出勤してきた林に犬田は声を掛けた。
「スズメちゃん、平台のことだけど。」
そう言われて、すぐさま彼女は、犬田に言葉を返した。
「バレちゃいました? だって、ああでもしないと置ききれないんですよ。ちょっとまずいかな思ったんですけど、それほど邪魔にならないし、寅くんに頼んで箱と板を貰ったんです。やっぱりダメですか。」
林は少しくらい見苦しくても、販売の努力を認めて貰えると思っていたのだが、犬田はその期待を裏切るようにこう言った。
「ああ、ダメだね。
気持ちは分かるよ。そういう積極性が、今の犬猫堂の専門書の売上を支えていると言ってもいいくらいだ。熱心に商品を展示して1冊でも多く販売したい、と言う気持ちは大切だよ。でもその気持ちと、ちょっと触ると平台から本が落ちたり、ダンボール箱の平台を設置したりすることとは別の話だ。」
そう言われたのだが、林は事情を説明せずにはいられなかった。
「お言葉ですが、店長は現場のことがよく分かっていらっしゃらないと思うんです。どれほどたくさんの本が入荷してくるかってことです。ロングセラーの売上を確保した上で、さらに新刊を売って行こうとすると、今のスペースじゃ足りないんです。あれも売りたいこれも売りたい、そうやっている内に、このようなことになったんです。決して無茶をしているとは思わないんですけど。せめてあれくらいは許して欲しいと思のですが。」
林は少し強い調子で言った。自分が自分なりに一生懸命やったことを犬田が否定しているように思えたからだ。
「だから、スズメちゃん、分かってるといったじゃないか。スズメちゃんのやったことは無茶ではなく、積極性の結果だって。犬猫堂が300坪の書店だとしてもこの問題は発生していたと思うんだよ。積極的になればなるほど場所なんて幾らでも必要になる。でも店のスペースは限られている。一番大切にしなくてはならないことは、店はスズメちゃんのものではなく、お客さんのものなんだってことだ。スズメちゃんの気持ち、つまり出来るだけ多くの本をお客さんに見せてあげたいと意思は、ダンボール箱の平台や、床に落ちる本や、パズルのようにならんだ平台の本からは伝わらないと思うんだ。
何もしゃべれない本が、お客さんにその気持ちを伝えれるように、本に語らせるようにするのが書店人の仕事だと思うんだ。お客さんはそのような本と出会いたくて犬猫堂にやって来るんだと思う。見苦しい陳列は、本にその機会を失わせるし、お客さんにとっても不快なものだと、僕は思うんだけど、スズメちゃんはどう思う。」
彼女は、犬田の言葉を黙って聞いていた。そしてしばらくしてポツリと言った。
「見苦しい、ですか。」
そう言うと、事務所を出て売り場に戻った。
彼女は、しばらく平台や棚をぼんやり眺めていた。そうしていると寅がやって来て声を掛けた。
「スズメちゃん、どう、僕の作った平台の調子は。結構しっかりしてるだろう。まだまだたくさん積めるよ。もしよかったら、もうひとつ作ってやろうか。まだ置けるスペースが残っているみたいだし。」
そう言われて、林は小さな声で言った。
「寅くん、ありがとう。でももういいよ。」