされており、なかなかその包みを開けることができなかったが、カッターナイフを取り出した寅は包みを切り裂いて、中からボール紙で出来たものを取り出した。
「出て来ましたよ。なんでしょうね、これは。かなり大きなものだけど。」
そう言いながら、三つに折り畳まれたボール紙で出来たそれを広げた。
「ヤッホー、これはすごいや。」
寅は大声を上げた。
 寅が梱包から取り出したそれは、水着姿のモデルが勉強出版社の辞書を持って、やさしくほほ笑んでいる等身大の立て看板だったのだ。
蟹江もそれを見て、
「ホー、なかなかのもんだね。」
と、その看板のモデルを上から下へ目で追った。
「蟹江さん、これ犬猫堂の入り口に置きましょうね。きっと勉強出版社の辞書はバカ売れですよ。」
寅はすっかりその気になって蟹江に言った。
「そうだな、これは使おう。犬猫堂の入り口にドッカーンと置こう。結構宣伝になるよ。」
蟹江も寅の言葉に乗せられるように弾んだ声で言った。
 二人で盛り上がっているところへ、店長の犬田が事務所に入って来た。
「おいおい、何を騒いでいるんだよ。そんなに興奮して。ところでそれは何だ。やけに派手な看板だな。」
「ハイハイ、店長。どうですかこれ。いいでしょう。ダイナマイトでしょう。今年の一押しは、勉強出版社の辞書と学習参考書で決まりです。」
寅は得意満面でその看板を犬田に見せた。
「またすごい派手な拡材を作ったもんだな。でもどう見ても、下品な感じがするよね。これを店の前に置けって言うんだろう。なんか恥ずかしい看板だよね、それ。まあ、ヌードじゃないだけまだましだけど。ハハハ。」
そう言って笑う犬田に、寅は声を弾ませながら言った。
「店長、何言ってるんですか。宣伝効果ですよ、これくらいじゃないと目に留まらないんですよ。置きましょうよ。この看板のモデルの娘だって結構かわいいじゃないですか。」
寅にそう言われたが、犬田はどうしてもその看板が、犬猫堂の入り口を飾るにふさわしくないと思った。確かに看板それ自体は目立つものであるし、寅が言うように宣伝効果の高いものであるように思えた。しかし、その看板の絵柄と犬猫堂の雰囲気との間に、大きなギャップがあるように思えたのだ。出版社は自社の商品を売りたくて様々な拡販ツールを送ってくるが、そのすべてが店で利用できるものではない。売りたいというメッセージ丸だしのそれは、かえって店のイメージを損ねてしまうものが多い。今回のその看板もそれと同じであると犬田は思った。
「ねえ、寅、気持ちは分かるけど、やっぱりそれを店先に置くのはやめておこうよ。犬猫堂にはそぐわないよ。」
そう言われて寅は、がっかりした様子で、蟹江に一言言って欲しくて、請うような目で言った。
「蟹江さん、ダメだって。結構いい感じなんだけどなあ、この看板。蟹江さんも気に入ったと言ってたじゃないですか。」
蟹江は、寅にそう言われたが、看板だけを見ればそれはそれでいいと思うが、やはり犬猫堂の店先を飾るにはふさわしくないような気になっていた。
「ああ、まあしかたないよ。店長がこう言ってるんだから。寅、やっぱり止めておこう。店長の言うと通りかもしれないよ。
 そうだ、捨てるのはもったいないし、寅はそれを随分気に入ったみたいだから、家に持って帰れよ。ヒナちゃんにはナイショにしておくから。」
そう言うと、大声で笑った。

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